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水の丘交通公園

鉄道メインの乗り物図鑑です。
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名古屋鉄道 5000系電車

2014-08-20 15:17:08 | 電車図鑑・私鉄電車(中部)
特急列車の運用見直しで2000系「ミュースカイ」以外の特急列車はすべて一般車を連結した
一部特別車に変更することとなり、全車特別車で組成される1000系「パノラマSuper」が
余剰廃車となることになった。
本形式は廃車となった1000系電車の機器を流用して車体を新造し、通勤用電車としたものである。

平成19年~21年にかけて4両編成×14本=56両が製作された。
製造を担当したのは日本車両である。
編成の組み方は以下の通り。

ク5000形+モ5050形+モ5150形+ク5100形

主制御装置はモ5050形に、補助電源装置及びエアコンプレッサはク5000形とモ5150形に搭載されている。
集電装置はモ5050形とモ5150形双方に搭載されている。

車体は日車式ブロック工法を用いた無塗装ステンレス製で先頭部分のみ鋼鉄製となっている。
先頭形状は1200系「パノラマSuper」一般車をベースとしつつ
将来左側に寄せて貫通扉を設けられるような構造となっている。
塗装は側面にスカーレットの帯が入る。
行先表示機は正面および側面とも名鉄で初めてフルカラーLEDを採用し、同社で多く採用されていた
オーロラビジョンよりも視認性が向上している。

車内はバケット式のオールロングシートで近年の他都市の通勤型車両同様スタンションポールが
設けられている。
ドアは片側3か所両引き戸で側面窓は一部固定の一段下降窓で連結部は上部が内側に折れて開く
ものを採用している。
名鉄では連結や分割を多く行う関係で号車番号表示をLEDとしている。
旅客案内装置はLEDスクロール式で各車両3か所のドア上部に設けられている。

主制御装置は界磁チョッパ制御でブレーキは回生ブレーキ併用電磁直通ブレーキである。
モーターの駆動方式は中空軸平行カルダン方式でこれらの機器は1000系電車からの流用品である。
また、モーターが直流モーターであり、整流子やブラシの点検が必要であるため、点検蓋を
客室に設けており、日車ブロック工法を採用した車両として唯一の直流モーター
装備車となっている(平成22年現在)。
運転台は種車のものをそのまま転用したツーハンドル式である。
台車も機器を提供した車両のものを流用しており、ボルスタ付ダイレクトマウント式空気ばね台車、
およびボルスタレス式空気ばね台車である。
乗車定員の大幅な増加に伴い、一部の台車ではブレーキの強化改造を行っている。
集電装置はひし形パンタグラフでこれも種車そのままの流用品である。

なお機器を提供した編成と現在の編成の番号対比は以下の通りである。

5001F:1008F 5002F:1005F 5003F:1003F 5004F:1009F 5005F:1006F
5006F:1002F 5007F:1004F 5008F:1004F 5009F:1010F 5010F:1017F
5011F:1018F 5012F:1019F 5013F:1020F 5014F:1021F

提供した車両と編成番号が一致していないのは1000系自体製造時期が長期に亘ったため、
機器の違いがある関係である程度機器の仕様が近い編成でまとめたためである。

運用は名古屋本線、犬山線などの主要幹線と一部の支線で急行から普通まで幅広く運用されている。
走行性能自体は1000系時代から変わっておらず特急ダイヤでも当然運用可能であり、
ダイヤ乱れの際などには代走することもある(ただし客室設備の関係から滅多にその機会は来ない)。

名古屋鉄道 7500系電車

2011-05-10 21:40:40 | 電車図鑑・私鉄電車(中部)
日本で初めて運転台を屋根上に設置して最前部まで展望室を設けた7000系
「パノラマカー」をベースに走行機器に大幅な改良を加えた車両である。
昭和38年~昭和45年にかけて6両編成×12本=72両が製造された。
製造を担当したメーカーは日本車輛である。
構成形式は以下の通り。

モ7500形(奇数):豊橋側に運転台のある制御電動車。パンタ無し。補機付き。
モ7500形(偶数):新岐阜側に運転台のある制御電動車。パンタ付き・制御器付き。
モ7550形(奇):中間電動車。モ7500形(奇)から運転台と展望室を取り除いた構造。
モ7550形(偶):中間電動車。モ7500形(偶)から運転台と展望室を取り除いた構造。
モ7570形:奇数向きの中間電動車だが元は8連化用の中間付随車。
サ7570形:8連化用の中間付随車。全車モ7570形に改造され形式消滅。
モ7650形:(奇)中間電動車。7550形と同様の構造。モ7665号のみ制御電動車。
モ7650形:(偶)中間電動車。7550形と同様の構造。モ7666号のみ制御電動車。

