水の丘交通公園

鉄道メインの乗り物図鑑です。
※禁無断転載!使用に際してはコメント欄にて
用途を申告してください。

お知らせとご案内:緊急更新

2011-01-31 21:11:07 | お知らせとご案内
毎度、水の丘交通公園をご覧くださいまして、誠にありがとうございます。
さて、現在、北陸地方を旅行中ですが、皆様、ニュース等でご存知の通り、
雪で北陸本線が全線運休となりました。
私も現在、福井におりまして、足止めを食っています。
幸い、ホテルを確保できており、私自身は無事で御座います。
ご心配かけて申し訳ございません。
明日には帰宅予定です。
それでは、また。

管理人:水の丘

お知らせとご案内:出かけてきます

2011-01-29 21:00:00 | お知らせとご案内
本日より2月1日まで北陸に行って来ます。419系やキハ58系を狙いつつも
セントラム、福井鉄道、えちぜん鉄道を見てこようと思ってます。
思ってますが・・・これから大雪・・・。私は生きて帰ってこれるのでしょうか?
多分、今は福井のホテルで寝転がりながら、MHP3をやっていることでしょう。
豪雪というものを体験したことがないので、これも経験と思っていってみようと
思います。
いつも通り、更新は止まりますが、監視は続けておりますので、スパムその他は
運営に通報の上、削除させていただきます。
あらかじめ御了承ください。

それでは、また。
           
          ・・・水の丘交通公園管理人:水の丘・・・

東武鉄道 ED10形電気機関車

2011-01-28 21:50:10 | 保存車・博物館
東武鉄道が初めて導入した電気機関車である。現在の野田線の前身である総武鉄道と
合併するまでは東武鉄道唯一の電気機関車であった。
昭和5年に製造され、製造を担当したメーカーはイングリッシュ・エレクトリック
社である。
大正末期から昭和初期にかけて、伊勢電気鉄道、青梅鉄道、秩父鉄道、国鉄などでも
同型機が導入されている。

車体は箱型の鋼鉄製で前後にデッキを備えている。
正面は向かって左側は貫通扉、右に運転席分だけの窓という左右非対称なデザインが
特徴である。
なお、車体の側面の窓配置も機器の配置の関係で非対称である。

主制御装置は抵抗制御で電動カム軸式、2段組み合わせ、弱め界磁制御付である。
重連総括制御には対応していない。
ブレーキは空気自動式ブレーキである。
台車は板台枠台車で駆動方式は吊り掛け駆動方式である。
各台車先端にデッキが設けられ、台車と一体の構造となっていた。
この板台枠台車とは、1インチ程度の厚さの圧延鉄板を切り抜いて作られた
台車のことで縦方向の負荷に強く、溶接修理が簡単という利点がある。
反面、軸箱取り付けのために加工が難しい鋳造品を使用しなければならないこと、
開口部が少ない分、点検修理が難しいという難点も併せ持つ。

本形式は元々別の会社で使う予定だったものが、注文流れになったものを引き取って
東武鉄道に入ってきたものである。
このため、唯1機の存在で、当時の東武鉄道の他の機関車は全て蒸気機関車であり、
非電化区間もあったことから、貨物運用に就くことはなく、専ら臨時列車や
団体列車の客車牽引に用いられたという。
総武鉄道が合併した昭和19年より貨物輸送にも用いられるようになった。

昭和30年に電気機関車の増大による車番整理が行われ、本形式はED4000形4001号機と
なった。
また、車体修繕も行われ、運転席窓のHゴム支持化、保安装置設置などの改造を
受けている。
しかし、既に老朽化が進んできていたこともあり、大規模な修繕を行うことはなく、
上記以外はほぼ原型を保っていた。
昭和45年以降、貨物輸送の落ち込みで電気機関車の数に余裕が出来たこと、
他の機関車と比べて速度が遅く、居住性の面でも問題があったことから
昭和47年に廃車となった。

廃車後は近江鉄道に引き取られ、形式もナンバーもそのまま昭和48年に入籍した。
東武時代とは塗装が変わった(茶色→ブルーグレーにデッキと台枠が黄色)ことと
主要機器のうち英国製の機器の大半を国産機器に載せ換えた程度で、
他はほとんど手を加えられていない。
近江鉄道では彦根駅構内の入れ換えや貨物列車の牽引に用いられた。
昭和61年には近江鉄道での貨物輸送が廃止されたため、運用を失い、
休車となり彦根工場に留置された。
この間、博物館開館のために引き取りたいという申し出が
東武鉄道からあったが、この時は「近江鉄道としても貴重な機関車なので」と、
これを固辞している。
最終的に除籍されたのは平成16年7月であった。

平成19年より彦根工場の一角を用いて「近江鉄道ミュージアム」を開設したのに
合わせて本形式も再塗装と整備の上で展示された。

その後、東武鉄道博物館のリニューアルに伴い、近江鉄道と再び折衝を行い、
平成21年、里帰りが実現した。
東武鉄道博物館での展示に際してはナンバープレートの復元(ED10 1号機)、
塗装の復元(茶色)が行われ、同年の夏より公開されている。

神戸電鉄 2000系電車

2011-01-26 19:58:04 | 電車図鑑・私鉄電車(関西)
公園都市線(横山~ウッディタウン中央)開通に伴い導入された車両である。
平成3年~平成5年にかけて3両編成×3本=9両、4両編成×2本=8両の計17両が
製造された。
製造を担当したメーカーは川崎重工である。
編成の組み方は粟生・三田・有馬側から以下の通り。

