水の丘交通公園

鉄道メインの乗り物図鑑です。
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用途を申告してください。

名古屋市交通局 1400形電車

2011-05-31 22:30:21 | 保存車・博物館
名古屋で開催された汎太平洋博覧会に向けて「博覧会に相応しい世界一の電車」として、
また名古屋市電の今後のスタンダードモデルとして登場した車両である。
昭和11年~昭和17年にかけて1401号~1475号の75両が製造された。
製造を担当したメーカーは日本車輛、木南車輛、新潟鉄工所である。
単行運転用のボギー車のため編成は組まない。
製造にあたっては日本車輛から技術者を顧問として招聘し、何度も図面を
引きなおした末、完成された。

車体は外側を鉄製、内装を木造とした半鋼製車体で名古屋市電では初めての張り上げ
屋根を採用した。
電動機出力の関係から軽量化に留意しつつ、曲面を多用した設計で正面に
緩やかなRがつけられているほか、側面両端ドアに接する側面窓上端にも
Rがつけられ、シンプルさと優雅さを併せ持つスタイルとなった。
本形式で採用された車体デザインは戦時中に導入された900形、1500形、1600形、
1700形、2700形や特殊構造の800形などの一部を除いて改良を加えつつも継承され、
ドアや窓の配置も本形式のものがスタンダードとなった。
塗装は上半分がクリーム、下半分がグリーンのツートンカラーで、以後の名古屋市電
標準色となった。
なお、後年のワンマン化で塗り分けの境目に赤帯を巻いた車輛も存在する。
行き先表示は正面中央上部にあり、字幕式で側面と正面の系統表示はボードを掲示する
ものである。

車内はロングシートで中ドア付近にはスタンションポールが設置されている。
ドアは片側3ドアで両端ドアが2枚片引き戸、中ドアが通常の片引き戸である。
当初は手動であったが、後年のワンマン化改造の際に自動化されている。
床は平面ではなく、台車の心皿やモーターがある部分を中心に
ドアに向かって傾斜しており、乗降客への配慮と低床化を図っている。

主制御装置は抵抗制御(直接制御方式)でブレーキは発電ブレーキと
空気自動ブレーキである。
台車はブリル式の板バネ台車で客室部分のところでも述べたとおり、
ステップ部分の低床化をはかるため、モーターが無い運転台側の車輪の
直径を小さくした独自の台車を採用している。
モーターの駆動方式は吊り掛け駆動方式で中ドア側の車軸に1基ずつ搭載している。
集電装置は当初がトロリーポール、戦後はビューゲル、またはZパンタを搭載した。

導入後、目的どおり、博覧会会場への観客輸送に用いられ、動くパビリオンとしての
役割を果たした。
その後も路線の延伸や輸送力増強で増備され、3ドア車ならではの収容力を活かし、
軍需工場への通勤輸送などに重用された。
戦争では名古屋市内が壊滅的打撃を受けたなか、戦災車は5両で他に1両が事故で
損傷したが、全て復帰された。
復帰の際、製造に手間のかかる張り上げ屋根をやめて通常の屋根とされ1500形と
そっくりになったが本形式最大の特徴である窓のRが残されたため、
判別は可能であった。

戦後は路線の延長や戦争で疲弊した旧型車両の置き換えのため、次々に新車が導入され、
1800形電車以降はカルダン駆動の高性能車が登場した。
しかし、本形式は原設計のよさから使い勝手もよく、乗務員の評判も
高かったことから、それらが登場した後も主力車両として活躍した。
地下鉄東山線開業以前は広小路線の輸送力が逼迫していたことから、池下車庫などに
集中配置され、押し寄せる乗客を捌いたが、地下鉄の延伸で利用客が減少すると
他の車庫に転属して行き、市内全域で見られるようになった。

昭和41年より港車庫所属の車両からワンマン化改造が開始され、昭和43年以降、
全車がワンマンカーに改造された。
また、港車庫下之一色分所に配置された1444号と1445号は1600形と1700形の
牙城であった下之一色線で運用され、名古屋市電で唯一、全ての路線で運用された
車両となった。
また、ワンマン化と前後して窓のアルミサッシ化などの車体改修を実施している。

市電の廃止が開始され、後輩の電車が次々と引退して行く中、昭和46年までは
全車が健在でさよなら電車でも本形式が起用されるなど、昭和49年の全線廃止まで
名古屋市電の主力車両として君臨し続けた。

引退後、昭和46年に廃車された10両が豊橋鉄道に譲渡され、モ3100形として
冷房化改造を受けるなどして平成18年まで同線の主力車両として運用されていた。
現在はモ3102号車(←1466号車)のみが車籍を残し、名古屋市電最後の稼動車と
なり、イベントカーとして使用されていたが、平成23年2月に検査期限が切れとなり、
またICカード対応の運賃箱への交換も未実施であり、今後の処遇が注目されている。
この他に数両が民間施設や自治体、博物館などで保存ないし利用された。
主な保存車としては1401号車が名古屋市科学館に1421号車がレトロでんしゃ館に
それぞれ展示されている。


○車内。中ドア付近のスタンションポールが目立つ。


○客席床面。手前の少し飛び出して丸いパーツのある部分が心皿で鉄板の部分は
 モーターの点検口。それらを中心に床にスロープが付けられている。


○側面窓のR。戦災に遭った車両ですら失うことが無かった本形式最大の特徴。


○運転台。右のボックスがワンマン機器。


○台車。左がモーター付きの車軸となり、左右で車輪の直径が異なる。

タビノワ:次は秋か冬の入口に行こうかな~中部・関西を巡る旅 最終日~

2011-05-29 20:48:48 | レポート:タビノワ
■行程■
大阪上本町→近鉄大阪線→河内山内→近鉄信貴線→信貴山口
→近鉄信貴線→河内山内→近鉄大阪線→大阪上本町/谷町九丁目
→大阪市営地下鉄千日前線→阿波座→地下鉄中央線→弁天町

…交通科学博物館見学…

弁天町→地下鉄中央線→九条→阪神なんば線→尼崎→阪神本線→今津
→阪急今津南線→西宮北口→阪急神戸線→神崎川→阪急神戸線→十三
→阪急宝塚線→石橋→阪急宝塚線→梅田→阪急京都線→崇禅寺
→阪急京都線→茨木市→阪急京都線→南方/西中島南方
→地下鉄御堂筋線→新大阪→東海道新幹線「ひかり」526号→東京

3日間、全く同じ時間におき、全く同じ時間に朝食を食べて荷造りする。
やっぱ、朝食無しのプランで外の喫茶店とかのモーニングを
色々頼んでみたかったなぁ。
チェックアウトも機械にカードを通すだけで完了。大きい荷物だけは宅急便に
出すため、フロントに預ける。

ホテルを出て近鉄上本町駅へ。今日は交通科学博物館へ行く予定だが、開館まで
大幅に時間が余るので近鉄で信貴山口まで行ってみることにする。
地上ホームから、大阪線の準急で河内山本駅へ。
途中、近鉄八尾で鮮魚電車とすれ違う。折り返しで撮れればいいが・・・。
河内山本駅に降りると信貴線の列車までまだ大分時間がある。
少し撮影を楽しむが、この駅、大阪側はカーブの勾配、伊勢中川側は急カーブという
地勢にあり、信貴線への乗り入れのための信号や始発列車向けの信号機も多く、
かなり難しい。

10分ほど待って信貴山口行きの列車が到着。2両編成のワンマンカーだ。
河内山本駅を出ると右に大きくカーブする大阪線と分かれて左に大きくカーブしつつ、
信貴山を目指す。
勾配区間をゆっくり登っていくので沿線の眺めはいい。
たった2駅で終点の信貴山口に到着し、ケーブルカーのホームへ向かう。
信貴線とケーブルカーは直角で交わっている。
黄色いケーブルカーがドアを開けて待っていた。発車時間を見ると何と30分後・・・。
車内の写真などを撮りつつ1本電車をやりすごしたが、これも20分後・・・。
何となく西武狭山線や多摩湖線とレオライナーの関係を思い出す。


