老朽化した101系・103系電車の置き換えと国鉄分割民営化後のあるべき
通勤型車両として開発された車両である。
昭和61年~平成6年にかけて1461両が製造された。
製造メーカーは東急車輛、日本車輛、日立製作所、川崎重工、近畿車輛、
JR東日本大船工場である。
編成は配置された線区によるため、割愛するが、各形式の概要と車番などによる
違いは以下の通りである。
◇基礎形式◇
クハ205形:東京駅を基準にして品川方面を向いている制御車。
クハ204形:東京駅を基準にして上野方面を向いている制御車。
モハ205形:主制御器と集電装置を搭載した中間電動車。
モハ204形、もしくはクモハ204形とユニットを組む。
モハ204形:エアコンプレッサー・電動発電機を搭載した中間電動車。
モハ205形、もしくはクモハ205形とユニットを組む。
サハ205形:中間付随車。特に主要な機器は積んでいない。
サハ204形:中間付随車でドア数を6ドアとしたもの。冷房電源確保のため、
補助電源を装備している。山手線用だったが、後に埼京線に転出。
クモハ205形:東京駅を基準にして品川方面を向いている制御電動車。機器構成は
モハ205形に準ずる。1000番台(東)のみの存在。
クモハ204形:東京駅を基準にして上の方面を向いている制御電動車。機器構成は
モハ204形に準ずる。1000番台(東)のみの存在。
■番台区分■
サハ204形900番台:6ドア車の試作車として2両が登場。一部ドアを締め切る
機能があったが、量産化改造時に撤去された。0番台と同じく山手線に
配置されたが、現在は埼京線に転属している。
サハ204形100番台:横浜線用の6ドア車。台車などに同時期に製造を開始していた
209系電車の技術を導入している。客室では0・900番台で設置された液晶テレビを
当初から未設置とし、足回りでは補助電源を搭載しなかった。
500番台:相模線電化用に登場したグループ。外観が同じ形式であることを
疑いたくなるくらい大きく異なる。ドアがボタン式の半自動ドア対応である。
乗務員支援装置を本形式で初めて搭載。クハ+モハ+モハ+クハの4連。
1000番台(西):民営化後に阪和線に導入された。助手席側の窓が拡大されたため、
オリジナルの顔と窓の配置が逆になっている。クハ+モハ+モハ+クハの4連。
1000番台(東):山手線から転出した205系の中間車を改造して先頭車化したもののうち、
南武線浜川崎支線用のもの。JR西日本の1000番台とは基礎形式が異なるため、
車番の重複はない。クモハ205形とクモハ204形の2連。
1100番台:1000番台と同じく転出した山手線の205系を改造したグループである。
こちらは鶴見線用改造車である。クモハ204+モハ205+クハ205の3連。
1200番台:1000番台・1100番台と同じくサハ205形からの先頭改造車である。
このグループは南武線用でクハ205・クハ204のみ(中間車は改番無し)。
3000番台:八高線電化区間と川越線末端部で運行されていた103系の置き換えのため、
山手線から転出した中間車を改造したもの。ドアの半自動化なども実施している。
クハ+モハ+モハ+クハの4連。
3100番台:仙石線の103系置き換えのため、山手線から転出した中間車からの改造車。
ドアの半自動化や一部がロング/クロスの切替可能な2wayシートに改造された他、
クハ205形に車椅子対応の便所が設けられた。クハ+モハ+モハ+クハの4連。
5000番台:武蔵野線に埼京線や山手線の205系を転出するにあたり、電動車比率を
下げるため、主制御装置のVVVFインバータ制御化とモーターの出力向上を
図ったものである。
モハ205形とモハ204形のユニットのみでサハとクハは原番号のまま。
車体はオールステンレス製で国鉄の通勤形電車として初めて本格的に採用した。