■3連車:2000形(奇数)+2200形+2000形(偶数)
■4連車:2000形(奇)+2100形+2200形+2000形(偶)

2000形が制御電動車、2100形が中間電動車、2200形が中間付随車となる。
4連車は2本あり、中間車は末尾の番号を揃えた関係で2100形のトップナンバーは
2204号車で2201~2203号車は欠番である。
制御装置とコンプレッサーは電動車各車にサービス電源装置(静止型インバータ)は
2200形に搭載されている。

車体はアルミ製で「鉄仮面」の愛称で親しまれている3000系のものから、
大きくモデルチェンジした。
正面は非貫通で中央の窓枠を細くして助手席側の窓を大きくとり、
前面の視界を広げた。
塗装はアイボリーに赤帯で、アルミ車ではあるが、全塗装となっている。
行き先表示と種別表示は字幕式で正面と側面にそれぞれ設置された。

車内はロングシートで親会社の阪急電鉄の影響を受けた木目調の化粧板と
グリーンのモケット(優先席はオレンジ)を採用している。
木目の色は黄色に近い明るいもので、本形式より前に製造された阪急7000系や
阪急7300系に近い雰囲気である。
ドアは片側3箇所・両引き戸で窓は一段下降式である。
先頭車車端部には車椅子スペースが設置された。

主制御装置は電動カム軸式の抵抗制御方式で、ブレーキは非常電制・抑速ブレーキ
・発電ブレーキ併用電気指令式ブレーキである。
電気指令式ブレーキは神戸電鉄の電車で初めての採用で勾配区間で空気ブレーキが
作動しなくなった際にモーターに過電流を流して強制的に列車を止める非常電制への
切替が自動化された。
また、緊急時に在来車と連結することも考慮してブレーキ読み替え装置も装備した。
編成中間に付随車を連結する関係で空転検知装置を装備しており、空転発生時は
主回路を一旦遮断し、再粘着後に回路を構成しなおすことが可能である。
台車はダイレクトマウント式空気バネ台車で軸箱支持方式は軸梁式である。
モーターの駆動方式は平行カルダン駆動である。
運転台はデスク型前後操作式のツーハンドルマスコンで3連車は公園都市線
対応のため、製造当初よりワンマン運転に対応している。

既述の通り、公園都市線で運用するために製造された車両で1500系と共に
同線の開業と共に運用に就いた。
4連車は最後の吊り掛け駆動車であった800系の置き換えのために導入されたため、
ワンマン運転については準備工事とし、車掌が乗務するツーマン仕様で、
有馬線、粟生線などで運用された。
平成16年より神戸電鉄全線のワンマン化のため、3連車のワンマン機器更新と
4連車のワンマン化、連結部への転落防止幌の設置などの改造が行われた。
このワンマン機器の更新で3連車は運用の制限がほぼ無くなり、粟生線や有馬線の
3連運用にも就くようになった。
また、4連車が公園都市線に入れるようになった。
現在は神戸電鉄全線で運用されている。


○粟生線運用に就く2007編成4連。鈴蘭台駅にて。
 本形式をVVVF制御・全車電動車とするなどの改良を行ったのが
 5000系である。

国鉄 キハ52形気動車

2011-01-25 21:58:14 | 電車図鑑・国鉄型一般用車両
国鉄が地方ローカル線の無煙化のために製造したキハ20系気動車のうち、
勾配を有する路線向けにエンジンを2つとしたものである。
昭和33年~昭和41年にかけて0番台車と、その改良型である100番台車共に56両、
計112両が製造された。
製造を担当したメーカーは新潟鉄工所と帝国車輛である。
番台区分は以下の通り。

・0番台:1~56号が昭和33年~37年に製造された。基本となったキハ20形同様
 エンジンの煙突が車体中央にあり、その間だけ窓の間隔が空いているのが特徴。
・100番台:101~156号が昭和37年~41年に製造された。0番台をベースにしているが、
 キハ58系やキハ80系気動車の設計を取り込み、エンジンを横型となったほか、
 室内灯が蛍光灯に変更された。また、煙突の配置が変更され、窓間隔が
 均等になった。
・600番台:0番台から昭和42年と55年に4両が改造された。半室を郵便荷物車として
 使えるようになっており、アコーディオンカーテンによる仕切りを設置した他、
 座席についても荷物室として使う半室分がロングシート化された。平成元年に消滅。
・650番台:100番台から昭和42年に1両が改造された。改造内容は0番台と同じ。
 米子に配置され、平成6年まで運用された。

車体は軽量構造とした普通鋼鉄製でキハ20形と同じ両運転台式であるが、
既述の通り、エンジンを2基搭載としたため、国鉄の車輛建築限界一杯の
21.3mと長くなった。
正面デザインについてはキハ20形と同じで変更はなく、連結運転も可能である。
塗装は0番台の一部が紺とベージュのツートンカラーで登場したが、それ以降は
朱色とクリームのツートンに変更された。
昭和50年代には「首都圏色」こと朱色1色塗りになっている。
更に国鉄民営化前後には各地方ごとに異なる「地域色」となり、
多くのカラーバリエーションを生んだ。
行き先表示は車体側面中央部に札を差し込むものである。

車内は扉付近をロングシート、他を4人向かい合わせのボックスシートとした
セミクロスシート配置である。
片方の運転室のすぐ後方に便所(和式)を設けているが、床下に余裕がなく、水タンクも
同じく便所と対面の運転席後方に設置している。
ドアは片側2箇所で全て両引き戸である。
側面窓は2段式でキハ20形が戸袋窓をのぞいて扉間5枚なのに対し、本形式は
車体が延長された分、1枚窓が多い。
室内灯は0番台車では既述の通り白熱灯で100番台は蛍光灯になった。
この他、100番台では車内中央の床部分にあったエンジン点検口を廃止したため、
車内の騒音が低減された。
100番台は一般車ながら騒音が低減化したことから、寝台型気動車の試験に
用いられたこともあるが、変速時のショックや音振の面を解決できずに
実現しなかった。