○信貴山口駅で待つ西信貴ケーブルカー。コ7形。この車両にはついてないが、
 山上へ物資を輸送するための貨車も存在する。

上にも上れず、下にも降りられず、待ちぼうけしてようやく河内山本行きの電車が
戻ってくる。行きと同じ車両であった。
これで河内山本に戻ってくると鮮魚電車とすれ違った。しまった!
次回来訪時にあいつを撮影することにしよう。

ここから大阪上本町方面へ折り返す。来た列車は上本町行きの準急。
まだラッシュの余韻残る9時半頃であるが、何と4両編成。
鶴橋まで結構な混雑だった。鶴橋で九条まで抜けられる阪神なんば線直通の
列車に乗り換えられたが、混んでいたので上本町終点まで乗り、
そこから大阪市営地下鉄千日前線に乗り換え。

地下改札から谷町9丁目駅まで延々と歩かされ、更に電車が行ったばかりで
少し待たされる。といっても大江戸線の節電運転で12分空きに慣れてきた
ところだったので気にはならない程度だった。
これで阿波座駅に出て中央線に乗り換え、弁天町に到着。
少し道に迷いながら、交通科学博物館に到着。10時半頃だったと思う。

交通科学博物館は関西版交通博物館の交通科学館としてオープンした国鉄時代からある
博物館で今回訪問する鉄道展示施設で最も古い。
敷地は大阪環状線の高架下を利用しており、屋内外に実車、モックアップなどが
文字通り所狭しと展示されている。
主な保存車はD51形2号機、C62形26号機、0系新幹線トップナンバー車、
リニアモーターカー試作車、80系湘南電車、キハ81形特急用気動車などである。
90年代にリニューアルされ、ある程度、展示物も更新されてはいるが、
リニアの展示などは鉄道リニア館に比べ、やや古臭い印象がある。
小学生の団体が来ていたが、先生の引率で全体説明を受けている間に、
撮影を済ます。自由行動に入られると苦労するからだ。
これを大宮で経験しているので今回の鉄道保存施設見学を平日の朝早く、
もしくは夕方に設定したのだ。


○交通科学博物館ML-500形リニアモーターカー試作車と0系第1編成。


○国鉄DD54形ディーゼル機関車。


○国鉄キハ81形特急用気動車。初めての特急用気動車。

凡そ1時間ほどで見学を終え、弁天町駅でしばし地下鉄中央線の電車を撮影。
近鉄7000系を目当てに何本か列車を撮影してから九条に出て、
九条から阪神なんば線に乗り換え、尼崎に出る。


○地下鉄中央線を行く近鉄7000系電車。

尼崎で阪神の西宮行き急行に乗り継ごうとしたら、最新鋭のジェットカー5550形が
急行ホームに入線。あわててカメラを構えたが動いてしまい、
車庫に入っていくところを何とか収めた。


○尼崎の引き上げ線に入る5550形電車。

後続の急行で今津に出て昼食休憩し、阪急今津線で西宮北口へ出て神戸線の普通列車で
気の向いた駅で軽く撮影しつつ十三へ。


○高架になった今津南線の西宮北口駅ホーム。後が西宮ガーデンでぺデストリアン・
 デッキに直結する改札も新たに設けられた。旧ホームは撤去されたが地上線は
 西宮車庫への入庫のため、線路は残され、更に踏切が一箇所、追加された。


○神崎川を通過する神戸線7000系特急。

十三駅から急行で箕面線との乗換駅である石橋駅へ出る。
ここで昨年箕面線ホーム車止めに設置された阪急100周年記念のプレートと、
川西能勢口の高架から、ゆったり降りてくる宝塚線電車を撮影し、今度は梅田に戻り、
梅田駅で何枚か撮影した後、京都線崇禅寺へ。
ここで京都線電車を撮影し、時計と睨めっこをしつつ茨木市まで出る。
茨木市から地下鉄御堂筋線との乗り換え駅である南方駅へ。


○石橋駅に入る9000系9003編成。本形式の最新編成(平成23年5月現在)。


○映画「阪急電車」のヘッドマークを付けて走る6000系。


○石橋駅箕面線専用ホームに設置された100周年記念プレート。


○崇禅寺駅を通過する京都線9300系9300編成の特急。

既に16時になろうという時間だったので、そのまま乗り換える。
相変わらずの長い階段を上らされる。エスカレーターのある梅田方面ホーム
経由のルートもあるが、そんな質面倒くさいことやってられない。
列車1~2本撮影して新大阪駅に到着。


○地下鉄御堂筋線電車。右が20系、左が10系。間もなく新鋭の30000系が入り、
 10系を置き換える予定。

新大阪駅で土産物と夕食の駅弁を購入してホームに上がる。現在新幹線の新大阪駅は
ホーム増設工事と耐震補強工事であちこち狭い。
その上、週末夕方のビジネス客と修学旅行生が入り乱れ、ひじょうに賑わっている。
17時過ぎに列車入線。「ひかり」526号東京行きで車両は行きの「こだま」と同じく
700系。例によって「ひかり早得きっぷ」グリーン車用でゆったり。
名古屋を過ぎたあたりで買ってきた駅弁を食べて、仮眠。起きたら新横浜の
手前だった。
車窓に流れる景色を見ていると何かがいつもと違う。何だろうと思っていると
照明が少ないことに気がついた。それでも明るいが、広告照明が
かなり絞られ、東京タワーは航空障害灯しか見えないという状況で
改めて東日本大震災の只中に帰ってきたことを思い知らされた。
減灯されて暗い東北新幹線のホームを見つつ、東京駅に到着。
今回の旅行の行程を終了した。


○東京駅に到着した「ひかり」526号。車両は700系C41編成(左)。

タビノワ:もっともっと遠くまでふわふわとれいん!~中部・関西を巡る旅4日目~

2011-05-26 20:15:06 | レポート:タビノワ
上本町六丁目→大阪市営バス→天満橋→京阪中之島線→中之島
→京阪中之島線-京阪本線→京阪三条/三条京阪→京都市営地下鉄東西線
→太秦天神川/嵐電天神川→京福電気鉄道嵐山線→嵐電嵯峨

…嵯峨野鉄道19世紀ホール見学…

嵐電嵯峨→嵐電嵐山線→嵐電嵐山→嵐電嵐山線→車折神社→嵐電嵐山線
→嵐電天神川/太秦天神川→地下鉄東西線-京阪京津線→浜大津
→京阪石山坂本線→石山寺→京阪石山坂本線→坂本→京阪石山坂本線
→近江神宮前→京阪石山坂本線→浜大津→京阪京津線-地下鉄東西線
→京都市役所前→地下鉄東西線→烏丸御池→地下鉄烏丸線→国際会館
…岩倉→叡山電鉄鞍馬線→修学院→叡電鞍馬線→鞍馬→叡電鞍馬線→出町柳
→叡電叡山本線→修学院→叡電叡山本線→出町柳→京阪鴨東線-京阪本線
→天満橋→大阪市バス→上本町六丁目

昨日と全く同じ時間で1階に降りると先客が3名待っていたのでそのまま並ぶ。
昨日も見た顔なのでこいつらが混雑の元凶の団体様のようだ。
手早く朝食を済ませ、部屋に荷物を撮りに戻ってホテルの目の前のバス停で
市バスを待ち、程なくやってきた大阪駅行きに乗る。
この上本町六丁目、略して上六は近鉄のターミナルと栄えただけあって、同じ路線に
同じ名前のバス停が3つもある。

