ラヴェンダーの咲く庭で

「みゃーきんぐ・ぷあ」から変更。保護猫と綴る日々の備忘録、独り言にすぎない半径5mの記録です!基本、読み専です。

タラ号太平洋プロジェクト

2017-03-20 10:26:05 | 時は輝いている
三連休最後の日、ぽかぽか陽気。17-9℃

朝、父の有料老人ホームから、昨夜、父がベットに登れず床に座っている、
身体にセンサーを付けると電話あり、旦那が取った。
夜中に床に座る=義母の最後の頃、
センサー=モルヒネで脳がおかしくなった実母の死の数日前のようである。
ホームは今日もぼーっとしている父を全介助、
ただし他の方も、長期間にわたり全介助でぼーっとしている人は大勢おるので、
父だけが重篤とかに見えず、命に別状はないようにも思える。
予定通りの、明日の朝一番の受診で、何が起こっているか解るかもしれない。

しかし旦那は親については全く同じ経験をしてきたにもかかわらず、
そんな私の脳内と同じ動きはしないし、私も口に出さない。

結局は根負けする、
このまま一日大人しく家に座ってなんていられない、
出かけたくてソワソワ多動な旦那の好きなようにさせる、
一日中、家にいることで当たられる事が疲れる。
今迄も、自分の兄が肝転移で危篤の時も、自分の母が余命僅かだって言われても、
この人は遊びに外出したいのが不思議だ。
まぁ、落ち込みが無い、幸せな性格だと思う。
どこでもいい、助手席に乗る。
早く休みが終わればよい。

どこにも行きたくないのだが、旦那が決めた先は、案の定チャラい所だった。
自分も買い物がある時こそ「今の流行はなんだ!」と好奇心でチャラい所に行くが、(で、買わない)
基本、冬の海岸とか、知られていない遺跡とか、図書館が落ち着く。
旦那は観光地化されている所こそが大大大好き。
横浜、みなとみらいあたりに行く。


漫画の「三月のライオン」の表紙に使われている橋だと思われ。


一度は泊まってみたい。
いや、その金はあれば猫関係に寄付するわ。


ぞろぞろぞろぞろ、人混みが凄い。


博物館も沢山あって、毎度回り切れない。


横浜といえば、童謡「赤い靴」


一瞬走り去った車には新郎新婦。




ラーメン女子博なるものも開催、
ショッキングピンクのどんぶりで、どれもラーメン一杯900円。




この馬が結構かわいそうだった…。
今でもすでにかわいそう、猛暑のアスファルトの焼ける夏など見たくもない。

赤レンガ倉庫は放置されていた頃が一番格好良かった。
数人釣り人が出入りする程度で。



修復されてからはチャラすぎて話にならぬ。
お店も高いブランドか、ブランド以外も内容がチャラいし、断捨離中の人には無縁。
「断捨離でも別、買うわ~♪」という程の魅力が無いのだ。私限定だが。

渋い所では、







ここの話しかけてくれたボランティアのおっさんと話が弾む、弾む、
別に軍事マニアでも、政治ブログ読み漁って詳しいわけでもないが。
「一生懸命説明してくれたおっさん、サンクス」と思うオバサンであった。

さて、そこを出てからすぐの所に目立つ舟一艘、工作船ぢゃないw



なんか知的な方々、およびマニアックな人々が集まっておる。






あまりチャラくない人々の群れは、タラ号を歓迎していた。



タラ号は2016年にフランスのロリアンから出港、2018年まで東南アジアのサンゴを調査して気候変動を調べている。
タラ号が横浜港を離れる時に、「しっかり頼んだぞ」と、部外者の私も関係者に紛れて大きく手を振った、
「これから大海原の太平洋かぁー」と。
がっ、
これから勝手に小笠原諸島のサンゴだと思っていたが、今日、船はこのまま東京湾に戻り、
それから銚子や下田らしい。
結構ちまちましている。

水陸どっちでものバス。

を横目に、

何となくラーメン博物館に入る。


麺類は好きだけど、インスタント麺に萌えるということも無かったなぁ。






ここで安藤百福さんの生涯の映画を見せられるが、
これがまた、逆境を跳ね返す、凄い前向きなオジサンなんである。中年の星!である。
安藤百福さんの話は良かったです💛
チキンラーメンの産まれた研究小屋に萌えた。(これを持ち帰って家庭内別居したい。)

















安藤さん、字も達筆、
95歳で心筋梗塞で亡くなる前年が宇宙食ラーメン開発成功、
亡くなる数日前もゴルフだ、仕事だ、
昼食がずーっとチキンラーメンに餠を入れた物だとか、
こうなると糖質制限ブームなんてくそくらえである。

と思っているかは知らないが、

博物館内はオリジナルカップラーメンを作る人の群れでごったがえす。
余りの人気に受け付けは本日終了。

売店も可愛い詰め合わせとかいっぱいあった。



このヒヨコのポーチのシリコンを、指でぐにぐに押してみたい衝動に駆られていた時だった。
ずっと小学三年生位の男の子が私からぴったりくっついて離れないのが少し気になっていた。
新手のナンパ✖、迷子だろうか???と。
その子は、私の腰に縋り付き、数回私に「ママ~」と言って、違っていてお互いにビックリしたのだった。
新手のタカリ、クレクレでなければだが、、、
「ばぁば~」と言われていない事、若く見られたに素直に喜ぶ事にする。



博物館を出て、飛鳥Ⅱが寄港しているので旦那に合わせて近づく。
飛鳥は亡き母が日本郵船の株を少し持っていて、株主御優待券が来ると、いつか乗りたいと言って、結局、乗らずに癌で死んだ。
だから、飛鳥を見ると思い出して本当は嫌なのだ。













先端にプール。


お元気な老夫婦、
お爺さんが旅で、奥さんがこちらから見送っている姿などを見て、
なんか、病気ばかりしている自分の両親を思い出して悲しくなる。

周りの小さなお店には、





猫、
24年まで生きた看板猫さんの事が貼り出してあった。
四半世紀、24年暮らすと、お別れが辛いね…。




帰宅する直前、博物館では買わなかったが、
近所のスーパーでインスタントラーメン(期間限定が値下がり)を購入。
これからは安藤さんを思い出しながら食しそうだ。
くたびれきって、夕飯も惣菜を買う。
外出が疲れる、>楽しいを疲れるが上回ると言うと、
「わかったよ、これからは一人で行く」と言う。

(まぁ、翌日にはさらに疲れる事が待っていたのだが。)






厳粛な会場にネコ一匹
03月19日 12:43河北新報



慰霊碑の除幕式に現れた猫=2017年3月11日午後0時55分ごろ、宮城県山元町

(河北新報)

 ◇…宮城県山元町で11日にあった東日本大震災の犠牲者を悼む慰霊碑の除幕式。遺族や町関係者が硬い表情で居並ぶ中、1匹の猫が現れた。
 ◇…近所の飼い猫とみられ、遺族席の前に行儀良くお座り。町長のあいさつに先立って慰霊碑に歩み寄ると、鳴き声を上げることもなく立ち去った。
 ◇…震災ではペットなど多くの動物も命を奪われた。「きっと仲間たちの慰霊に来たんだね」。かわいらしい飛び入りの参列に、厳粛な会場の雰囲気は少しの間だけ和らいだ。
コメント (5)
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