エンジンは0番台がDMH-17-C形(180PS/1500rpm)ディーゼルエンジン×2基、
100番台がDMH-17-H形(出力・回転数同じ)ディーゼルエンジン×2基である。
100番台が搭載したエンジンは急行型のキハ58系や特急型のキハ80系気動車のものを
ベースとし、騒音や振動の低減を図っている。
また、これらの気動車と機器配置を揃えることで保守性の向上を図った。
ブレーキは空気自動ブレーキで100番台は排気ブレーキも併せて搭載している。
台車はウイングバネ式金属バネ台車となっている。

本形式は小海線、会津線、只見線、飯山線、土讃線、豊肥本線など勾配の多い
路線に配置された。
2個エンジンのハイパワーと単行運転のできる利点を活かし、時には急行運用に
就くこともあった。
民営化後はJR東日本、JR西日本、JR四国、JR九州に引き継がれた。
JR四国では早期に置き換えられたが、他の3社では適当な代替形式が登場する、
もしくは捻出できるまで長く活躍を続けた。
21世紀を迎えた時点ではJR東日本とJR西日本に残っており、JR東日本では
延命工事を実施し、エンジンの換装、側面窓の1段化、デッキ取り付け、
内装張り替え、扉交換などの改良が行われた。
JR西日本では米子の他、大糸線糸魚川~南小谷間で運用され、これが本形式最後の
運用区間となった。
JR東日本ではキハE120形、キハE130形の投入で余剰となったキハ110系の転属により、
羽越本線、磐越西線、米坂線で残っていた車両が運用を離脱し、平成21年度内に
全車廃車となった。
JR西日本でも大糸線に残った3両が平成22年の春で定期運用を離脱して、同年秋までに
全て廃車されている。

廃車後、1両が南阿蘇鉄道に譲渡されたほか、JR東日本で廃車となった車両の一部が
海を渡りミャンマー国鉄に譲渡された。
大糸線で運用されていた最後の3両は1両が津山機関区にて保存、もう1両が千葉県の
いすみ鉄道で動態保存を予定している。


○車内。写真はキハ52 125号車(タイトル写真)のもの。今後、いすみ鉄道で
 整備の上、運用される予定。この車両は晩期、ワンマン化、冷房装置の設置、
 便所の撤去などの改造を受けている。


○朱色にクリームのキハ52 115号。現在は津山の扇庫で保存されている。
 写真の運転席扉と窓の間の空間が便所の水タンクがあった場所。
 この車両では既に撤去済み。

国鉄 E10形蒸気機関車

2011-01-23 20:09:35 | 保存車・博物館
奥羽本線の急勾配区間である福島~米沢間(現在は山形新幹線の一部)で専用機として
運用されていた4110形蒸気機関車(大正3年製造)の老朽化と輸送力増強のため、
開発されたものである。
昭和23年に5両が製造された。製造を担当したメーカーは汽車会社である。
国鉄の蒸気機関車として、純粋な新車は本形式が最後となった。
5両と少数だったのは既に奥羽本線の電化工事が決定していたためで、
本形式はそれまでの繋ぎとして開発されたためである。

車体は鋼鉄製で炭水車を連結しないサイドタンク式となっている。
板谷峠ではトンネル通過の際の煙害を防止するため、通常、蒸気機関車の先頭側となる
煙突側ではなく、炭庫側を前位として運行することが多かったことから、
本形式は最初からこれに対応している。
このため、運転席が炭庫側を向いて左側に配置されるという特殊な構造となっている。
また、煙突側も先頭側に設置される除煙板が設置されていないなど、
日本の近代蒸気機関車の中でも、かなり特徴的であった。

車軸配置は1-E-2で動輪の前後に従輪台車を設けた。
これは出力を向上したため、車体が大きくなった分の荷重に対応するためである。
また、カーブ通過に対応するため、第2動輪のフランジを通常よりも薄くし、
第3・第4動輪にはフランジそのものを設置しなかった。
これにより、カーブでの横圧(車輪がカーブでレールを押し出す圧力)を軽減したが、
実際には、かなりの横圧がかかってしまい、本形式最大の難点となってしまった。

導入時は既述の通り、奥羽本線の板谷峠で運用された。
試験運転で33‰の勾配で4110型の1.5倍の270tの列車を牽引したが、急カーブでの
牽引力の衰えが見られるなど、必ずしも期待された性能を発揮できなかった。
むしろ、軌道に与える横圧が問題となった。
完成から1年ほどの昭和24年に奥羽本線の電化(当時は直流)が完成し、早くも
失職したが、九州の肥薩線で勾配用の補助機関車として使用されることになった。
しかし、ここでもカーブでの横圧が問題とされ、僅か半年でD51形に運用を譲った。
その後は、北陸本線津幡~石動間にあった倶梨伽羅峠の勾配用補助機関車として
使われるようになった。
この際、金沢機関区で運転方向を他の機関車と同じ煙突側にする改造が行われたが、
運転席の位置はそのままとされ、日本では珍しい右側運転台の機関車となった。
ここでの運用は昭和30年に新倶梨伽羅トンネルの完成で撤退している。