しかも、この系統は一本となりの谷町筋を地下鉄谷町線が天満橋まで並行するが、
沿線に大きな病院や有名私立校があるため、利用客が多く混雑する。
大手前で遠くに大阪城を眺めつつ、天満橋に到着し、京阪電車に乗り換える。


○中之島から乗った7000系。

淀屋橋行きは混んでいるので空いている中之島行きで中之島に到着。
快速急行を待とうとしたが、向こう3本回送、普通、区間急行と来る気配が無いので
普通列車萱島行きに乗ることにする。
車両は7000系の新塗装車であった。しばらく来ないうちに新塗装が多くなった。
萱島で後続の普通出町柳行きに乗り換え、まったりと進む。
車両は6000系のトップナンバー。運転室の仕切りには鉄道友の会から贈られた
ローレル賞のプレートが輝く。
途中、枚方市などいくつかの駅で快速急行や特急の退避をしつつ、京阪三条に到着。


○京阪三条駅に着いた6000系の普通列車。

京都市営地下鉄東西線に乗り換える。来たのは京阪からの乗り入れ車800系。
これで終点の太秦天神川まで乗り、嵐電に乗り換える。
待っている間に向かい側の四条大宮方面ホームに車体側面にぬりかべなどの妖怪が
描かれたオバケ電車が走ってきた後、こちらにも列車が来た。
車両は610形でこちらも新塗装の紫1色にされていた。既にネットなどで見ていて
正直どうかと思っていたが、実物を見ると案外にあってる。
車内の座席まで紫にしたのは恐れ入った。


○オバケ電車のデボ631形633号車。ヘッドマークがハロウィンのカボチャだったのは
 御愛嬌。

これで嵐電嵯峨まで出てトロッコ嵯峨駅に向かう。緩やかな上り坂を歩くこと
10分ほどでJR嵯峨嵐山駅のすぐ隣りにトロッコ嵯峨駅の駅舎がある。
門を入ってすぐ、デゴイチと動輪のモニュメントが目に入る。
駅舎に入って左側の19世紀ホールに入ると目の前が喫茶で、
パイプオルガン、人車が左手の端に、右手には3両の国鉄本線用蒸気機関車
(C56、D51、C58)と若鷹号という小さな機関車が展示されている。
パッと見、3両の蒸気機関車が並んでいるように見えるが、真ん中のD51は第2動輪
部分までしかない。
というのもこの機関車、北海道の追分機関区で保存される予定だったものの
直前に起こった火災に巻き込まれた過去がある機関車で、他にあった機関車と共に
解体されたと思われていた。
しかし、実際は大阪にある金属メーカーが人知れず回収して無事な部分を修復し、
この19世紀ホール完成と共に公開したものである。
運転室のC56とC58は交代で乗務員室の公開をやっており、今日はC56の日であった。
この公開は職員の立ち会い付きで1組ずつ丁寧な解説付きで行われる。
ちなみにこの蒸気機関車公開スペースへの立ち入りは入館料500円(鉄風感の巨大
ジオラマ見学とセット)が必要で再入場は出来ない。





○19世紀ホール展示の機関車。上からC56形、D51形、C58形、若鷹号。


○C56形蒸気機関車の運転席。緊急時のブレーキ方法や入換運転時の操作方法など
 興味深い話が聞けた。

蒸気機関車展示スペースから今度は新しく出来た巨大鉄道ジオラマを有する
鉄風感へ。ここにはJR西日本で最後のブルートレイン牽引で活躍したEF66形
電気機関車の先頭部分が展示されており、別料金で運転席に座りながら、
模型の運転も可能である。この他に数台、電気機関車の運転台部品を用いた
鉄道模型運転スペースがある。運転台が電気機関車用なのでここの読者の方々なら
お分かりだと思うが、加速ハンドルが右、ブレーキが左となる。
こちらも別料金300円(10分)となる。私は大阪環状線103系電車を選択して
運転したが、中々ブレーキングが難しかった。



○巨大ジオラマとEF66形電気機関車先頭部分。

一通り楽しんだ後、丁度昼時に差し掛かっていたので嵐電で嵐山に出る。
ふと四条大宮方面ホームを見ると紙袋が放置されていたので中を見てみると
乾燥昆布のようなものが大量に入っていたので乗車した嵐山行き電車の
運転士に届け出た。
嵐山駅の上にある豆腐料理の店でランチセットを頂き、さてどうしようか・・・。
少し暑いなぁ・・・涼みたい・・・水・・・琵琶湖だ!
というわけで天神川へ戻り地下鉄東西線の京阪京津線直通列車で浜大津を
目指すことに決定。


○今月お目見えしたばかりの嵐電版「パト電」。


○車折神社駅と神社の森。


○天神川まで利用したデボ614号。意外に紫一色も似合う。

嵐電のホームに行くとパト電になったデボ100形がいたのでこれを途中の車折神社で
撮影して天神川に向かい、地下鉄に乗り換える。
折り良くホームに浜大津行きが入っていたので乗車。六地蔵行き1本を先行させて
発車した。
御陵駅までが地下で京阪山科から地上に出る。ここからは勾配の連続だ。
関西方面は急峻な地形が多いから電車は大変だ。


○浜大津駅手前で併用軌道を走る800系。地下鉄を走る電車が併用軌道を
 走行する珍しいシーン。

浜大津に着いて併用軌道区間を走る京津線電車や石山坂本線電車を撮影し、
まだ乗ったことが無い石山寺方面で終点まで乗車し、今度は坂本方面へ折り返す。
基本的に石山寺方面で進行方向左手、坂本方面で進行方向右手側に琵琶湖が
見え隠れする。


○浜大津駅を発車する石山坂本線の600形電車。坂本ケーブルカーの
 提携色となっている。

坂本で比叡山方面に向かおうと思ったが、時間が中途半端だったので結局、
そのまま折り返し、車庫のある近江神宮前駅で撮影。
列車数本を見送って浜大津に戻り、再び京都方面へ戻る。
乗車した列車が京都市役所止りだったので後続に乗り換え、1駅先の烏丸御池で
東西線に乗り換える。
昼が早めで小腹が空いたので駅中のベーカリーで小休止。
あんパンがとても美味しかった。

烏丸御池から終点の国際会館まで乗って、叡山電車の岩倉駅まで歩いてみる。
前々から気になっていたのでどの程度歩くものなのかと思ったら、
結構歩かされた。同志社大学付属の小中学校のわき道を抜けて更に住宅街を抜けること
約20分ほどで着いた。


○叡山電鉄800系電車。

ここから、軽く修学院駅に立ち寄って「どこかで見たアングル」で写真を撮る。
さて、まだ時間が余ってるということで最初に来た電車で適当なところで折り返そうと
思っていたら来たのが900系「きらら」。こうなれば1も2も無い。終点まで乗るだけだ。


○叡山電鉄900系電車「きらら」。

鞍馬まで乗り通して若葉が萌える沿線風景を楽しみつつ出町柳へ戻る。
まだ少し撮影したかったので修学院へ戻って軽く撮影して、出町柳で京阪に乗り換える。
流石に近鉄に乗り換えるのは体力的に厳しいので行きと同じコースを
折り返すことにする。

始発駅なので快速急行を利用することにする。3000系が来ることを期待したが・・・
来たのは6000系。ラッシュ時なので仕方ないと諦めて天満橋まで抜ける。
ロングシート車でラッシュとあっては夕景は楽しめず、読書などをしていたら
あっという間に着いた。


○天満橋に着いた6000系の快速急行。

天満橋から市バスで上六へ。上六のハイハイタウンで夕食をとり、
ホテルに戻った。


○天満橋駅と京阪シティモールをバスの中から。

タビノワ:播磨と西宮で見つけた可愛らしい者たち~中部・関西を巡る旅3日目~

2011-05-25 22:37:35 | レポート:タビノワ
■行程■
大阪上本町→近鉄難波線-阪神なんば線-阪神本線→阪神三宮
→阪神本線-山陽電鉄線→山陽姫路→山陽電鉄線→手柄

