Dying Message

僕が最期に伝えたかったこと……

カタカナ語

2006-04-27 20:45:49 | Weblog
最近、何が腹立たしいかって大学の授業だね。オレは経営の勉強をしてるんだけど、もう横文字のオンパレード。日本語で言うと逆に分かりづらくなるケースもあるのは確かなんだけど、でも消費者をコンシューマーなんて言うのは、ちょっと狂ってるとしか思えない。カタカナ言葉を話す人は符丁でも使ってるような気分なのかも知れないけど、傍から見たらバカ丸出し。何がディテールだって。いい加減張っ倒すぞ、ホントに。

しかし大学の講師ってのはカタカナ語はたくさん知ってる代わりに、日本語が不自由な人が多いんだよ。何かにつけて「オレの出た東大は・・・」とか言って威張り腐ってる奴がいるんだけど、そいつなんて“代替”のことを“ダイガエ”って読んでやんの。バッカじゃねえの。え、本当は何て読むかって?それは各自で調べてください(笑)。それから「諸君は私のことを卑下してるのか」だって。意味が分からんよ。“卑下”っていうのは、自分がへりくだるって意味であって、侮辱するって意味はないはずなんだけどな。まったくこんな中学生レベルの言葉の意味が分からないなんて、ただただ閉口するばかりだね。

これは別の講師の話なんだけどさ。授業で「茶髪で就活することの是非」というようなレポートを書かされたことがあったのね。で、オレは「銭湯で龍や盤若の入れ墨をしてる人を見かけたら、たとえそれがいい人であったとしても、近付きたくないと思うのが普通。だから人間は見た目で判断されるのは致し方ないわけで、企業が茶髪を嫌うなら黒く染め直すべき」ってなことを書いたんだ。それがコメント付きで返ってきたんだけど、「最近は若者の間でもタトゥーが流行っているようだが・・・」だって。おいおい、そういう話じゃないだろ。しばし呆然としたよ。

それに英語ってのは話の内容を希薄にしてしまうんだよ。例えば“尊敬する”って言葉は、相手を本気で敬ってない限りなかなか口にしづらいじゃない。でも同じ意味でも“リスペクトしてる”なんてのは気軽に言える、口先だけの言葉って感じでしょ。これは和風の料亭には入りづらくても、マックには手軽に入れるのと同じでさ。要するに日本人は脳までファストフード化してしまったわけなんだ。自信を持って発言したときに反論されるのが怖いから、自分の言葉の重みを極力なくしたい。そういう人にとって、カタカナ言葉は実に重宝ってことなんだね。

オレがカタカナ語を使っても唯一、許せるのは長嶋茂雄さんだね。あの人が素っ頓狂な横文字を使ってるのを見ると、なぜか微笑ましい。それに少し話は逸れるけど、オレ、長嶋さんって天才じゃないかって思うんだよ。いや、野球は当然なんだけど、それ以外も。あの人は立教を出てるんだけど、卒業の前に一問だけ問題を解くことになったという。で、それが“I live in Tokyo.”を過去形にしろっていうものだったんだって。まぁ問題も凄いんだけど、長嶋さんの解答はもっと凄くてさ。“I live in Edo(江戸).”と答えたという。オレ、このエピソードを聞いたときは感動したよ。だって名詞を過去形にするなんて、オレには到底思いつかないもの。オレは中高6年間、英語の授業で何をやってきたんだって。自分が情けなくもなった(笑)。

あれ、何の話だっけ。そうだそうだ、カタカナ語ね。とにかくそんなに欧米かぶれしたいんだったら、長嶋さんくらいの独創性を身につけてからにしろって話さ。そこらの変なオヤジが訳知り顔で使っても、聞いてる方は片腹痛いだけなんだから。お前らはせいぜい、日本語の勉強から始めたらどうなんだって。土台をきっちり築けって言うんだよ。


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