雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

褒められて育つ ・ 小さな小さな物語 ( 728 )

2015-09-24 14:46:05 | 小さな小さな物語 第十三部
「褒められて育つタイプだ」という言葉を、テレビなどで自分を指して言うのにお目にかかったことがあります。
もちろん、冗談半分で、あまり真剣な気持ちや深刻な意味などないことを前提に話されていることがほとんどなのですが、なかなか考えさせられる言葉だと思います。
テレビに限らず、自分を指していう場合には冗談が混じっていることが多いと思うのですが、本気で自分のことを「褒められて育つタイプ」だと考えている人は意外に多いのではないでしょうか。もっとも、そういう人の大半は、褒められても大して育ってないような気もするのですが。

「褒めて育てる」の反対は「叱って育てる」ということなのでしょうが、つまり、「厳しく育てるか優しく育てるか」ということの議論になると思うのですが、これは遠い昔から行われてきたような議論だと思われます。
勉学であれスポーツであれ技術などの伝承であれ、「教える」ということは簡単なことでないことは、厳然たる真理でしょう。古来、さまざまな手法や接し方が議論され、あるいは伝えられていく中で、オーバーな言い方をすれば、「褒めて育てる」と「叱って育てる」は、典型的な対局軸として浮かび上がってきたのではないでしょうか。

ただ、「褒めて育てる」ということは有力な教育方針の一つなのでしょうが、「褒めること」と「甘やかすこと」とが混同されていたり、単に、接するのが恐いために厳しく出来ないことを「褒めて育てているのだ」と勘違いしているように見受けられることが多々あるように思われます。
「叱って育てる」という場合も同様です。自分の指導力の不足を、圧倒的に弱者の立場にある者に対して暴力・暴言まがいの力によって従わせようとすることを、「厳しい指導を行っている」などと本気で思っている指導者が少なくないことは、報道などでもよく見かけることです。
「理想的な教育者などそうそういるものではない」ということは事実でしょうが、とんでもない勘違いをしている指導者によって育てられていった人々の不幸を考えると、何らかの対策が必要な気がします。
そして、これは、単に個々の指導者の問題だけでなく、例えば、昨今の国政から地方政治に至るまでの選出された人の中から、人格さえ疑いたくなる人物が次々と登場しているのを見ますと、選挙民たる私たちこそが、甘やかすだけ甘やかせて、問題が出てくれば、ただただ厳しく叱りつけている、といった最悪の指導者と同然に振る舞っているような気がするのです。

かつて、相当古い話になりますが、すでに故人となられた、ある大経営者と呼ばれた方は幼児教育にも注力されていて、その著書の中で、「甘やかすのは良くない。厳しすぎるのも良くない。しかし、最も良くないのは、無関心であることだ」と述べておられました。(記憶で書いていますので、正しい文章ではないかもしれません)
折から、地方統一選挙が展開されています。私たちが選挙に無関心であることが、政治を志す人を育てる上で、最も大きな弊害になっているのではないでしょうか。

( 2015.04.09 )

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