…手柄山中央公園・手柄山交流ステーション・モノレール展示室…

手柄山中央公園口→神姫バス→姫路駅北口/山陽姫路→山陽電鉄線→新開地
→神戸電鉄有馬線-粟生線→粟生→北条鉄道→北条町→北条鉄道→粟生
→神戸電鉄粟生線→鈴蘭台→神戸電鉄有馬線→鵯越→神戸電鉄有馬線→新開地
→阪急神戸線→西宮北口

…阪急西宮ガーデン&ダイヤモンドクロス記念碑見学…

西宮北口→阪急今津南線→今津→阪神本線→武庫川→阪神武庫川線
→武庫川団地前→阪神武庫川線→武庫川→阪神本線→尼崎
→阪神なんば線-近鉄難波線→大阪上本町

昨晩、団体が宿泊してるので朝食は早目か遅めでとフロントで言われたため、
6時15分におき、6時25分には1階の「やよい軒」へ向かい、開店と同時に入る。
ここでの朝食はご飯が御代わり自由の定食セットなので食べ過ぎが無くていい。
6時50分には一旦部屋に戻って準備を整えて、7時半過ぎにホテルを出て
近鉄上本町駅へ向かう。
駅構内の喫茶のモーニングのメニューを見てみると同じようなボリュームで
同じような値段帯なので素泊まりでこういう店を利用してもいいかもしれない。

朝ラッシュのど真ん中だが、次の次が大阪難波駅という大きな駅に停車するので
同駅で座席の確保に成功する。乗車したのは奈良線から直通の三宮行き快速急行。
車両は奈良線向け90年代型のVVVF制御の6連車である。
近鉄は形式がややこしいので思い出すだけで一苦労だ。
ラッシュ帯だけあってそれなりに混み合うが、かなり余裕があるように見えた。
座った座席の向いが六甲山側で天気がよく新緑が映えていた。
岩屋から地下に潜り程なく阪神三宮へ到着する。
同駅は改築の真っ最中で梅田側、新開地側とも仮設の柱が設置され始めていた。


○三宮行き快速急行と接続する普通高速神戸行きの5000系ジェットカー。


○阪神三宮駅の改装工事は今のところ(平成23年5月18日現在)こんな感じ。

三宮で向かいのホームに停車中の高速神戸行きのジェットカーをやり過ごし、
1本後の直通特急姫路行きに乗る。
車両は山陽電鉄5000系で明石の観光ラッピング車だった。
運よく海側のクロスシートを確保し、姫路へと向かう。


○山陽電車から眺めた明石海峡大橋。

しばらくは地下を走り、地上に出て住宅街を抜けると視界が開け、
海が見えてきた。
ここから明石まで、ほぼ海岸線に沿って進む。明石海峡大橋の下をくぐると
今度は内陸へ進路を変えて走る。
飾磨で網干方面と別れ、山陽姫路へ向かう。飾磨の車庫にダルマにされた古い電車の
廃車体を見かけた。側面に「201」という文字が見えるが、東二見で保存の200形とも
型が違う・・・。ご存知の方がいれば御教授願いたい。


○山陽姫路まで利用した5000系。

手柄駅を通過しつつ、駅と手柄山の位置関係や所々に見えるモノレールの廃線跡の
橋脚を見つつ山陽姫路駅に到着。
ここで普通電車で手柄駅に折り返す。しばし、撮影をしつつ折り返しを待ってると
向かいのホームに3000系第1編成が入線したのでこれを撮影。


○3000系電車。どっちもアルミ製だが、あちこち異なる。

程なく発車ベルが鳴ったので慌てて乗り込む。
そして奴と目が合った。

山陽電鉄系の広告代理店山陽アドのマスコットキャラクター「やまさん」だ。
程よい緩さと可愛らしさがツボにはまってしまった。
地方のローカル私鉄やバス会社で萌えキャラでヲタ層を取り込もうとしているが、
こういうキャラクターで勝負できないものだろうか?


○山陽アド「やまさん」。目指せ全国区。

手柄駅に到着し、手柄山公園に向けて歩く。近くに魚市場があるので周囲は
魚のにおいが充満している。
駅前の一本道を突き当たり、右折してしばらく行くと手柄山交流ステーションの
案内看板が見えてきたのでそれに沿って進む。
急な坂を少し登ってエレベーターで上に行くとかつてのモノレールの駅の口が
そのまま入場口になっていて、館内に入るとモノレールが睥睨するように出迎えて
くれる。入口でパンフレットを貰って、更に上に行くとかつての手柄山駅を
改装した姫路モノレール展示室となる。


○ホームにすえつけられた200形2両。

車両は200形×2両で姫路側の1両が車内も公開されており、姫路側運転室助手席側に
テレビモニターを設置して開業時の映像を見られるようにしている(このすぐ後の
座席は撤去)。
電気系統はいじられたようであるが、外装は基本的に清掃だけで再塗装が
された形跡は無く、幌座をつけていた跡が正面にくっきり残っていた。
さすが屋内にモスボールされていただけあって状態は良かったようである。
ホームには姫路博覧会開催時の会場の模型や解体された100形電車の部品類が
展示され、時刻表や時計、ホームに設置されていた当時の広告まできれいに
復元されているほか、屋外には台車一式が置かれ、かなり丁寧な展示となっている。


○屋外に置かれた台車。

各展示物を見て周った後、旧駅舎のあった緑の相談室の横の展望スペースから、
姫路駅方面を望んでみた。まだ、あちこちにレールが残り、営業時の沿線の見せ場の
一つであった新幹線の下をギリギリでくぐっていた部分の線路も残っていた。
その後の高層住宅は旧大将軍駅跡である。姫路駅の跡は山陽百貨店になって
今は無い。


○手柄山から姫路駅方面を望む。新幹線後方中央左が大将軍駅跡のアパート。
 その左には姫路城があるが幕を被っていて現状を窺い知ることは出来ない。

手柄山から降りて姫路駅に戻る。近くにバス停があるようなので行ってみると、
丁度よく走って来るのが見えたのでこれを利用した。
大手前から姫路城を見るとフルクロスで何も見えない。

姫路駅前バス停が山陽姫路駅前だったのでそのまま山陽電車で新開地へ向かう。
車両はやはり5000系で梅田行きの直通特急。さっきの5000系は転換クロスだったが、
こっちは集団離反式の固定クロスだった。
やはり海側で陣取り、車窓を楽しむ。

新開地で神戸電鉄に乗り換えるが利用予定の列車まで時間があるので
高速そばで昼食とする。頼んだのはハイカラうどん。
どんなのだろうと思ったら、タヌキうどんだった。
ママさん2人で切り盛りしてて、駅員室にもって行く出前のざるそばも
美味そうだった。今度来た時頼んでみるか。

昼食後、粟生線の粟生行きで終点を目指す。前回は押部谷で折り返したが、今回は
時間があるので最後まで乗り通す。車両は2000系だった。
湊川を出ると長田まで急勾配を登る。神戸電鉄はとにかく勾配が多い。
鈴蘭台から粟生線に入る。
途中、山あり渓谷ありの中々多彩な沿線風景が続く。神戸の中心地から1時間とは
思えないような田園風景を進んで終点の粟生に到着する。


○粟生駅に到着した神戸電鉄2000系。

ここからそのまま折り返すのも芸がないので北条鉄道に乗り換える。
木造の跨線橋を渡り、北条鉄道のホームに降りると丁度よく列車到着。
車両は2000形-1号車。車内はセミクロスシートで便所は無い。
神戸電鉄とは異なり、平坦な路線を淡々と進む。
北条町に付き、駅事務所で帰りの切符とチョロQを買う。窓口には東日本大震災で
被災した三陸鉄道から贈られた部品が飾られていた。案内によれば北条鉄道の社長が
被災状況の視察に出向いた際にもらったそうである。