昭和32年に北陸本線が交流で電化されると交流と直流の電源境界のため、
非電化とされていた米原~田村間での列車牽引に用いられた。
平坦で短い区間を往復するだけの、凡そ本形式にとっては場違いな運用であったが、
他に適当な転用場所もなかったというのが実情であった。
しかし、強力で方向転換の必要が無いタンク式機関車である構造を活かし、
同区間でのピストン輸送に活躍した。
しかし、戦時規格資材を使用した部分の不良が顕在化してきたこと、構造が特殊で
部品の確保が難しいことなどの問題が発生したため、他で余剰となっていたD51形や
D50形に置き換えられる形で昭和37年を最後に引退した。

特殊な構造ゆえ、不遇な扱いを受けた本形式であるが、廃車時期が鉄道開業
90周年と重なったため、当時の現存最若番車である2号機が保存車に選ばれ、
青梅鉄道公園に展示されている。


○本形式第2~5輪。第3・4輪にフランジがないのがわかる。


○本形式の「前」側だった炭庫側。両脇に切り込みを入れて、方向転換をしなくても
 進行方向を監視できるようになっている。

国鉄 205系電車

2011-01-22 21:20:44 | 電車図鑑・国鉄型一般用車両
老朽化した101系・103系電車の置き換えと国鉄分割民営化後のあるべき
通勤型車両として開発された車両である。
昭和61年~平成6年にかけて1461両が製造された。
製造メーカーは東急車輛、日本車輛、日立製作所、川崎重工、近畿車輛、
JR東日本大船工場である。
編成は配置された線区によるため、割愛するが、各形式の概要と車番などによる
違いは以下の通りである。

◇基礎形式◇
クハ205形:東京駅を基準にして品川方面を向いている制御車。
クハ204形:東京駅を基準にして上野方面を向いている制御車。
モハ205形:主制御器と集電装置を搭載した中間電動車。
モハ204形、もしくはクモハ204形とユニットを組む。
モハ204形:エアコンプレッサー・電動発電機を搭載した中間電動車。
モハ205形、もしくはクモハ205形とユニットを組む。
サハ205形:中間付随車。特に主要な機器は積んでいない。
サハ204形:中間付随車でドア数を6ドアとしたもの。冷房電源確保のため、
 補助電源を装備している。山手線用だったが、後に埼京線に転出。
クモハ205形:東京駅を基準にして品川方面を向いている制御電動車。機器構成は
 モハ205形に準ずる。1000番台(東)のみの存在。
クモハ204形:東京駅を基準にして上の方面を向いている制御電動車。機器構成は
 モハ204形に準ずる。1000番台(東)のみの存在。
■番台区分■
サハ204形900番台:6ドア車の試作車として2両が登場。一部ドアを締め切る
 機能があったが、量産化改造時に撤去された。0番台と同じく山手線に
 配置されたが、現在は埼京線に転属している。
サハ204形100番台:横浜線用の6ドア車。台車などに同時期に製造を開始していた
 209系電車の技術を導入している。客室では0・900番台で設置された液晶テレビを
 当初から未設置とし、足回りでは補助電源を搭載しなかった。
500番台:相模線電化用に登場したグループ。外観が同じ形式であることを
 疑いたくなるくらい大きく異なる。ドアがボタン式の半自動ドア対応である。
 乗務員支援装置を本形式で初めて搭載。クハ+モハ+モハ+クハの4連。
1000番台(西):民営化後に阪和線に導入された。助手席側の窓が拡大されたため、
 オリジナルの顔と窓の配置が逆になっている。クハ+モハ+モハ+クハの4連。
1000番台(東):山手線から転出した205系の中間車を改造して先頭車化したもののうち、
 南武線浜川崎支線用のもの。JR西日本の1000番台とは基礎形式が異なるため、
 車番の重複はない。クモハ205形とクモハ204形の2連。
1100番台:1000番台と同じく転出した山手線の205系を改造したグループである。
 こちらは鶴見線用改造車である。クモハ204+モハ205+クハ205の3連。
1200番台:1000番台・1100番台と同じくサハ205形からの先頭改造車である。
 このグループは南武線用でクハ205・クハ204のみ(中間車は改番無し)。
3000番台:八高線電化区間と川越線末端部で運行されていた103系の置き換えのため、
 山手線から転出した中間車を改造したもの。ドアの半自動化なども実施している。
 クハ+モハ+モハ+クハの4連。
3100番台:仙石線の103系置き換えのため、山手線から転出した中間車からの改造車。
 ドアの半自動化や一部がロング/クロスの切替可能な2wayシートに改造された他、
 クハ205形に車椅子対応の便所が設けられた。クハ+モハ+モハ+クハの4連。
5000番台:武蔵野線に埼京線や山手線の205系を転出するにあたり、電動車比率を
 下げるため、主制御装置のVVVFインバータ制御化とモーターの出力向上を
 図ったものである。
 モハ205形とモハ204形のユニットのみでサハとクハは原番号のまま。