基本的に奇数向きの電動車と偶数向きの電動車がユニットを組む構造となっている。
一時期、付随車が存在したが、最終的に全て電動車となった。

車体は普通鋼鉄製で7000系「パノラマカー」に準拠したスタイルのものを採用している。
ただし、本形式では重心を低くとるため、床の高さを低くとっており、側面の裾部分の
段差が無い他、運転台の高さは7000系と同じとなったため、運転台部分が7000系よりも
飛び出たようになっている。
先頭部分は展望室となっており、7000系同様前面展望を楽しむことが出来る。
この他に事故や修理などで正規の先頭車が使用できない場合に備え、
中間電動車のモ7650形のうち、モ7665号とモ7666号の2両を本格的な運転台を
備えたものとした。
この部分の形状は3780形の正面窓を低運転台としたような貫通型で運転室の位置も
通常の車両と同じ位置にあったが、進行方向左側は最後尾に付くときに車掌用の
スペースを確保した程度なので前面展望も確保されている。
行き先表示と種別表示は正面が逆富士山型の札差・札めくり式のもの、側面は
サボが設置され、後年、これらを字幕式に変更した車両が存在する。
塗装はスカーレット一色である。

車内は戸袋部分をロングシート、車体構造上、客室内にある車掌台部分を
乗務員不在時に折りたたみ式の固定クロスシートとしたほかは
全て転換式クロスシートとなっている。
側面窓は固定式の連続窓で客用ドアは片側2箇所、片引き戸となる。
本形式では両引き戸の車両は登場していない。

主制御装置は他励界磁制御方式を採用し、定速度制御機構を併せて装備した。
ブレーキは回生ブレーキ併用電磁直通ブレーキである。
定速度制御機構は後に撤去され、界磁制御に用いる磁気増幅器もトランジスタから
IC回路へ更新されたが、先進的な機器を多く採用した結果、他の車両との
連結や併用が出来なくなってしまった。
台車はダイレクトマウント式の空気バネ台車で駆動方式は中空軸平行カルダンである。
運転台はツーハンドルで他のパノラマカー同様、タイフォン、電気ホーン、
ミュージックホーンの3種類の警笛を有する。

パノラマカーの増備車として登場し、最新鋭の機器を装備していたものの
それを活かせる区間がまだまだ少なかった。
特に名古屋本線以外に本形式が入線して回生ブレーキを使用したときは、
架線に戻した電圧が変電所から供給される電圧を上回り停電したほどであったという。
性能上120km/hでの運行も可能であったが、ダイヤ上の時間短縮が僅かであった点と
本形式登場時に多発していた踏切事故発生時のリスクが大きい点から、最高で
110km/hまでとなった。
また、パノラマカーとして唯一、付随車のサ7570形を組み込んで7両固定編成
(後に8両固定編成)になった時期があったが、すぐにサ7570形を奇数側の電動車に
改造して全て6両編成とされた。
それでも本線の特急や高速(全車自由席の特急のこと。特急が全列車指定席だった
時期に使用された種別)などの優等列車に使われた。
昭和63年より車体の重整備(車体更新)を実施し、内装を当時の新車であった5700系並に
張り替え、外板張り替え、行き先表示の字幕化などの改造が行われた。
この改造は6両編成×7本に留まり、平成4年より混雑時のダイヤ乱れの原因となる
2扉車を順次引退させる方針に転換したため、後期に登場した残り5編成30両は
廃車となった。
廃車された車両の機器は一部改良の上で「パノラマSuper」1030系、1230系、1850系へ
流用されている。
平成16年になり、中部国際空港への乗り入れ対応とバリアフリー対応で
ホームのかさ上げが行われることとなり、他の車両よりも床の高さが低い
(本形式=990㎜/他の形式1100㎜~1150mm)本形式の引退が決定し、
平成17年に全車が引退した。

引退後、全車が解体処分されたが、台車1台は名鉄舞木工場にて保存されている。

名古屋鉄道 3700系/3730系/3770系電車

2009-11-17 21:51:11 | 電車図鑑・私鉄電車(中部)
老朽化の進んだ木造電車や初期に導入された半鋼製車の置き換えのため、
その機器を流用して車体のみを新造した車両として登場したものである。
昭和32年~41年までに3700系が2両編成×21本=42両、3730系と3770系が合わせて
77両(2両編成×38本+1両)の119両が製造された。