○北条鉄道の気動車。右は元三木鉄道の車両を譲り受けたもの。

○JR加古川線電車。左が125系で右が103系3500番台。
 このラッピング電車は間もなく通常塗装に戻される。

北条町から折り返し、粟生に戻り、新開地方面に戻る。



○鈴蘭台で事業用電車と1100形。


○鵯越に降りてくる5000系電車。

途中、鈴蘭台と鵯越で降りて撮影した後、新開地で阪急神戸線の特急に乗り換える。
車両は阪急7000系だった。
16時を過ぎ、17時に近付いているが日が傾きかけているが5月だけあってまだ高い。
これで西宮北口で降り、阪急西宮球場跡に出来た西宮ガーデンに向かう。
西宮ガーデンはららぽーとなどと同じようなショッピングモールであるが、球場跡を
利用しているだけあって、かなり広い。
ここで友人からダイヤモンドクロスの碑があるときいていたのだが、館内をくまなく
探しても見当たらないので受付嬢に道を聞く。
すると敷地外の緑道沿いにあると丁寧に説明された。さすが「会社は人也」の阪急。
こんな鉄ヲタの質問でも懇切丁寧に対応してくれるとは素晴らしい。
説明されたとおり、外に出て緑道を進むと線路が現れ、ダイヤモンドクロスに
辿りついた。
これを撮影しようとカメラを構えるとヌシがお出でであった。
野良だろうが、かなりいい体格で私がカメラを構えても身じろぎ一つしない。
ネコはやっぱ堂々としているというか、ちょっとふてぶてしい位が丁度いい。


○ダイヤモンドクロス記念碑と西宮ガーデン。


○ダイヤモンドクロス記念碑のベンチ下にいたネコ。

これを撮影して西宮北口駅に戻り、今津線で今津へ。乗り換えの合間に阪神今津駅の
エキーマで夕食後、阪神線に乗り込む。18時半を周っているが、まだ何とか
日が出てるので、武庫川で降り、武庫川線に乗る。
この線を撮影するのはラッシュ時に限る。


○武庫川駅へ入る梅田行きジェットカー。


○武庫川団地前駅に到着した武庫川線電車。

運用車は2本とも同型だったのでそのまま1往復だけして戻り、尼崎経由で
大阪上本町へ戻る。
まだ地上側のホームで撮影したことがなかったので、そちらで撮影後、
ホテルに戻った。


○大阪上本町駅地上ホームで撮影した22000系「Ace」と2410系。

タビノワ:尾張・名古屋のモグラたち~中部・関西を巡る旅2日目~

2011-05-23 21:10:39 | レポート:タビノワ
■行程■
ホテル…名鉄名古屋→名鉄犬山線→上小田井→名古屋市営地下鉄鶴舞線→赤池

…レトロ電車館見学…

赤池→地下鉄鶴舞線→御器所→地下鉄桜通線→徳重→地下鉄桜通線→
→新瑞橋→地下鉄名城線(左回り)→大曽根→名古屋ガイドウェイバス
ゆとりーとライン→小幡緑地→名古屋市営バス→新守山駅/新守山→JR中央本線
→大曽根→名鉄瀬戸線→栄町/栄→地下鉄東山線→高畑→地下鉄東山線
→名古屋/近鉄名古屋→近鉄名阪ノンストップ特急「アーバンライナー」next
→大阪上本町…ホテル

朝、早めに目が覚めて荷物の整理をして朝食会場へ。朝食は和食と洋食バイキングが
選べたが、ご飯が食べたかったので今回は和食にした。
朝食を終えて部屋に荷物を取りに行ってホテルを出る。
一旦、すぐ・そこの大名古屋ビルヂングに入っているサンクスで名古屋市交通局の
地下鉄・バス共通一日乗車券を購入して、近鉄名古屋駅のロッカーに荷物を預けて
ラッシュの混雑が比較的緩い名鉄名古屋駅へ。
来たのは3500系の犬山・各務原線経由の急行名鉄岐阜行き。
運よく座席を確保して地下鉄鶴舞線との乗り換え駅上小田井へ。
ここから始発の赤池行きで終点まで通して乗る。車両は名鉄100系。
ローレル賞プレート付きの初期車だった。
オール固定窓・完全空調の通勤形電車のはしりとなった車両で横引きカーテンに
柔らかな座り心地の座席など、コストダウンというよりも2世代くらい前の
名鉄電車の意匠そのものといった雰囲気である。

上小田井を出てすぐ地下に潜り終点の赤池まで全線地下である。
御器所ぐらいまではラッシュらしい混み方であったが、それを過ぎると一気に空いた。
赤池には9時20分ごろ到着し、地下鉄日進工場の敷地内にあるレトロでんしゃ館へ
向かう。
道案内は駅構内に貼ってあったので、そのとおり進んでみると、あっさり見えてきた。
が、横断歩道が遠い。
駅の2番出口から十六銀行の路地を入ってすぐ突き当たりにあるのだが、
手前の道が国道で交通量が多く、とてもじゃないが渡れない。
で、左右を見渡して横断歩道を探し、150mほど先の信号を渡って到着した。


○地下鉄工事で用いるシールドトンネル用掘削機。

正門をくぐると巨大な複線シールド掘削機が出迎え、レトロでんしゃ館は
工場庁舎の裏にある。
9時半に着いたが、まだ開館時間前なので入口のベンチでしばし待つ。
10時開館であるが、少し早めの9時57分ごろ開放してくれた。

ここには名古屋市電3両と地下鉄電車2両が保存・展示されている。
入館は無料であるが、内容は充実しており、曜日によっては工場見学も
可能なそうで(一般は月曜と金曜。予約定員制)正直、入館料をきちんと
とった方がいいと思える内容である。
無料で入館できる気軽さが災いし、パッと見、状態の良さそうな車両たちであるが、
ワイパーや乗務員室扉の損傷があり、「タダだから来た」下衆な親子連れなどに
痛めつけられた跡が散見される。
こうした歴史的資料をきちんと税金で保存する以上、きちんとしたセキュリティと
展示品修理の資金を捻出するためにも料金は取ったほうがいい。
もっとも「節税なも~減税だぎゃ~」の河村市長の間は無理だろうが。

さて、平日の午前中とあって館内は貸しきり状態で撮影できた。
館内は決して広くは無いが、それなりに写真撮影は可能である。


○地下鉄東山線開業時に導入された100形電車。


○名古屋市電を代表する名車1400形電車。引退後、一部が豊橋鉄道で
 モ3100形として活躍し、最近まで現役であった。

30分ほどで一通り見学を終え、赤池駅へ戻る。目の前に近道があるのに
この無駄な遠回りは何だ・・・歩道橋欲しい・・・。
そんな事を思いつつ、赤池駅ホームに下りると丁度のタイミングで
3050系の上小田井行きに乗車。


○地下鉄鶴舞線3050系。

上小田井開業を期に導入された車両で初期VVVF車らしい走行音も高らかに走る。
御器所で桜通線に乗り換えて今年3月に延伸した野並~徳重間を乗り潰す。
この線も5両編成中3両が電動車とあって走行音が大きい。
徳重に到着してそのまま折り返し、まだホームドアが設置されていない
名城線との接続駅である新瑞橋駅でしばし撮影する。
新車6050系を撮るためだが、やはり数が少ないので中々走ってこない。
5~6本やりすごし、そろそろ移動かなと思ったところで、徳重行きで
6000系の試作編成6101編成が入線。特徴ある車番を撮って、これでいいかと
ふと横を見ると6153編成が既に入線して発車サイン鳴動中。
大慌てで前に回りこんで撮影した。