車体はオールステンレス製で国鉄の通勤形電車として初めて本格的に採用した。
当時、ステンレスカーに関する特許は東急車輛が保有していたが、
本形式を開発するにあたって、半ば強引に技術を公開させられている。
正面は非貫通で201系をベースにしつつもヘッドライトの位置が窓下に移動し、
正面ステップの左右幅が広がる等、印象が異なる。
また、京葉線や武蔵野線に導入された車両では顔付きが大きくアレンジされた他、
相模線の500番台については正面デザインが相鉄の9000系電車や西武の6000系電車の
様なものとなり、車体側面以外でオリジナルの205系を想起させるものはない。
車体は無塗装で正面と側面に各路線の帯色が入れられる。
主なカラーリングは以下の通り。
ウグイス:山手線 スカイブルー:京浜東北線、阪和線、東海道・山陽緩行線 
カナリア:総武・中央緩行線 ローズレッド:京葉線 オレンジ:武蔵野線 
グリーン:埼京線 ウグイス+グリーン:横浜線 オレンジ+カナリア:南武線 
カナリア+グリーン:南武線浜川崎支線 カナリア+ホワイト+ブルー:鶴見線 
オレンジ+ウグイス:八高線・川越線 ブルーの濃淡:仙石線 ブルー+グレー:相模線
このうち仙石線ではグリーンやレッドの濃淡など様々なカラーリングが見られる。
行き先表示と種別表示は正面と側面にあり、いずれも字幕式である。

車内はロングシートで当時、201系や203系で採用されていたブラウン系のモケットの
真ん中に1人分オレンジの区画を設けたものを採用している。
戸袋窓と妻窓が無くなり、その部分は広告枠となっている。
側面窓は最初の4本が2段窓、それ以降は一段下降式である。
この設計変更は東急車輛で製造中の本形式の視察に来た国鉄の担当者が隣りで
製造していた横浜市営地下鉄2000系電車を見て決めたという逸話が残っている。
ドアは片側4箇所、全て両引き戸である(サハ204形は6ドア・両引き戸)。
なお、ドアの窓の大きさが民営化前に登場した編成と後に登場した編成で
異なる(山手線の分に関しては民営化後も小窓で製造)。
6ドア車のサハ204形は扉間3人掛けのロングシートでラッシュ時には座席を折畳んで
ロックすることが可能である。
なお、この座席、一度座席モードにしてしまうと、跳ね上げられないように
ロックがかかるようになっている。
また、同0番台では小型液晶テレビを車内各所に設置していた(埼京線転出時に撤去)。

主制御装置は界磁添加励磁制御を始めて採用した。この制御装置は起動加速時には
通常の抵抗制御を使うが高速域での弱め界磁や回生ブレーキなどの
界磁制御を行う装置をサイリスタやダイオードで無接点化したものである。
利点としては基本構造が抵抗制御なのでチョッパ制御と異なり製造コストが
抑えられるほか、比較的廉価な界磁チョッパ制御の様に架線電圧の変動に弱い
複巻電動機を使わなくても回生ブレーキを使えることである。
難点は回生ブレーキの失効速度が高めであることと(22~25km/h)、
基本が抵抗制御である為、起動時のショックがやや大きく、熱損失があることである。
ブレーキは回生ブレーキ付き電気指令式空気ブレーキである。
台車はダイレクトマウント・空気バネ式のボルスタレス台車で軸バネ支持は
円筒ゴム方式である。
本形式で採用されたこの台車は、既述の211・213系の他、同時期に登場した国鉄や
国鉄から移管された第三セクター鉄道などでも見られた。
モーターの駆動方式は中空軸平行カルダン方式である。
運転台はデスク型ツーハンドル式で500番台では機器監視モニターを装備した。

当初は山手線に配属され、国鉄分割民営化までに同線の103系電車の半数以上を
置き換え、分割民営化後の昭和63年までに山手線所属の全編成が本形式に
置き換えられた。
また関西地区の東海道・山陽緩行線にも投入されている。
民営化後はそれぞれJR東日本とJR西日本に引き継がれた。
JR東日本では増備が続けられ、埼京線、南武線、横浜線、京浜東北線、
総武・中央緩行線、京葉線、武蔵野線、相模線に導入され、JR西日本では1000番台が
阪和線に投入された。
山手線では平成3年より6ドア車のサハ204形を試作して、翌年より量産車を導入して
全編成を11両編成とした。
JR東日本では次世代型の209系の量産が始まり、京浜東北線への導入が始まると
総武・中央緩行線、山手線、埼京線などに転出し、平成8年には同線から撤退している。
平成13年にはE231系と209系500番台の導入に伴い、総武・中央緩行線からも撤退。
平成17年にはE231系500番台の導入で本形式発祥の路線である山手線からも撤退した。
これ以前にも細かい車両のやり取りはあったが、この山手線からの撤退と前後して、
103系を擁していた鶴見線、南武線、仙石線、武蔵野線、川越・八高線への転用が
開始された。
大量に余剰となった中間車については運転台を設置して先頭車として再生し、
1000番台、1100番台、1200番台、3000番台、3100番台、5000番台として各地方に
転属して行った。
先頭車化されたものは、E231系をベースにした運転席を設置し、運転台も片手操作式
ワンハンドルマスコンとなった。
武蔵野線に転属した編成では電動車の数が限られていため、VVVFインバータ制御への
改造を実施し、8両編成で6両必要だった電動車を4両に減らしている。
これらの転出の一方で余剰車の廃車も平成21年ごろより開始され、平成22年までに
30両余りが廃車となった。
京葉線ではE233系5000番台への置き換えが平成22年より開始されており、
201系の次に退役していく予定である。

JR西日本でも後継の321系導入で平成18年に0番台車が東海道・山陽緩行線から撤退し、
編成を組み替えて阪和線に転属した。
その後、平成22年に225系電車の登場で0番台車は保留車になり、宮原車両区に
留置されている。


○山手線で運用していた頃の205系。側面窓が2段式ユニットサッシの初期車。
 この時点でスカート取り付け、列車番号表示のLED化などの改造が行われている。


○サハ204形。JRグループ最初の多扉車。転落防止幌の摺れた帯に山手線時代の
 ウグイス色が見える。


○205系1000番台。これはJR西日本のもの。JR西日本には国鉄時代に導入された
 0番台を含めて僅か9本(0番台:8連×2本&6連×2本、1000番台:4連×5本)
 48両しかない。現在はすべて阪和線所属。