編成の組み方は豊橋側からモ3700+ク2700(モ3730+ク2730/モ3770+ク2770)が
基本である。

車体は全鋼製車体で名鉄と関係の深い鉄道車両メーカーの日本車輛が
昭和30年代に地方私鉄向けとして製造していた「日車標準車体」を初めて
採用している。
正面は貫通型で正面中央部に貫通扉がある。3700系では通常の高さに
運転席があるが、3730系から踏切事故対策で運転席を高くし、正面窓も
その分細くなった。
3700系でも事故からの復旧で同形態にされたものがある。

塗装は、登場時がクリームとマルーンのツートンカラー、後にライトパープル、
クリームに赤帯、スカーレットに白帯と変化していき、最終的にスカーレットに
統一されている。

ドアは片側2箇所で3700系が片引き戸、3730系と3770系が両引き戸である。
車内は3700系と3730系がロングシート、3770系が転換クロスシートであったが、
後に3700系と3730系の一部も転換クロスシートに改造された。
また、3770系でも一部でロングシートに改造されたものがある。
当初は扇風機すら装備されていなかったが、昭和53年ごろに取り付けた。
冷房は屋根が高いため、最後まで搭載されなかった。

主制御装置は抵抗制御で本形式では改造元となった電車(種車)が採用していた
HL(間接制御・手動進段・架線電源方式)制御方式を採用している。
この制御器は単位スイッチ制御器を運転士が徐々に進段させるもので、
その制御電源に架線からとった電流を抵抗器で低圧化して使ったものである。
ただし、本形式では制御電源を安定供給するため、車載の電動発電機で
賄っているので、厳密には「HB制御(間接制御・手動進段・独立電源)」である。
台車や駆動装置は旧式のイコライザー台車・釣り掛け駆動となっている。
搭載していたモーターは種車のものをそのまま流用していたので出力が
他の車両に劣り、平坦線での最高速度が85km/hであった。
上り勾配区間では、60km/hまでしか出せなかったという。
このモーターの出力の低さは製造時より、指摘されていたため、
3700系の最初の2両編成×2本は全車電動車になっていた。
しかし、更新の速度を上げるためと、コストダウンのため、2両編成で1両が
電動車という構成に直されている(最初の2本も後に同形態に)。
ク2700形・2730形・2770形では、木造・小型車の履いていた古い台車を
使用していたが、晩期には、やはり廃車になった別の電車のものを流用していた。

運用線区は本線系と瀬戸線で、瀬戸線では600V時代に3700系が昭和48年~53年まで
運行されたほか、1500V昇圧化後も昭和53年~平成2年まで3730系と3770系が
運用されていた。
この時、3770系の一部は混雑緩和のため、転換クロスからロングシートに
改造されている。
本線系統では主に区間列車や支線での運用が目立ったが、パノラマカーなどの
高性能車が入れない区間に乗り入れる特急列車などに使われたこともある。

しかし、元々の機器が古すぎる上、性能も大きく劣るため、早い時期から廃車が
開始され、昭和44年~48年までに3700系2連×8編成=16両が高松琴平電鉄に
譲渡された。
他の3700系も2両編成を組むものは平成3年までに全廃となった。
昭和62年に3700系のうちモ3716号は相棒のク2716号が廃車となった後、
自らもモーターを降ろして制御車となり、ク3716号として築港線専用の
増結車として残され、平成8年まで使用された。
3730系、3770系については昭和62年に3730系2連×1本=2両が豊橋鉄道渥美線に
譲渡されたほか、三河線での運用を最後に平成8年で全車廃車となった。

譲渡された分についても豊橋鉄道渥美線に譲渡されたものが平成9年に、
高松琴平電鉄のものが平成16年までに引退している。

余談であるが、本形式に機器を提供した車両のうち、初期に製造された
半鋼製車のモ3200形(旧愛知電気鉄道電7形。大正15年製造)の車体を使用した
ク2320形は3700系列が引退した後も1年ほどであるが現役で、車体更新車よりも
種車の車体の方が長生きするという珍しい現象が見られた。

名古屋鉄道 100系電車

2009-10-12 21:52:47 | 電車図鑑・私鉄電車(中部)
豊田線の開業と名古屋市営地下鉄鶴舞線直通開始に伴い登場した電車である。
昭和53年~平成6年にかけて、6両編成×11本=66両が製造された。
なお、編成は当初4両編成(豊田側からモ110+モ120+モ130+モ140)であったが、
平成5年の鶴舞線上小田井延伸と犬山線との直通開始に伴って
中間車2両(サ150+モ160)を組み込み、6両編成化されている。
同一車体ながら、主制御装置の方式や車内の座席のモケットなどが異なる
100系200番台(211~214編成)、及び200系(215編成)についても紹介する。