○桜通線6000系第1編成。客室設備や車番書体が他の車両と異なる。


○名古屋市営地下鉄最新鋭電車の6050系。本当にギリギリ撮影した1枚。
 
撮影を終えて名城線環状部の未乗車区間を左回りで乗り潰し、大曽根で下車。
ここで昼食休憩後、名古屋ガイドウェイバスゆとりーとラインに乗り込む。
ガイドウェイバスは通常のバスにガイドローラーを設置して、専用道路の両脇にある
レールに沿って走る乗り物である。車両自体は普通の路線バスそのものなので一般道も
走行可能である。


○専用道から一般道に降りてきたガイドウェイバス。タイヤの前後にガイド用の
 車輪が見える。

専用道走行中はステアリングの必要が無いので運転士はハンドルを握らないで
アクセルとブレーキ操作だけである。
ナゴヤドーム以外は殆ど住宅街なので、車窓の眺めはいい。
小幡緑地で降り、ガイドウェイ→一般バスへのモードチェンジを見学後、
丁度走ってきた市バスで新守谷駅に出て中央線で大曽根に戻る。
車両は211系だった。


○中央本線を行く211系電車5000番台。

大曽根で名鉄瀬戸線に乗り換える。少し天候が怪しいが・・・。
新鋭の4000系電車を撮影して、その折り返しを待っていたら、割と本格的に
雨が降り出してきたので6000系の栄町行きで終点まで乗る。


○名鉄4000系電車。今後数年をかけて瀬戸線の電車は本形式に置き換わる予定。


○大曽根で4000系を待ってる間に撮影したEF64形1000番台の重連貨物列車。

栄町でしばらく撮影するも走ってくるのは6000系ばかり。
ようやく走ってきた6600系電車を撮影し、地下鉄名城線2000系をスナップして
地下鉄東山線を名古屋方面へ。


○名鉄6600系電車。色々と独自のスタイルで妙に野暮ったいところが
 なんとも瀬戸線らしい。。


○乗り換えの合間に撮影した名城線2000系電車。名城線の路線名は長く
 大曽根~名古屋港間と金山~新瑞橋間を示す総称的な路線名だったが、
 環状区間全通と共に環状部分を名城線、金山~名古屋港間を名港線と
 称するようになった。

既に15時を回り、17時の近鉄特急まであとわずかだが、中途半端に時間が余ったので
東山線を終点の高畑まで乗ることにする。
栄から名古屋までは昼過ぎとはいえ鮨詰状態だったが、名古屋を過ぎると一気に空く。
高畑に到着し、とりあえず、時間の許す限り撮影をすることにし、5000系、
若しくはN1000系が来たら名古屋に折り返すことにした。
撮影すること30分ほどで5000系電車入線。


○東山線5000系電車。以前の主力車で東山線最初の冷房車。
 既に一部で置き換えが開始されている。

これで折り返して名古屋に戻る。
名鉄百貨店の地下食料品売り場で近鉄の中で食べるおやつを物色して
近鉄名古屋駅へ。
改札の場所の道を何度か迷いようやく到着する(階段一本間違えてた)。
時計を見ると16時半過ぎ。
丁度いいタイミングで改札に入り、特急ホーム近くの待合室でしばし待機・・・
しようとしたら賢島行きビスタカーが走ってきたのでこれを撮影して
乗車位置で待機。

ビスタカーが出て行った後、すぐにアーバンライナー入線。車両はnextの方である。
今回、往復とホテルをケチった分でデラックスカーを確保している。
荷物を網棚において座席に座ったら程なく発車。
通勤ラッシュの入りだが、快調に飛ばしていく。通路上の液晶ディスプレイには
前面展望の映像が流されている。以前乗車した時は日没後だったが、
今回はまだ日があるので、流してくれていたようだ。


○アーバンライナーnextデラックスシート車内。

伊勢中川のデルタ線を通過し、鈴鹿の山奥を進んでいく。
遠くに沈む夕日を眺めつつ少し転寝。起きたら大和八木に停車中。
このあと、鶴橋に停車し、今回のホテルの最寄り駅である大阪上本町駅で下車。


○大阪上本町駅地下ホーム到着。右は奈良線の快速急行。

ホテルに到着してチェックインする。ホテルはダイワロイネットだが、
入金システムが機械化されており、中々面白いチェックインシステムであった。
エレベータもフロントより上の客室へ向かう場合はカードキーでロックを
解除しなければならない特殊なものだった。
部屋に荷物を置き、近くの上等カレーで食事。
中々気さくなマスターで聞けば摂津の新幹線鳥飼車庫の近くで育ち、
近畿車輛でバイトしてたこともある人だったが、特に鉄道趣味というわけではないと
いう人だった。
ただ、門前の小僧~だけに知識は広く、色々話に華を咲かせていたら、
清掃の時間になったとのことなのでおいとまし、ホテルに戻った。

タビノワ:始まりは尾張の街から~中部・関西を巡る旅・1日目~

2011-05-21 12:55:24 | レポート:タビノワ
■行程
東京→東海道新幹線「こだま」649号→名古屋→あおなみ線→金城ふ頭

…鉄道リニア館…

金城ふ頭→あおなみ線→荒子→あおなみ線→南荒子→あおなみ線→名古屋

夜勤明けで申し送りもそこそこに都バスで東京駅へ急ぎ、10時半過ぎに到着。
東海道新幹線の改札へ向かう。
工事中の八重洲口を南から中央へ移動して新幹線専用改札から入る。
今回は、まずは名古屋に向かうが、乗車券がいつもと違う。
というか、乗車券ではなく「ぷらっとこだまエコノミープラン」という
JR東海ツアーズ発行の旅行プランを利用した。
降車が名古屋であり、所要時間が片道2時間50分程と長時間になるので
これのグリーン車プランにした。
通常期8900円也でまともに利用した場合よりも5000円以上安い(普通車と比較しても
2000円ほど安い)。
これにドリンク1杯引き換えが付くのだから、超がつくほどお得である。
ただし、改札が新幹線改札のみであること、乗車券ではないことから在来線乗継が
できないことと乗り継ぎ割引が適用されないこと、指定列車に乗り遅れた場合の
払い戻しが一切出来ないことと後続列車の利用もできないこと、払い戻し手数料が
乗車10日前から雪だるま式に増えていくことなどリスクも高い。
普通に利用する分には問題ないが。


○700系のグリーン車客室。ぷらっとこだまは東京~名古屋間8900円で利用可能。

ホームに上がり売店で駅弁を買い、飲み物をクーポンで引き換えて列車到着を待つ。
程なくして列車が入線。車種は700系だ。
車内清掃を待ち、発車5分ほど前に車内に入ることが出来た。
やっぱりグリーン車はいい。
「こだま」なので御絞りも配られず、少々格落ち感は否めないが、
700系は今も「のぞみ」で走っている車輛であり、同じ設備をこの割引料金で
乗れるのはありがたい。
違いは速いか遅いかである。




○東京駅で買った駅弁「鶏づくし」。分量的には丁度よかった。

定刻に東京駅を出発し、退避可能な駅で後続の「のぞみ」や「ひかり」に
道を譲りながら各駅停車で進む。
新横浜を過ぎ、駅弁を平らげた後、ちょいと転寝。
目が覚めたら新富士の鉄橋を渡っていた。富士山は雲の中で全く見えない。
静岡、掛川、浜松と停車し、豊橋に到着する。
車窓から構内に留置されている電車などを眺めていると、向かい側のホームを
歩いていたどう見ても鉄道をあまり知らなさそうな人が突然カメラを構え始めた。
何が走ってくるのか・・・もしや!
と思った瞬間、窓が末期色・・・もとい黄色に染まった。
ドクターイエローだ!
知ってれば降りて撮ってたのに・・・。