○205系1000番台。これはJR東日本のもの。南武線浜川崎支線用で同線で
 運行されていた101系ワンマン仕様車を置き換えた。
 運転台は中間車改造のものである。


○205系500番台。相模線電化時に導入された。


○205系1200番台。こちらは南武線に導入されたもの。1本が3100番台に再改造され、
 仙石線に転出し、JR東日本最後の103系を置き換えた。


○205系3000番台。八高・川越線の103系3000番台・3500番台を置き換えた。
 500番台と3000番台、3100番台はドアを半自動扱いすることが可能(ボタン式)。
 ドアの窓が小さいのは元山手線所属車の証。


○205系京葉線用新造車。これは最初からこの顔だった。
 通称「メルヘン・フェイス」。この顔の10連2本が平成22年秋の改正で運用から
 離脱した。


○205系武蔵野線用新造車。現在もスカートを設置しておらず、ほぼ原形を保つ。


○205系5000番台。中間電動車が5000番台で先頭車と中間付随車は0番台のまま。
 これも元山手線仕様。


○205系京葉線転出車。サハ204形は埼京線に転出し、奇しくも登場時の10連に戻った。
 写真の編成は上の山手線から転属した初期車。
 

○車内。写真は京葉線仕様車。他の線区では緑色のモケットが主流である。
 オリジナルはブラウンに真ん中がオレンジというパターンのもの。
 この他に肘掛部分にアクリル板を付けた物も存在する。

JR東日本 E233系電車(中央線快速・青梅線・五日市線仕様)

2011-01-20 21:10:13 | 電車図鑑・JR新系列一般用車両
老朽化した国鉄世代の車両の置き換えのために登場した車両である。
平成23年現在で中央線快速、青梅線、五日市線、京浜東北線、京葉線、東海道線、
常磐線各駅停車に導入されているが、今回は中央線と青梅線、五日市線に
投入されたものについて紹介する。
平成18年~平成20年にかけて、10両貫通編成(T編成)×42本、
6+4分割編成(H編成)×15本、青梅・五日市線用の4両編成×10本と6両編成×13本の
計688両が製造され、豊田車両センターに配属された。
なお、平成20年に青梅・五日市線仕様車の4連と6連1本ずつを中央快速線向けに
転用したため、総数は変わらないもののT編成×42本、H編成×16本、青梅・五日市線
仕様車が4連×9本、6連×12本となっている。
製造を担当したメーカーは、東急車輛、川崎重工、自社新津車両工場である。
編成の組み方は東京側から以下の通りである。

10連車:クハE233-0+モハE233-0+モハE232-0+モハE233-200+モハE232-200+※
 ※+サハE233-500+サハE233-0+モハE233-400+モハE233-400+クハE232-0
6連車:クハE233-0+モハE233-0+モハE232-0+モハE233-200+クハ232-500
4連車:クハE233-500+モハE233-600+モハE232-600+クハ232-0

モハE232形0番台、400番台、600番台に補助電源装置、6連車のクハE232-500と
4連車のクハ233-500の運転台側には自動分割・併合装置、クハ232形全車、E233-500には
空気圧縮機を搭載している。

車体はオールステンレス製でE231系のものをベースとしているが、外板の肉厚を増し、
構体の強化構造とすることで車体の強度を増している。
先頭部分は非貫通でE217系やE231系近郊仕様で採用された衝突吸収構造をJR東日本の
通勤形電車で採用した。
これはわざと壊れることで衝撃を和らげるクラッシャブルゾーンと逆に強固な構造で
前部を保護するサバイバルゾーンを組み合わせたもので、事故発生時の乗務員や乗客の
安全性を高めている。
行き先表示はフルカラーLEDで正面と側面に設置されている。側面のものは列車の
種別や行き先の他、次の停車駅も表示される。
塗装は正面部が白、それ以外はステンレス無塗装、もしくはガンメタリックで
帯色はオレンジである。

車内はロングシートで209系以来の片持ち式のバケットシートだが、
スタンションポールを弓なりにし、掴みやすくした他、座面にクッションを入れて
座り心地の向上を図っている。
また、優先席付近は座席のモケットの色の他、床の色や吊手の色を変えることで
利用客のマナー向上を促している。
ドアは片側4箇所、両引き戸で結露を防止するため、窓を角ばった形状のものとした。
E231系では車体構造の簡易化のため、一部を除いて省略されていた連結部への
貫通扉の設置を車両火災発生時の安全性向上のため全車で行った。
これらの扉の客室側は化粧板仕上げとしている。
各ドア上にはE231系500番台から採用された液晶パネル式の旅客案内装置を設置し、
片方で広告やニュース、もう片方で停車駅や行き先案内、運行情報などの
表示を行う。
中央線・青梅線・五日市線モデルでは寒冷地(中央線高尾以西や青梅線の青梅以北)での
運用を考慮して、ドアの半自動扱いが可能で各ドアの横に開閉スイッチを
設置している。