車体は鋼鉄製で鶴舞線と規格を合わせる為、20m・4ドア・両開き扉という、
当時の名鉄としては珍しい(昭和50年頃の名鉄の電車といえば2ドア
クロスシート車が主流だった)典型的な通勤型電車の形態を採用した。
これは終戦直後に国鉄よりもは63系電車の割り当てを受けて使用した
3700系以来のものであった。
塗装は名鉄のトレードカラーであるスカーレット単色である。
正面は同時期に登場した6000系電車に準じた平面パノラミックウィンドウの
貫通型で、窓周りを一段窪ませて、窓下にステンレスの装飾を入れている。
また、貫通扉の窓の装飾には名鉄の社章がエッチングされているが、
215編成ではMマーク制定後の登場であったため、これが省略されている。

車内はオールロングシートで、先述のとおりクロスシート車主体の当時の
名鉄電車としては珍しい形態を採用した。
しかし、カーテンはブラインドではなく横引きのプリーツカーテン、
奥行きの深い座席などサロン調に仕上がっている。
製造当初より冷房付きで側面窓は当時の通勤型電車としては珍しく
全て固定窓となっている。
最新の215編成編成では車端部貫通扉上にLEDスクロール式の旅客案内装置を
設置したほか、先頭車に車椅子スペースを設置している。
この他、モケットの柄やドア付近の袖仕切りの形状が時期によって異なる。

主制御装置やブレーキ、台車などは編成と製造された時期によって異なる。
まず、4両編成で登場した111~115編成の前後2両ずつ(モ110+モ120&モ130+モ140)が
抵抗制御、同じく116編成と211~214編成の前後2両(モ210+モ220&モ230+モ240)が
界磁添加励磁制御、最初から6両編成の215編成全車と111~116・211~214編成を
6両編成化する時に組み込んだ中間車のサ150+モ160(2両×6ユニット)&
サ250+モ260(2両×4ユニット)がVVVFインバータ制御である。
なお、VVVFインバータ制御は本形式が名鉄で初めて採用である。
ブレーキは111~115編成が発電ブレーキ、116編成以降は回生ブレーキ併用の
電磁直通ブレーキである。
台車は111~116・211~214編成の前後2両がダイレクトマウント式空気バネ台車、
215編成全車(ク215+モ225+サ255+モ265+サ235+モ245)と
サ150+モ160&モ250+モ260がボルスタレス台車である。
215編成については編成の機器構成も大幅に変更されているため、
200系に改称されている。

原則的に犬山線・豊田線の鶴舞線直通列車や鶴舞線内での折り返し運用が
主体となっており、自社線の急行などの優等列車に入ることは無い。
昭和55年に鉄道友の会よりローレル賞を受賞している。
登場時は豊田線が開業前であったので三河線で使用された。
また、平成3年に増備された211編成~214編成は鶴舞線の上小田井延伸まで、
各務原線、犬山線、名古屋本線、常滑線、広見線で使用された。
特に混雑の激しかった犬山線では2本を組んだ8両編成の急行で走ったこともある。
平成5年に中間車2両が組み込まれて全車6両編成となり、翌年には上小田井駅の
折り返し線の完成による運用増で200系(215編成)が増備された。
211編成は東海豪雨による車両不足のため名古屋本線で中間2両を抜いて
使用されたこともある。

平成13~16年にかけて連結部分への転落防止幌の取り付け、平成17年に
ボルスタレス台車を使用している車両について台車の交換を実施している。
平成20年に回生ブレーキを有していない車両の淘汰を進めると名鉄より
発表されたが、上記以外に大きな改造を受けることも無く、今後も
しばらくはこのまま使用されると思われる。


名古屋鉄道 モ700形・750形電車

2009-09-21 22:57:05 | 電車図鑑・私鉄電車(中部)
旧名古屋鉄道(→名岐鉄道→現・名古屋鉄道)で初めての鋼鉄製電車として登場した
車両である。
昭和2年に700形が10両、昭和3年と4年に750形が10両の計20両が登場した。
登場時の形式記号はデセホ700形、デセホ750形でである。
なお、タイトル写真は750形だが、700形も同等の車体と性能の電車だったので
まとめて紹介する。

車体は前述のとおり鋼鉄製だが、全て鋼鉄製ではなく内装は木造のいわゆる
半鋼製車である。深めの屋根構造に小さめな一段窓、リベット張りの
重厚な車体を有する。正面窓は3枚でヘッドライトは当初、正面中央窓の
下に取り付けられていた。
また、集電装置はパンタグラフを屋根の中央に、その前後にトロリーポールを
設置していた。
これは当時の名鉄の起点が押切町にあり、路面電車区間を走る必要があったためである。
塗装は当時の標準色であるダークグリーンである。

ドアは片側3箇所で全てステップ付きの片引き戸で車内はロングシートである。
ドアは当初、手動ドアであったが、最終増備のデセホ759・760号がドアエンジンを
搭載して、最初から自動ドアとなり、旧名古屋鉄道で初めてのドアエンジン
装置車となった。