○ドクターイエロー。写真は先代のもの。

ドクターの後、N700系を1本通して出発、三河安城に停車して名古屋に到着する。
新幹線改札から外に出て、一番近い地下街エスカのコインロッカーに荷物を預けて
あおなみ線の改札へ向かう。
案内図に沿って進んでみると、名古屋という大ターミナル駅とは思えないほど、
なんとも小ぢんまりとした改札があった。
改札から中に入ると、そこから先は広かった。
ホームに上がると列車が発車待ち。
車両は外観が京成3000系、車内がJR九州815系といった感じの1000系という電車だ。
これで終点の金城ふ頭へ向かう。


○名古屋駅に入るあおなみ線1000系電車。

元々が貨物専用路線だったため、港湾の工業地帯をゆったり進む。
途中までは臨港鉄道と名古屋貨物ターミナルなどの留置線が広がる中を
進んでいく。
終着の金城ふ頭で降り、初日にして今回の最大イベントである鉄道リニア館へ。


○エントランスに置かれている展示車両。手前からC62形17号機、300X、MLX01。


○エントランスにて展示されているC62形17号機。狭軌の蒸気機関車の世界最高速度
 129km/hをたたき出した。ここに収蔵されるまでは名古屋市東山動植物園で
 展示されていた。

鉄道リニア館は過去の鉄道車両を中心に41両(鉄道車両×40両/バス×1台)の実物を
展示する博物館である。
運営はJR東海で東海道新幹線を擁する同社だけあって、関連の展示が多い。
展示車両も中京地区周辺で活躍した車両が中心であるものの、通常は保存されにくい
中間車も展示されているところにこだわりを感じる。
実物展示は実質3部構成でエントランスにC62形17号機ほか、世界最高速度を出した
レコードホルダー2両、車両展示室に明治~昭和の在来線車両と0系から300系までの
新幹線車両、その奥には展示室に入りきらなかった車両がずらりと並ぶ。
鉄道模型ジオラマやシミュレーターは向かって右側中央付近(ED18形2号機が
展示してある近く)にある。
シミュレーターは抽選制で入場時に貰う抽選券を受付に提出する必要がある。
館内向かって左側には新幹線の走行システムや自動改札機体験コーナーがあるほか、
屋外には117系電車3両が休憩所になっている。


○展示室全景。


○展示室にてモハ1035。大正前期の代表的な国電。
 台車周りにガラスの柵があるのがお分かりいただけるだろうか?

各展示車両には安全策としてステップ類をガラスケースで覆っている他、
台車やスカート周りにガラスの柵を設けて入れないようにしている。
座席類には座れないように注意板が置かれている。


○奥に展示されているモハ63形電車。戦後を代表する国電。
 隣りは165系のグリーン車サロ165。珍しい中間車の展示。

鉄道博物館に比べ、各車両、余裕を持って展示されているため、あの圧迫感がなく、
同館の101系電車や200系新幹線、20系客車の様に周りにまったく引きがない場所も
少ない(それでも場所によっては広角レンズ必要)。
2階は部品類や模型の展示、プレイルーム、体験学習室などがあるほか、中部地区の
駅弁を楽しめる休憩室があるほか、ちょっとした休憩のできる場所として
300系新幹線のグリーン車の椅子を置いてあった。

一通り展示を見終え、休憩室で新幹線アイスを購入して休んだ後、鉄道リニア館を
後にして金城ふ頭駅へ向かい、あおなみ線へ。
とりあえず、あおなみ線電車と臨海鉄道の機関車を荒子と南荒子で撮影。
もう少し、他の駅で撮影したかったが、鉄道リニア館の閉館時間の17時が迫っており、
それでなくても夕ラッシュの時間になるため、中断して名古屋に向かう。


名古屋臨海鉄道のディーゼル機関車。

名古屋で降り、ロッカーの荷物を回収してホテルに向かう。
今回は駅前の大名古屋ビルヂングの裏にあるビジネスホテルを確保した。
部屋は凄く狭く窓からはホテルの裏庭しか見えないが名駅前で
朝食付き6200円ならこんなものだろう。

しばし休憩し、仕事を終えた友人と夜の街へ繰り出した。


○ツインタワーから見た名古屋市内。手前が大名古屋ビルヂング。
 来年で取り壊され、新しいビルが建つ予定。そうなるとここから
 名古屋城を見られなくなる。

駅周辺の店で適当に飲み食いして23時過ぎにホテルへ戻った。

お知らせとご案内:中部・関西へ訪問してきます

2011-05-15 22:58:50 | お知らせとご案内
明日(5/16)から旅行に出ます。詳しい内容はタビノワでご覧いただくとして、
大雑把なスケジュールは以下の通りです。

5/16
東京→東海道新幹線「こだま」→名古屋→あおなみ線→金城ふ頭
・・・鉄道リニア館見学・・・
金城ふ頭→あおなみ線→名古屋・・・ホテル・・・名古屋駅、若しくは名鉄神宮前駅で撮影。
20時以降友人と待ち合わせ。

5/17
名古屋→名古屋市営地下鉄東山線→伏見→名古屋市営地下鉄鶴舞線→赤池
・・・レトロ電車館見学・・・
赤池→地下鉄鶴舞線→御器所→名古屋市営地下鉄桜通線→徳重
→名古屋市営地下鉄桜通線→新瑞橋→名古屋市営地下鉄名城線(外回り)→※
※時間があれば砂田橋→ゆとりーとライン→大曽根。
 時間が無ければそのまま乗車。
→大曽根→名鉄瀬戸線→栄町/栄→地下鉄東山線→名古屋/近鉄名古屋→
近鉄アーバンライナー→大阪上本町・・・ホテル

5/18
大阪上本町→近鉄・阪神なんば線→三宮→山陽電鉄→山陽姫路→バス→手柄山
・・・姫路市営モノレール見学・・・
手柄→山陽電鉄→山陽姫路→山陽電鉄→新開地→神戸電鉄→粟生(※→北条鉄道
→北条町→北条鉄道→)粟生→神戸電鉄→鈴蘭台→谷上→北神急行・神戸市営
地下鉄山手線→三ノ宮/三宮→阪急神戸線→西宮北口
(・・・西宮ガーデン・・・)
西宮北口→阪急今津南線→今津→阪神・近鉄なんば線→大阪上本町・・・ホテル
(※)時間の都合で乗車しない場合もあり。

5/19
上六→市バス→天満橋→京阪中之島線→中之島→京阪電鉄→三条/三条京阪
→京都市営地下鉄東西線→太秦天神川/嵐電天神川→嵐電嵐山線→
嵐電嵯峨
・・・嵯峨野トロッコ19世紀ホール見学・・・
嵐電嵯峨→嵐電嵐山線→嵐電嵐山→嵐電嵐山線→・・・以降未定。

5/20
概ね阪急なら夙川-茨木市程度の範囲で周回。
新大阪→東海道新幹線「ひかり」→東京・・・お疲れ様でした!