主制御装置はIGBT式のVVVFインバータ制御で1C4M×2群として冗長性を図った。
ブレーキは回生ブレーキ併用電気指令ブレーキで、勾配抑速ブレーキ、
耐雪ブレーキにも対応している。
10両編成での電動車の数を4両から6両に増やすことで走行性能に余裕を持たせた他、
同一機器を複数搭載したり、回路の二重化を図ることで故障時の対応を
迅速に行えるようになった。
台車はダイレクトマウント・空気バネ式のボルスタレス台車で軸箱支持は
モノリンク式で、モーターの駆動方式はTDカルダン方式である。
運転台は片手操作式のワンハンドルマスコンで、E231系以来のTIMS(列車情報管理
装置)も引き続き搭載しているが、回路の容量を大幅に上げることで処理速度を
向上させた。
既述の通り、衝撃吸収構造で安全性を高めているが、運転席後方の仕切りにも
救助口を設けている。

平成18年の9月に最初の編成(H43編成)が東急車輛で落成し、試運転を兼ね、逗子から
豊田電車区(→現・豊田車両センター)に自力で回送された。
その後、各種性能試験やイベント、試乗会を経て同年年末に営業運転を開始した。
平成19年の9月からは青梅線や五日市線への導入が開始され、平成20年までに同線で
運行していた201系を全て置き換えた。
平成19年の秋には鉄道友の会からローレル賞を受賞している。
青661編成は平成20年の8月に青梅線青梅~東青梅間で踏切事故に遭い、
6両中5両を損傷してしまったため、損傷しなかったクハE233-519号と
事故車の無事な部品を流用して新たに車体を作り直したものを組み合わせて
復帰した。
中央線では平成19年3月より分割運用にも就くようになった他、大月から
富士急行線への直通も開始された。
201系の置き換えも順次進められ、平成22年10月までに中央快速線の車両は
本形式に統一されている。
10連貫通編成のT編成は中央快速線での運用で固定されているが、分割可能なH編成は
その機動力を遺憾なく発揮しており、早朝・深夜の八高線直通やホリデー快速奥多摩・
五日市号、富士急行直通などの運用の他、上諏訪で開催される諏訪湖の花火大会時には
観客輸送の中心に用いられる。
本形式は現地の主力車である115系6両分の定員を短い4両で運べるとあって
以前使用されていた201系以上に重宝されている。


○雪の中を走るT編成。


○車内。黒い二等辺三角形の吊り手がよく目立つ。


○優先席付近。床面の他、壁もクリーム色となっており、携帯電話の電源オフ区域を
 明確にしている。


○ドア横の開閉スイッチ(車内側)。青梅線青梅~奥多摩間や中央線高尾~大月間などで
 使用される。最近は車内保温のため、夏季でも長時間停車する場合に用いられる。


○青梅線専用編成。五日市線に入る車両も編成記号は『青』。編成番号400代が4連。
 600代が6連。これらを組み合わせた10連運用もある(立川~青梅間)。

京王電鉄 8000系電車

2011-01-17 22:51:13 | 電車図鑑・私鉄電車(関東)
京王線の輸送力増強と老朽化した旧型車両の置き換えのため、登場した車両である。
平成4年~平成11年までの間に、4連+6連の10連が14本、8連固定編成が13本、
後述するが事故で廃車された車両の代替新造車1両の計245両が製造された。
8連固定のものは、20番台と区分され、8020系と呼称される事もある。
10連のものは当初、京王八王子側が6連、新宿側が4連だったが、
平成19年より組み換えを行い、京王八王子側が4連、新宿側が6連となっている。
現在の編成の組み方は新宿側から以下の通りである。

・10連(6連+4連)
クハ8700形-デハ8000形-デハ8050形-デハ8100形-デハ8150形-クハ8750形+※
※+クハ8800形-デハ8200形-デハ8250形-クハ8850形

・8連(20番台)
クハ8720形-デハ8020形-デハ8070形-サハ8520形-サハ8570形-デハ8120形-※
※-デハ8170形-クハ8770形

・10連(代替新造車組み込みver.)
クハ8714-デハ8014-デハ8064-デハ8114-デハ8164-クハ8764+※
※+サハ8564-デハ8214-デハ8264-クハ8864

車体は軽量型のオールステンレス車体で先頭部分は鋼鉄製である。
先頭部分は柔らかな曲線と直線のシャープさを併せ持つ洗練された
デザインとなっており、平成4年度のグッドデザイン賞を受賞した。
塗装は先頭部のみアイボリーで塗られ、帯色は新しいコーポレートカラーの
ピンクに細い紺色のものを採用している。
なお、これは後に京王線の在来車両のうち6000系、7000系にも採用されたほか、
新鋭の9000系にも引き継がれている。
行き先表示は側面、前面にあり、いずれも字幕式であったが、第8編成以降、
及び8020系からLED式に変更され(一部除く)た。
平成20年以降は全車がフルカラーLEDへ交換されている。
また、通過標識灯も当初、白熱式の黄色がかったものを採用していたが、現在は
白色の高輝度ランプに交換されている。

車内はロングシートである。当初、袖仕切り(座席とドア付近を仕切るもの)は
網棚に繋がるパイプであったが、平成20年以降、9000系に準じた大型の板に
パイプを取り付けたものに変更されている。
ドア上にはLEDスクロール式の旅客案内装置が千鳥配置されている。
これは停車駅や行き先案内のほか、マナー啓発、広告、事故発生時の
運行情報などを流すことが出来る。
運行情報は運転室にあるアンテナから受信する。
平成18年のダイヤ改正まで高尾山の観光シーズンに特急列車の分割運転があった
関係で、吊革が色分けされており、4連が緑、6連が白となっている。
ドアは片側4箇所で全て両引き戸で窓は一段下降式である。