主制御装置は抵抗制御で電動カム軸式自動加速制御装置を搭載し、自動加速車ながら
手動加速車と同じノッチ刻みのマスコンを採用したため、どちらの車両とも
連結が可能であった。また、それらを選択するためのスイッチがあった。
ブレーキは空気自動ブレーキである。
駆動方式は吊り掛け駆動で台車は釣り合い梁式台車を採用している。

登場時は名鉄西部線(現在の名鉄名古屋~名鉄岐阜)を中心に運用された。
登場間もない昭和2年11月には707号と708号が貴賓車SC-1形3号を連結して
お召し列車牽引の名誉に浴した。また、天皇が乗った初めての「一地方私鉄の電車」
によるお召し列車となった。
社名が名岐鉄道になった昭和7年からは行楽シーズンに755・756号車がお座敷仕様に
改装されて省線の高山線(→JR高山線)に乗り入れた。
その後、直通運転は一旦なくなるが、昭和15年に今度は省線側から客車を乗り入れる
形で再開された。この時は707~710号が牽引車に指定された。

昭和10年に名岐鉄道と愛知電気鉄道が合併して現在の名鉄が発足すると、
形式記号が変更され、モ700形、モ750形にそれぞれ改称された。
昭和16年には東枇杷島~新名古屋(→名鉄名古屋)間開業に伴い、路面電車区間への
乗り入れが廃止になったことから、トロリーポールの撤去とパンタグラフの移設、
ヘッドライトの屋根上への移設が行われた。
その後、新名古屋~神宮前間が開業すると同駅まで乗り入れるようになった。

昭和23年に旧西部線の主要区間の電圧が600Vから1500Vに昇圧し、現在の名古屋線が
出来上がったが、本形式は昇圧工事の対象から外れて、600Vのまま残った
各務原線や広見線、小牧線で運行された。
それも昭和39年に昇圧されると瀬戸線や揖斐・谷汲線に転じた。
なお、この際に700形6両が余剰廃車となり、福井鉄道と北陸鉄道に譲渡されている。
また、2両が新川工場で発生した火災により焼失して廃車となっている。

揖斐・谷汲線に移籍したものはHL制御(手動加速制御)に改造されたほか、台車や
モーターの換装を実施している。
その後、瀬戸線でも3700系の導入による近代化や架線電圧の1500V化が
行われることになり、余剰となったものが揖斐・谷汲線に集まった。

晩年、ドアの自動化及び鋼鉄化、窓枠のサッシ化などの近代化改造が行われた。
また、ワンマン運転実施のため、750形のみワンマン化改造された。
700形は片方の運転台を撤去して、制御車と常時連結とされ2連で使われた。
この当時の運用区間は忠節~黒野~谷汲or本揖斐であったが、重要検査などで
市ノ坪にあった岐阜工場に入る際は、軌道線乗り入れ対応準備として正面に
排障器を設けて岐阜市内を走行した。

平成9年~10年にかけてモ780形が新造され、運用形態が変化したことにより
700形は全滅し、750形も3両だけとなった。この3両は黒野から先の本揖斐方面、
及び谷汲方面の末端区間で使われた。

この区間が廃止になった平成13年に最後の3両が廃車となり全車引退となった。
引退後は751号車足回りを除去の上で岐阜県内のパン屋に、754号車は車体を
切断し、やはり足回りを取り除いて瀬戸市の郷土資料館「瀬戸蔵」に、
755号が現役時代の姿で谷汲駅跡にそれぞれ保存されている。


車内。肘掛の形状や網棚の装飾に当時の職人技を見ることが出来る。

運転台。客室とは簡単に仕切られた開放的なものだった。

近畿日本鉄道 1010系電車

2009-05-06 21:00:00 | 電車図鑑・私鉄電車(中部)
近鉄京都線の電車の大型化推進のために旧型車の機器を流用して登場した
車両である。
昭和47年に3両編成5本15両が製造され、当初は920系と称された。
編成はモ921(以下奇数)+モ922(以下偶数)+ク971であった。

車体は鋼鉄製で8000系電車に準じたものである。
塗装は「近鉄マルーン」一色であった。
車内はロングシートで車内間通路は幅広なものを採用している。
冷房は搭載されていない。

主制御装置は抵抗制御で、発電ブレーキを持たず、空気ブレーキのみであった。
電動車の台車はダイレクトマウント式空気バネ台車であるが、駆動方式は
吊り掛け駆動であったほか、ク970形の台車は廃車となった車両のものを
そのまま使用していた。
なお、電動車の台車はカルダン化も可能な構造になっており、現在も活用されている。

