Dying Message

僕が最期に伝えたかったこと……

福知山線の脱線事故から一年

2006-04-26 19:21:39 | Weblog
昨日で福知山線の事故から一年。オレはあの事故を、確か電車で前に座ってたオッサンの読んでた夕刊を見て知った。大変だなとは思ったんだけど、詳しいことまでは把握しえなかったからね。その時はそれ程には気に留めなかった。でも帰宅してニュースで、あの列車がマンションに突っ込んだ映像を見たら、背筋が凍ったね。あまりにも凄い映像でさ。何だこりゃって。ブラウン管に映し出された光景をにわかには信じられなかった。“9.11”の時と同じように何だか映画でも見てるような、そんな錯覚に陥ったのをよく覚えてる。

その後はあまりニュースも見なかった。と言うより見られなかったんだよ。勿論あれだけの惨劇だからってのもあるんだけど、それだけじゃない。さながら野鳥でも数えてるかのように、死者の数を各局でこぞって報道してさ。一人見つかった、また一人見つかったって。それが見るに堪えなかったんだ。被害者はたまたま同じ事故で死んだだけで、それぞれの足跡があって、残したものも各々なわけだろう。だから大事故だろうと何だろうと、亡くなってしまったのはあくまで個人の問題のはずであって、包括的に「何人死んだ」って言うのは絶対に違う。まったく人の命を何だと思ってるんだって。そんなことを考えているうちに、オレは無意識にテレビの電源を消していた。

でも凄く汚い話なんだけど、ニュースを見ながら「オレはこの事故で死んだ人たちよりはマシか」なんて思っている自分もいたんだ。当時は大学受験の失敗をまだ引きずっていたからね。何と言うか、こう、安心したって言うのかな。逃げ道をあの事故に求めてしまったんだ。下を見ることでしか自分の位置を測れない、そんな自分が許せなかったね。他人の不幸を何だと思ってるんだ。オレのように他人の痛みを分からない輩が存在する限り、この世から飢餓も何もなくならないなって。とにかく物凄い自己嫌悪に陥った。

まぁそんなオレが言っても説得力はないかも分からないけど、兎にも角にも、二度とこんな事故を起こさないこと。それが被害者に捧げる、せめてものレクイエムなんじゃないかな。早さも便利さも、全ては安全があってこそのもの。JR社員全員がそれを忘れずに電車を走らせることを、切に願います。


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