主制御装置はGTO素子のVVVFインバータ制御で、これを京王電鉄の電車で初めて
採用した。
ブレーキは抑速ブレーキ付き回生ブレーキ併用電気指令式ブレーキである。
台車はダイレクトマウント式空気バネ台車、もしくは空気バネ式のボルスタレス
台車を採用した。
モーターの駆動方式はWN駆動方式である。
運転台は定速機能付きのT字ワンハンドルマスコンで、運行情報や故障などの
表示を行う乗務員支援モニターを装備している。
また、速度計はデジタルカウンター方式を採用したが、日光の当たり具合で
見づらいことがあり、後継の9000系からアナログ計に戻された。
現在、京王線のATC化に対応するための運転台の改修を行っており、
本形式についても順次、速度計をATC対応のアナログ式速度計に交換している。

登場以来、京王線系統の特急から各駅停車まで幅広く使用されている。
8連車は当初、都営新宿線への乗り入れを想定していたが、主制御装置から
発せられる電磁波により、新宿線の保安装置に悪影響を与えたため、中止された。
しかし、運用によっては新線新宿まで乗り入れることはある。
都営新宿線では保安装置を更新してVVVF車でも走行可能になったが、
現在も直通運用には就かず、後継の9030系がその任にあたっている。
平成20年の夏に高尾線高尾~高尾山口間で豪雨により崩壊した土砂に乗り上げて、
8728編成のクハ8728号車が損傷し、翌年3月に廃車された。
この代替として8000系10連車のうち、8714編成の中間に挟まれていた
クハ8814号車を2代目のクハ8728号として、同編成に組み込まれた。
8714編成の空いた部分にはサハ8550形8564号車を新造して組み込んでいる。
サハ8564号車は車体や車内は他の車両と同じだが、ドアの窓が丸くなっているのが
外観上の特徴である。
クハ8764号車と接する側の貫通路は鉄板でふさがれており、通行できない。


○8020系。8連固定編成車。10連車はタイトル参照。


○登場時の車内。パイプ状の肘掛であった。


○現在の車内。車端部に優先席「おもいやりぞ~ん」が設置されたほか、
 袖仕切りが大型化されている。


○サハ8564号車。手前の車両とのドアの窓の形状の差や
 新宿側に先頭車のクハ8764号車が接しているのがわかる。

津軽鉄道 キハ21形気動車

2011-01-14 18:55:30 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
津軽鉄道が車両の体質改善のため、開業66周年を機に導入した車両である。
平成8年に2両、平成12年に3両の計5両が製造された。
製造を担当したメーカーは新潟トランシスである。
基本的に単行運転で車番は「21-100」で振られている。

車体は普通鋼鉄製でメーカーである新潟トランシスが全国の中小非電化私鉄や
JRのローカル線向けに開発した軽快気動車「NDCシリーズ」の第2世代・18mクラスに
該当しする。
正面は貫通型で五所川原側に幌を設置している。
行き先表示は正面と側面にあり、いずれも字幕式である。
塗装はオレンジにグリーンの帯、窓周りはブラックで沿線出身の
小説家・太宰治の作品から「走れメロス」号の車両愛称を与えられている。

車内はドア付近がロングシート、他が4人向き合わせのボックスシートという
セミクロスシート配置となっている。
津軽鉄道では初めての冷房車となり、側面窓は保温のため固定式となった。
側面ドアは半自動式の片引き戸が片側2箇所(ステップ付き)で車体両端に
設けられている。
トイレや洗面所の設備は設置されていない。

機関はDMF-13HZ形直噴式ディーゼルエンジン1基で変速機は液体変速式である。
ブレーキは空気自動式ブレーキで2両以上連結しての総括制御も可能となっている。
台車はインダイレクトマウント式空気バネ台車である。
運転台は片隅式でデスク型のツーハンドル方式となり、運賃箱や料金表、
整理券発券機などのワンマン機器を搭載する。

キハ24000形24024号車(昭和42年製造)以来、29年ぶりの完全な新車となった。
本形式の導入により、キハ24000形と国鉄やJRから譲り受けたキハ22形を
置き換えている。
平成22年現在、全ての列車で終日運用されており、ラッシュ時や団体利用時は
2両編成、それ以外は単行である。

平成19年12月からは「ストーブ列車」の有料化に伴い、ストーブ客車を利用しない
一般利用客向けの車両として同列車に連結されるようになった。
津軽鉄道ではこの他に季節によって名物列車を運用することで利用客の確保に
務めており、芦野公園さくらまつり号(ゴールデンウィーク)、風鈴列車(7月下旬~
8月末)、鈴虫列車(9月~10月中旬)、太宰列車(時期不定)にも本形式が充当される。

余談だが、昨年11月14日に発売された、埼玉県民の日フリーきっぷのポスターに
本形式と思われる車両が描かれていたのを西武池袋線大泉学園駅にて発見したので
紹介する。
何故青森県の車両が「埼玉県」の表示をつけているのか、謎である。


○車内。ドア側がロングシートで他がボックスシート。


○運転台。


○鈴虫列車の車内。津軽鉄道の秋の名物である。写真の本棚の他、運転席の
 後方にも棚があり、そこにも虫かごが置いてある。
 置いてある冊子は沿線案内や地方鉄道の紹介パンフなど。
 ワンマンカーだが、女性アテンダントが乗務しており、各種案内も充実している。


○太宰列車「小説『津軽』前編」号。ヘッドマークが異なる。


○太宰列車のヘッドマーク拡大。


○太宰列車車内。車内の広告枠に小説をそのまま飾っている他、
 太宰治縁の写真なども展示されている。


○写真左のポスターに注目。どうみても本形式にしか見えない。
 ヘッドマークは空白だが、それが余計に上記の「小説『津軽』前編」号を
 思い出させる。大泉学園駅にて。