昭和57年に機器の更新改造を実施し、駆動装置のカルダン駆動化、主制御装置の
界磁位相制御化、ブレーキの回生ブレーキ機能追加、冷房化が実施されている。
この際、使用されたモーターは廃車になった「ビスタ2世」のものを出力強化の上で
流用している。

京都線・橿原線で運用されたが、同線の3連車の運用数が減少したことから
昭和62~63年にかけて名古屋線に転属してきている。
この時、現在の車番に変更され、モ1010+モ1060+ク1110になったほか、
連結器の高さが変更された。

平成18年より、車体の更新改造を実施している。
主な内容は窓枠の交換、内装及び座席の張り替え、ク1110形の台車の空気バネ台車化
(8000系の廃車発生品と思われる)、ワンマン運転対応改造などである。

現在のところ廃車は発生していないが、第2編成が走行中に火災事故を起こして
休車となっている。
残りは名古屋線の準急や普通列車のほか、ワンマン化改造車については
鈴鹿線や湯の山線でも使用される。

名古屋鉄道 300系電車

2009-02-26 09:00:00 | 電車図鑑・私鉄電車(中部)
小牧線と名古屋市営交通局上飯田線(上飯田~平安通間)との直通運転開始に伴い
平成14年に登場した車両である。
4両編成8本32両が製造された。

車体は名鉄で初めてのオールステンレス製で、正面は「パノラマSuper」一般車を
範にとった柔らかな「く」の字形の形状になっている。
また、非常脱出用の貫通扉を正面向かって左側に配置している。
帯色はピンクと紫という、独自のものを採用している。
行き先・種別表示は字幕式で平成20年現在、本形式が最後の採用となっている。

車内は名古屋方面への通勤輸送と犬山方面への近郊・観光輸送の双方に対応するため、
各扉間にロングシート(バケット・片持ち式)と転換クロスシートを交互に
配置している。
車端部はロングシートで、ドアは片側4箇所、全て両引き戸である。
座席はパープル系、手すりをピンク、壁をグレー系としたカラースキームを
採用し、後に登場した本線系統の3150・3300系電車や2200系電車などに反映されている。
ドア上にはマップ式とLEDスクロール式の旅客案内装置が交互に配置されている。
側面窓は一段下降窓で、UVカットガラスを採用し、カーテンを廃止している。

主制御装置はIGBT式のVVVFインバータ制御で、ベクトル制御により、本線用の
3100系と同じ機器を使いながら、加速度で本形式が勝っている。
ブレーキは回生ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキで、停止寸前まで回生ブレーキが
使える純電気ブレーキの機能もある。
運転台はT字型ワンハンドル式で、車両情報管理システム、ホームドア用の
コントロール装置、乗務員確認合図がブザー式になる(従来はベル式)など、
名鉄で初めての装備を多く備える。
また、自動放送装置や折り返しや列車交換時などの長時間停車に対応して、
1箇所だけドアを開けるドアカット機能も有している。

登場は上飯田線開業の1年前で、同線で運行されていた在来車を本線系に回すことで
最後まで残っていた旧型電車を置き換えた。
以来、小牧線~上飯田線専属で他の線で運行されることは、ほぼない。



名古屋鉄道 7300系電車

2008-12-09 21:43:07 | 電車図鑑・私鉄電車(中部)
昭和41年に車体の老朽化した旧型車の機器を流用して、当時の最新車両であった
パノラマカー並みの車体を新製した車両である。
2連9本と4連3本の計30両が製造された。

正面は貫通型で、パノラマカー増結用の7700系に近いが、同車よりも全体に
角ばった雰囲気となっている。
また、貫通扉の窓だけ、縦長になっている。

車内は戸袋部分を除いてオール転換クロスシートである。
冷房も搭載されており、当時の車両としてはサービス面で優れていた。

主制御装置は、3800形と800形から流用した抵抗制御のAL(自動加速)式で、
駆動方式は吊り掛け駆動である。
台車は当初、種車由来のものを履いていたが、昭和53年に別の新しいものに
交換されている。

ファンからは車体のデザインがパノラマカーによく似ていたが、吊り掛け駆動で
展望席もないため、「偽パノラマカー」、「パノラマカーもどき」などの
あだ名で呼ばれた。
名古屋に訪れた名鉄に詳しくない鉄道ファンが、本形式に乗って足元から聞こえる
吊り掛け駆動ならではの響きに驚いたというエピソードもある。
こういった旧型車の機器を流用して車体を新造した車両は、国鉄から地方ローカル
私鉄まで幅広くみられたが、空調完備、固定窓、オールクロスシートというものは
近鉄が規格の小さかった京橿特急用に製造した18000系電車ぐらいしかおらず、
かなり貴重なものであった。