当時、ステンレスカーに関する特許は東急車輛が保有していたが、
本形式を開発するにあたって、半ば強引に技術を公開させられている。
正面は非貫通で201系をベースにしつつもヘッドライトの位置が窓下に移動し、
正面ステップの左右幅が広がる等、印象が異なる。
また、京葉線や武蔵野線に導入された車両では顔付きが大きくアレンジされた他、
相模線の500番台については正面デザインが相鉄の9000系電車や西武の6000系電車の
様なものとなり、車体側面以外でオリジナルの205系を想起させるものはない。
車体は無塗装で正面と側面に各路線の帯色が入れられる。
主なカラーリングは以下の通り。
ウグイス:山手線 スカイブルー:京浜東北線、阪和線、東海道・山陽緩行線
カナリア:総武・中央緩行線 ローズレッド:京葉線 オレンジ:武蔵野線
グリーン:埼京線 ウグイス+グリーン:横浜線 オレンジ+カナリア:南武線
カナリア+グリーン:南武線浜川崎支線 カナリア+ホワイト+ブルー:鶴見線
オレンジ+ウグイス:八高線・川越線 ブルーの濃淡:仙石線 ブルー+グレー:相模線
このうち仙石線ではグリーンやレッドの濃淡など様々なカラーリングが見られる。
行き先表示と種別表示は正面と側面にあり、いずれも字幕式である。
車内はロングシートで当時、201系や203系で採用されていたブラウン系のモケットの
真ん中に1人分オレンジの区画を設けたものを採用している。
戸袋窓と妻窓が無くなり、その部分は広告枠となっている。
側面窓は最初の4本が2段窓、それ以降は一段下降式である。
この設計変更は東急車輛で製造中の本形式の視察に来た国鉄の担当者が隣りで
製造していた横浜市営地下鉄2000系電車を見て決めたという逸話が残っている。
ドアは片側4箇所、全て両引き戸である(サハ204形は6ドア・両引き戸)。
なお、ドアの窓の大きさが民営化前に登場した編成と後に登場した編成で
異なる(山手線の分に関しては民営化後も小窓で製造)。
6ドア車のサハ204形は扉間3人掛けのロングシートでラッシュ時には座席を折畳んで
ロックすることが可能である。
なお、この座席、一度座席モードにしてしまうと、跳ね上げられないように
ロックがかかるようになっている。
また、同0番台では小型液晶テレビを車内各所に設置していた(埼京線転出時に撤去)。
主制御装置は界磁添加励磁制御を始めて採用した。この制御装置は起動加速時には
通常の抵抗制御を使うが高速域での弱め界磁や回生ブレーキなどの
界磁制御を行う装置をサイリスタやダイオードで無接点化したものである。
利点としては基本構造が抵抗制御なのでチョッパ制御と異なり製造コストが
抑えられるほか、比較的廉価な界磁チョッパ制御の様に架線電圧の変動に弱い
複巻電動機を使わなくても回生ブレーキを使えることである。
難点は回生ブレーキの失効速度が高めであることと(22~25km/h)、
基本が抵抗制御である為、起動時のショックがやや大きく、熱損失があることである。
ブレーキは回生ブレーキ付き電気指令式空気ブレーキである。
台車はダイレクトマウント・空気バネ式のボルスタレス台車で軸バネ支持は
円筒ゴム方式である。
本形式で採用されたこの台車は、既述の211・213系の他、同時期に登場した国鉄や
国鉄から移管された第三セクター鉄道などでも見られた。
モーターの駆動方式は中空軸平行カルダン方式である。
運転台はデスク型ツーハンドル式で500番台では機器監視モニターを装備した。
当初は山手線に配属され、国鉄分割民営化までに同線の103系電車の半数以上を
置き換え、分割民営化後の昭和63年までに山手線所属の全編成が本形式に
置き換えられた。
また関西地区の東海道・山陽緩行線にも投入されている。
民営化後はそれぞれJR東日本とJR西日本に引き継がれた。
JR東日本では増備が続けられ、埼京線、南武線、横浜線、京浜東北線、