福井鉄道 デキ10形電気機関車

2011-05-14 21:05:44 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
福井鉄道の前身である福武電気鉄道が開業時に荷物輸送用に導入した車両である。
大正13年に2両が製造された。
製造を担当したメーカーは梅鉢鉄工場である。
当初の形式はデワ1形で、車種も電動貨車であった。

車体は木造(フレームは鋼鉄製)で荷物室は屋根付き・箱型の有蓋タイプである。
正面は非貫通の3枚窓(当初は真ん中と右側だけの2枚)でヘッドライトは
当初は窓下であったが、現在は窓上にある。
登場時の塗装は不明だが、戦後は概ね濃い目のブルー一色である。

主制御装置は抵抗制御で当初は直接制御方式でブレーキはハンドブレーキと
発電ブレーキのみであった。
台車は2軸式で駆動方式は吊り掛け駆動であった。

主に戦線は福武線、戦後は南越線の荷物輸送や構内入れ換えに従事し、
戦争、福井地震、九頭竜川の大洪水など数々の大災害を耐え抜いた。
昭和28年にブレーキに空気直通ブレーキを増設した。
昭和34年には台枠の更新、台車のボギー化、モーター交換などの大規模な
更新改造を実施し、昭和44年には台車を再度更新した。

昭和55年には運転台部分の鋼体化、電動発電機増設、主制御装置の
HL(間接非自動)制御化が実施され、ほぼ現在の姿になった。
この改造で電動貨車から電気機関車に車種が変更され、形式もデワ1形から
デキ10形に変更された。
デワ2は単車のまま使用され、上記の更新を受けることなく廃車されている。

電気機関車に車種変更後、南越線が廃止されたため、主に福武線西武生工場の
入換用となった。
冬季は複線用ラッセルを装着して軌道線の除雪用に福井新(現・日赤前)の留置線で
待機していることが多い。
昨今は冬でも雪が少ないが、平成23年1月末~2月上旬にかけて昭和56年豪雪以来の
大雪に見舞われ、市内線に顔を出している。
平成23年現在、福井鉄道最古の電車で登場後、87年を経た今も大切に使われている。

熊本市交通局 1090形電車

2011-05-13 22:36:49 | 電車図鑑・路面電車
熊本市電の経営効率化を図るため、188形及び190形電車にワンマン化改造を施した
車両である。
昭和43年に両形式を併せて7両が登場した。
元々の製造年は188形が昭和30年、190形が昭和32年で製造を担当した
メーカーは東洋工機である。
旧番号との対比は以下の通り。

191号→1091号 192号→1092号 193号→1093号 194号→1094号 

195号→1095号 188号→1096号 189号→1097号

ワンマン化に際して191~195号は1と9の間に0を挟み、188号・189号は車番そのものを
変更している。

車体は普通鋼鉄製で180形(→1080形)をベースにしつつ、熊本市電オリジナルの
車両としては初めて窓上部を補強するための帯金(ウィンドヘッダー)を
無くした。
正面は3枚窓の非貫通でヘッドライトは窓下でかなり低い位置にある。
行き先表示は正面が字幕式、系統表示と側面の行き先表示はサボである。
塗装はクリームに紺色の帯であったが、現在はホワイトにライトグリーンの帯である。
ただし、全面広告となってる電車が多くオリジナルカラーの電車は少ない。

車内はロングシートで床面は木製である。
ドアは2ドア・片引き戸で設置位置は前中式となっている。
ワンマン設備は対距離運賃式のものであったが、全区間運賃均一化に伴い、
運賃表と整理券発券機が外されている。
側面窓は上段固定・下段上昇のバス窓で本形式以降に製造された1200形、
1350形も同様のスタイルとなった。

主制御装置は抵抗制御(直接式)でブレーキは発電ブレーキと
空気自動式ブレーキである。
台車は軸守式の金属ばね台車で枕バネにはコイルバネを熊本市電で初めて採用し、
乗り心地の向上を図った。
モーターの駆動方式は吊り掛け駆動式である。
当初、非冷房であったが、昭和56年に冷房化改造を実施した。
集電装置は当初よりZパンタであった。

登場以来、熊本市電の主力車両として全線で終日運用されている。
既に製造後50年を経過しているが、今日(平成23年4月)まで1両の廃車も出ていない。


○車内。床は木製。




○広告塗装になっている車両。系統番号は平成23年より「A」系統と「B」系統に
 変更されている。

国鉄 121系電車

2011-05-11 20:45:49 | 電車図鑑・国鉄型一般用車両
予讃本線の高松~坂出間、多度津~観音寺間、及び、土讃線の多度津~琴平間の
電化に伴い導入された四国の国鉄で初めての電車である。
民営化直前の昭和62年に2両編成×19本=38両が製造された。
製造を担当したメーカーは東急車輛、川崎重工、日立製作所、近畿車輛である。
固有形式と編成の組み方は以下の通り(左が高松側)。

クモハ121形+クハ120形

クモハ121形:高松側に運転台を持つ制御電動車。集電装置、制御装置、電動発電機、
 空気圧縮機の走行に必要な機器類を一揃え搭載しており、1両単独での走行も
 機能的には可能だったが、後年の改造で電動発電機を撤去し、単独走行は
 できなくなった。
クハ120形:琴平・松山側に運転台を持つ制御車。運転台以外、特に機器を搭載して
 いなかったが後年の改造で静止型インバータ(SIV)を設置した。
 
車体はオールステンレス製で205系や207系900番台と同じく裾絞りの無いスタイルの
ものを採用した。
正面は貫通型で飯田線で導入されていた119系や福塩線の105系(新造車)の流れを汲む
ものである。
塗装は正面窓周りがブラックで、側帯は登場時がピングがかったレッド、
民営化後はJR四国のコーポレーションカラーであるマリンブルーで
窓上に細帯、窓下に太帯がそれぞれ入る。
なお、一時期、第9編成が正面のみ警戒色として赤帯を入れられていたことがある。
行き先表示は正面が字幕式、側面がサボである。

車内は戸袋部分と車端部をロングシート、他を4人向き合わせの固定クロスシートの
セミクロスシートである。
高松近郊での短~中距離の運用をコンセプトとしたため、便所の設置はされていない。
ドアは片側3箇所、両引き戸で半自動ドアにすることも可能である。
半自動モードの時は当初、手で開ける方法であったが、後年の改造で開放・閉鎖が
可能なドアスイッチが各ドア横に設けられた。
客用窓は一段上昇式で、同時期に製造された車両の中でも異色の存在となっている。

主制御装置は抵抗制御で生産コストを下げるため廃車となった電車のものを流用した。
ブレーキは発電ブレーキ併用電気指令ブレーキである。
台車は103系のものに改良を加えた軸箱支持がウイングバネ式のコイルバネ台車で
クハ120形の台車は101系の廃車発生品をそのまま流用している。
モーターの駆動方式は中空軸平行カルダンでこちらは105系電車(新造)と
同じものを採用した。
したがって、性能面では105系と同等といえる。
このほか、補助電源装置は廃車された485系の食堂車(サシ481形など)の電動発電機を
流用している。
運転台は他の車両と操作を合わせるためツーハンドル式で踏切事故を考慮し、
高運転台となっている。

本形式は国鉄が民営化後に経営基盤が脆弱な地域へ、厳しい財政の中、
将来への布石として投入されたもので四国では同時期に気動車のキハ54系0番台と
キハ32形が入線している。
製造を担当したメーカーは全て本州のメーカーである為、四国へは宇高連絡船で
入線し、全車が高松運転所に配属となった。
なお、東急車輛製の車両は試運転で横須賀線に入り、品川まで顔を出したことがある。

入線後の主な改造は既述の帯色変更、半自動ドアの操作スイッチ設置のほか、
集電装置の狭小トンネル対応のものへの交換、補助電源装置(電動発電機)の
老朽化による故障多発のため静止型インバータへの交換(第18・19編成のものは
廃車された111系のものを流用)、補助電源装置の設置位置をクモハ121形から
クハ120形へ変更するなどである。

運用区間は土讃線琴平~多度津間と予讃線伊予西条~高松間でワンマン運転には
対応しておらず、2両、または4両で普通列車や快速「サンポート」に使用されている。
トイレ設備がないことと窓が一段上昇式であるため、瀬戸大橋線への乗り入れは無い。


○車内。同時期登場の211系セミクロス車に近い雰囲気。車端部はロングシートで
 妻窓は無い。グレーの座席は優先席。


○ドア横に設置された半自動ドア時の操作スイッチ。夏季や冬季の長時間停車時に
 車内保温のため使われる。これが装備されるまでは重たいドアを手で開けなければ
 ならなかった。


○運転台。貫通型なのでコンパクトにまとめられている。
 左のマスコンが如何にも国鉄新性能車らしいスタイルのものである。