新製当初の計画では、座席指定特急での使用も予定されたため、側面に「座席指定」
表示器が設置されたほか、本家パノラマカーと同じくミュージックホーンを
装備していた。
これらの装備は後に撤去された。

実際、登場時は三河線等から本線、犬山線に乗り入れる支線特急に用いられた。
昭和50年代になると高性能車の増備が進んでいったため、支線のローカル運用から
全車自由席の特急(後の高速)まで1500V線区のAL車が用いられる運用に
幅広く使われるようになった。
特に支線では冷房のない5000系や5200系などの高性能車両より、足回りは古くても
冷房装備の本形式のほうが、一般客に喜ばれ、名鉄線全線のサービス向上に
寄与したことは疑いようがない。
晩年は広見線、各務原線、小牧線などで運行され、平成9年に全車が引退した。

引退後は全車が豊橋鉄道渥美線の架線電圧の1500V化に伴う車両の置き換えのため
譲渡され、うち28両が入籍した(2両は部品確保用で入籍せず。台車は名鉄3400系に
転用)。
豊橋鉄道では車体の長さを形式番号とする慣習があるが、本形式は名鉄時代のまま
車番の変更は行わずに使用された。これは現在に到るまで唯一の例外である。
車体については大きな改造は行われず、貫通扉に方向幕を設置した程度である。
塗装は元のスカーレットにクリームの帯を巻いたものとしている。
一部の編成は特別塗装として、イエローにグリーンの帯を入れた「なの花」号、
ブルーにクリームの帯を入れた「なぎさ」号になっていた。

本形式の登場と昇圧工事完成で、在来車両の全車が本形式に置き換えとなった。
置き換え対象となった車両の中にはカルダン駆動の1900形(元名鉄5200系電車)もあり、
カルダン車を吊り掛け車で置き換えるという珍しい現象が見られた。
しかし、そもそもが長距離・高速運転向けに設計された車両で、起動加速が遅く、
2ドアクロスシートでラッシュ時の詰め込みが利かず、列車遅延が多発し、
折角15分間隔から12分間隔に増発したダイヤも元に戻さざるをえなくなるという
事態に発展した。
このため、平成12~13年ごろまでに東急7200系を譲り受けた1800系に置き換わり、
平成14年に予備車として残った「なの花」編成を最後に全車廃車となった。
廃車後は豊橋鉄道が一般に無償譲渡先を募り、個人や企業などに引き取られて、現在も数両が存在する。


名古屋鉄道 3300系電車(Ⅱ)

2008-12-05 22:39:06 | 電車図鑑・私鉄電車(中部)
廃車になった旧型車両の機器を流用して昭和62年に3連4本が登場したものである。

車体は鋼鉄製で当時、新鋭の通勤型車両であった6000系電車をベースにしている。
正面は貫通型で標識灯にLEDを使用しており、前年、同様の方法で登場した
瀬戸線の6750系の初期車によく似ている。

ドアは両引き戸が3箇所あり、窓は一枚ずつ独立した一段下降式である。
登場時はドアの上半分を白く塗っていたが、後にグレーとなり、
最終的に車体色の赤一色になった。
車内はオールロングシートである。

先述のとおり、足回りは旧型車のものを流用したもので、AL(間接自動制御)車の
3850系と3900系(※1)のものを使用している。
駆動方法は吊り掛け式となっている。
ただし、エアコンプレッサーや補助電源装置は新造されている。

編成は電動車2両(運転台付と中間車)、制御車1両(運転台付)で3両編成を組む。
名鉄で3連を基本とする車両は極めて少なく、前例は昭和60年で引退した
元東急3700形電車を譲り受けた3880系電車(※2)ぐらいである。

本形式は主に各務原線、小牧線、広見線、築港線のローカル運用で使用された。
稀ではあるが、別のAL車と組んで運行されることもあった。
しかし、車体は新しかったものの流用品の足回りの老朽化が進んだため、
小牧線の上飯田地下化、平安通線直通を控えて登場した300系と置き換わる形で
平成15年に引退した。

引退後、車体は解体されたが台車やモーターはえちぜん鉄道に譲渡されたほか、
まだ新しかった補助電源装置やLED標識灯は、1380系や「パノラマSuper」1030系の
一般車の一部、6500系初期車の交換部品となっている。