総武・中央緩行線、京葉線、武蔵野線、相模線に導入され、JR西日本では1000番台が
阪和線に投入された。
山手線では平成3年より6ドア車のサハ204形を試作して、翌年より量産車を導入して
全編成を11両編成とした。
JR東日本では次世代型の209系の量産が始まり、京浜東北線への導入が始まると
総武・中央緩行線、山手線、埼京線などに転出し、平成8年には同線から撤退している。
平成13年にはE231系と209系500番台の導入に伴い、総武・中央緩行線からも撤退。
平成17年にはE231系500番台の導入で本形式発祥の路線である山手線からも撤退した。
これ以前にも細かい車両のやり取りはあったが、この山手線からの撤退と前後して、
103系を擁していた鶴見線、南武線、仙石線、武蔵野線、川越・八高線への転用が
開始された。
大量に余剰となった中間車については運転台を設置して先頭車として再生し、
1000番台、1100番台、1200番台、3000番台、3100番台、5000番台として各地方に
転属して行った。
先頭車化されたものは、E231系をベースにした運転席を設置し、運転台も片手操作式
ワンハンドルマスコンとなった。
武蔵野線に転属した編成では電動車の数が限られていため、VVVFインバータ制御への
改造を実施し、8両編成で6両必要だった電動車を4両に減らしている。
これらの転出の一方で余剰車の廃車も平成21年ごろより開始され、平成22年までに
30両余りが廃車となった。
京葉線ではE233系5000番台への置き換えが平成22年より開始されており、
201系の次に退役していく予定である。
JR西日本でも後継の321系導入で平成18年に0番台車が東海道・山陽緩行線から撤退し、
編成を組み替えて阪和線に転属した。
その後、平成22年に225系電車の登場で0番台車は保留車になり、宮原車両区に
留置されている。
○山手線で運用していた頃の205系。側面窓が2段式ユニットサッシの初期車。
この時点でスカート取り付け、列車番号表示のLED化などの改造が行われている。
○サハ204形。JRグループ最初の多扉車。転落防止幌の摺れた帯に山手線時代の
ウグイス色が見える。
○205系1000番台。これはJR西日本のもの。JR西日本には国鉄時代に導入された
0番台を含めて僅か9本(0番台:8連×2本&6連×2本、1000番台:4連×5本)
48両しかない。現在はすべて阪和線所属。
○205系1000番台。これはJR東日本のもの。南武線浜川崎支線用で同線で
運行されていた101系ワンマン仕様車を置き換えた。
運転台は中間車改造のものである。
○205系500番台。相模線電化時に導入された。
○205系1200番台。こちらは南武線に導入されたもの。1本が3100番台に再改造され、
仙石線に転出し、JR東日本最後の103系を置き換えた。
○205系3000番台。八高・川越線の103系3000番台・3500番台を置き換えた。
500番台と3000番台、3100番台はドアを半自動扱いすることが可能(ボタン式)。
ドアの窓が小さいのは元山手線所属車の証。
○205系京葉線用新造車。これは最初からこの顔だった。
通称「メルヘン・フェイス」。この顔の10連2本が平成22年秋の改正で運用から
離脱した。
○205系武蔵野線用新造車。現在もスカートを設置しておらず、ほぼ原形を保つ。
○205系5000番台。中間電動車が5000番台で先頭車と中間付随車は0番台のまま。
これも元山手線仕様。
○205系京葉線転出車。サハ204形は埼京線に転出し、奇しくも登場時の10連に戻った。
写真の編成は上の山手線から転属した初期車。
○車内。写真は京葉線仕様車。他の線区では緑色のモケットが主流である。
オリジナルはブラウンに真ん中がオレンジというパターンのもの。
この他に肘掛部分にアクリル板を付けた物も存在する。