荒れ放題のわが家の小さな庭は、雑草も含めて一番元気な時を迎えています。
「山笑う」といえば、山が緑にあふれてくる様子を表現していて俳句では春の季語になっています。わが家の庭は山ではなく、のっぺりとしていますが、それでも、「山笑う」という表現を借りたいほどですが、実態はそれ以上で「山笑い転げる」と言いたいほどに何もかもが生い茂っています。
それでも、球根類たちは賢いもので、大して世話をしてもらっていなくても季節ともなれば芽を伸ばし、やがて鮮やかな花を咲かせてくれます。
チューリップは毎年球根を掘り上げ、新しいものも加えて秋に植えますが、その他のものはほとんどほったらかしですが、次々と花を咲かせてくれるのです。
わが家の球根類の色合いの主役は「紫」あるいは「青紫」のようです。ヒヤシンス、ムスカリ、アイリスと青紫系の色が多く、球根ではありませんが、一本きりのフジも、見事な花房を数多くつけてくれました。
それらの花が盛りを終えた今、がぜん存在感を示してくれているのがノースポール(クリサンセマム・パルドサム)です。この花はキク科の一年草ですが、まだ寒い頃から花を付け始め、四月には満開状態でしたが、今もなおまだまだ元気です。
数年前に鉢植えしていたものの種から広がっていったものですが、年々その勢力範囲を広げて行き、今年は、通路ばかりでなく、花壇の中から菜園としている場所の一画も占領していて、先日のトマトの植え付けは、その花の間を間借りするような状態で植えました。
球根類たちが花色を誇っていた頃はあまり目立たなかった小さな白い花は、その数の多さもあって、現在のわが家の庭の主役になっています。
それにしても、花の色は、実に様々なものがありますねぇ。
わが家の庭で咲いてくれるものだけでもかなりの数になりますし、植物園などの物を見ますと、無限と表現したいほどです。
自然界にある花の色合いは、「白色」系統が一番多くて33%ほどを占めているそうです。次いで「黄色」系統が28%、「赤色」系統が20%、「青紫」系統が17%ほどだそうで、それ以外の色はせいぜい2%ほどだそうです。
そして、例えば、「黄色」だとか「赤色」だとか言っても、それぞれの花には微妙な違いがあって、さらに複色の物や斑入りの物もあるので、完全に花色の種類を分類することなど不可能に近いことでしょう。
花が、なぜ様々な色を持っているのかと言えば、虫などを引き寄せる手段として進化の過程で「色」というものを持ったと考えられています。もっとも、最近では、人間の目を楽しませるために、あるいは商品価値を高めるために交配などによって生み出された色も少なくないことでしょうが、それを花たちはどう受け取っているのでしょうか。
それはともかく、子孫に命をつないでいくために花たちは「色」というものを持ち始めたとした場合、なぜ様々な色が生まれてきたのでしょうか。絶対的に有利な「色」があるのであれば、すべての花は、同じ色になっていたのではないかと思うのです。
実際には、気候状況、地質、他の花たちとの競合等々もあって、媒体となる虫たちの種類も違ってきたことでしょうから、それぞれが生き残りのために最善を図ったのではないでしょうか。中には、同じ花でありながら違う色があるというのは、環境の違いもあるでしょうが、それぞれの個体の判断の差もあったのではないかと思ったりしています。
花といっても、のんびり咲いているわけではなく、命をつなぐ壮絶な努力が重ねられてきているのかもしれません。
( 2015.05.03 )
「山笑う」といえば、山が緑にあふれてくる様子を表現していて俳句では春の季語になっています。わが家の庭は山ではなく、のっぺりとしていますが、それでも、「山笑う」という表現を借りたいほどですが、実態はそれ以上で「山笑い転げる」と言いたいほどに何もかもが生い茂っています。
それでも、球根類たちは賢いもので、大して世話をしてもらっていなくても季節ともなれば芽を伸ばし、やがて鮮やかな花を咲かせてくれます。
チューリップは毎年球根を掘り上げ、新しいものも加えて秋に植えますが、その他のものはほとんどほったらかしですが、次々と花を咲かせてくれるのです。
わが家の球根類の色合いの主役は「紫」あるいは「青紫」のようです。ヒヤシンス、ムスカリ、アイリスと青紫系の色が多く、球根ではありませんが、一本きりのフジも、見事な花房を数多くつけてくれました。
それらの花が盛りを終えた今、がぜん存在感を示してくれているのがノースポール(クリサンセマム・パルドサム)です。この花はキク科の一年草ですが、まだ寒い頃から花を付け始め、四月には満開状態でしたが、今もなおまだまだ元気です。
数年前に鉢植えしていたものの種から広がっていったものですが、年々その勢力範囲を広げて行き、今年は、通路ばかりでなく、花壇の中から菜園としている場所の一画も占領していて、先日のトマトの植え付けは、その花の間を間借りするような状態で植えました。
球根類たちが花色を誇っていた頃はあまり目立たなかった小さな白い花は、その数の多さもあって、現在のわが家の庭の主役になっています。
それにしても、花の色は、実に様々なものがありますねぇ。
わが家の庭で咲いてくれるものだけでもかなりの数になりますし、植物園などの物を見ますと、無限と表現したいほどです。
自然界にある花の色合いは、「白色」系統が一番多くて33%ほどを占めているそうです。次いで「黄色」系統が28%、「赤色」系統が20%、「青紫」系統が17%ほどだそうで、それ以外の色はせいぜい2%ほどだそうです。
そして、例えば、「黄色」だとか「赤色」だとか言っても、それぞれの花には微妙な違いがあって、さらに複色の物や斑入りの物もあるので、完全に花色の種類を分類することなど不可能に近いことでしょう。
花が、なぜ様々な色を持っているのかと言えば、虫などを引き寄せる手段として進化の過程で「色」というものを持ったと考えられています。もっとも、最近では、人間の目を楽しませるために、あるいは商品価値を高めるために交配などによって生み出された色も少なくないことでしょうが、それを花たちはどう受け取っているのでしょうか。
それはともかく、子孫に命をつないでいくために花たちは「色」というものを持ち始めたとした場合、なぜ様々な色が生まれてきたのでしょうか。絶対的に有利な「色」があるのであれば、すべての花は、同じ色になっていたのではないかと思うのです。
実際には、気候状況、地質、他の花たちとの競合等々もあって、媒体となる虫たちの種類も違ってきたことでしょうから、それぞれが生き残りのために最善を図ったのではないでしょうか。中には、同じ花でありながら違う色があるというのは、環境の違いもあるでしょうが、それぞれの個体の判断の差もあったのではないかと思ったりしています。
花といっても、のんびり咲いているわけではなく、命をつなぐ壮絶な努力が重ねられてきているのかもしれません。
( 2015.05.03 )
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