3850系と3900系(※)
昭和26年~27年に登場したAL車。張り上げ屋根に埋め込み式の前灯という
スッキリした出で立ちをしていた。
3850系は2両編成、3900系は4両固定編成で、名鉄の戦後の標準色の一つである
クリームとマルーンのツートンカラーを採用した最初の形式である。
車内はセミクロスシートでクロスシート部分は4人用のボックスシートであった。
車内照明は3850系が白熱灯であったが、3900系より蛍光灯となった。
3900系の第4編成は次期高性能車の試作車と位置づけられていたため、
パンタグラフや制御器などが他の車両と異なっていた。
登場時は特急で運用されていたが、後継の高性能車やパノラマカーにその座を
譲って、本線のローカル運用や支線運用が増えていった。
しかし、退役間近でも急行などの優等列車で走ることもあった。
平成2年に引退し、足回りを3300系と瀬戸線の6750系に譲っている。

3880系電車(※2)
東急の3700系電車(昭和22年製)を昭和50年と55年に譲り受けた車両である。
昭和50年代前半当時、オイルショックにより、自動車通勤者が急速に鉄道に
シフトしてきたため、保有車両のほとんどが2ドアクロスシートの名鉄では
慢性的な輸送力不足を来たしていた。早急な輸送力改善が望まれたが、
当時の名鉄の内外には「2ドアクロスシート車以外の新車は認めない」風潮が
強く、ラッシュ対策に行き詰まりを感じていた車両担当者や幹部社員により、
3ドアロングシートの通勤型車両のテストケースとして(効果を経営陣に見せ付けるため)
譲り受けることになったものである。終戦直後に作られた運輸省規格型
車両ということもあり、足回りが、同規格で作られた自社の電車と同等で
整備に不安もなく、即戦力となる3ドアロングシート車が手ごろな価格で
手に入れられるとあって、名鉄にとってはこれ以上ない掘り出し物であった。
3両編成を組み、高速性維持のため2両が電動車である。東急時代に更新改造は
済ませていたため、行き先札や運転関係の機器を名鉄の規格に合わせた以外、
大きな改造はされていない。
営業運転投入後は担当者の思惑通り、混雑時にその収容力を遺憾なく発揮し、
6000系新造の原動力となった。ラッシュ時以外には優等列車にも投入され、
凡そ東急時代には考えられなかった高速運転を行うこともあった。
しかし、元々が高速運転向きでなかったため、無理がたたり、機器の寿命を
縮めてしまい、昭和60年に全車引退した。
引退後、台車は瀬戸線の3780系のク2780形や3800系のク2800形に流用された。
特にク2780形は機器流用車でたった10両に台車が3種類もあったため、
その統一に貢献した。
3780系引退後は、この台車の一部が大井川鉄道に譲渡され、お座敷客車のナロ80と
展望車のスイテ82に流用され、現役である。

名古屋鉄道 3780系電車

2008-10-18 18:46:55 | 電車図鑑・私鉄電車(中部)
昭和41年に登場したの3700系列の最終増備車である。

3700系列は支線で運行されていた電車の体質改善のため、
当時、多く運行されていた戦前製の木造車などの機器を流用して、
車体を新造した車両である。
軽量でスマートなスタイルの車体を有し、沿線から好評を博したが、
性能的にはHL(間接非自動)制御、吊り掛け駆動で、モーターの出力も弱く
最高速度も抑えられたものになった。

この3780系も、その一党であるが、車体の設計を大幅に変更した。
正面窓が平窓を付き合わせたパノラミックウィンドウになったほか、
ヘッドライトが左右2つに振り分けられた。
側面窓は2連ユニット式になり、支線での特急運用を想定してミュージックホーンを
正面貫通扉上に装備している。
また、当時製造されていたパノラマカーや「北アルプス」用のキハ8000系と同様に
冷房を搭載した。これはHL車で唯一である。
車内は1人掛けと2人掛けの転換クロスシート(扉付近は固定)を千鳥配置にした
特徴的なものであった。
塗装もライトパープルを初めて採用し、パノラマカー以外の他の形式にも波及した。
しかし、保線側や沿線から「遠方から見えない」とクレームがついて変更となり、
クリームに赤帯→スカーレットに白帯→スカーレット単色と他の形式同様に
塗り替えられた。

足回りはこれまで通りだが、初期車は台車を新造している。
先述のとおり、本形式は冷房を搭載しており、車体の強化や大型の発電機の搭載で
その分の重量が増加しているが、モーターは相変わらずのパワー不足であった。
このため、HL車の欠点である加速と高速性の弱さに拍車をかけてしまい、
ダイヤを乱すことも度々あった。

昭和53年に瀬戸線の栄町乗り入れと架線電圧の1500V化に伴い、全車が転属した。
転属時に車体の難燃化、客席のロングシート化を行った。
瀬戸線では、主に急行列車に用いられ、平成8年まで使用された。
引退後、全車が解体されたが、初期車が使用していた新造台車は6750系に流用された。