雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

百鬼夜行 ・ 今昔物語 ( 14 - 42 )

2020-02-29 09:06:16 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          百鬼夜行 ・ 今昔物語 ( 14 - 42 )


今は昔、
延喜(エンギ・第六十代醍醐天皇の御代)の御代に、西三条の右大臣と申す人がおられた。御名を良相(ヨシミ・藤原氏)と申された。
その大臣の御子に、大納言兼左大臣の常行という人がおられた。(常行は正しくは右大臣。また、良相、常行ともに第五十六代清和天皇の御代に死去しているので、時代に矛盾がある。)
その大将は長い間童姿であられて、相当成長するまで元服もされずにおられた。この人は姿美麗にして好色の心があり、女に想いをかけることは人並みを越えていた。それゆえ、夜になると、家を出てあちらこちらに行くのを日課にしていた。

さて、大臣の家は、西の大宮大路よりは東、三条大路よりは北にあり、ここを西三条という。ところが、この若君は東の京に想いをかけている女がいたので、頻繁に出かけていたので、父母は夜歩きを心配して強く制止されたので、密かに、誰にも知らせずに、侍所の馬を連れて来させて、小舎人童(コトネリワラワ・雑用にあたる年少の従者)と馬の口を取る侍だけを連れて、大宮大路を北に上り、それから東に向かって行き、美福門の前の辺りを通っていると、東の大宮大路の方から多くの人がたいまつを灯して騒ぎ声を立てながらやって来る。
若君はこれを見て、「彼らは、どういう者がやって来るのだろう。どこに隠れたらよいだろうか」と言うと、小舎人童が「昼間見ましたところ、神泉苑の北の門が開いておりました。そこに入って、戸を閉じて、しばらくそこにおいでになられて、行き過ぎさせなさいませ」と言った。
若君は喜んで、馬を走らせて神泉苑の北の門の開いている中に駆け込んで、馬から下りて柱の陰で小さくなっていた。

すると、たいまつを灯した者どもが通り過ぎていく。
「いったい何者だろう」と戸を少し開けて覗いてみると、なんと、彼らは人ではなく鬼どもであった。様々に怖ろし気な姿をしている。これを見て、「鬼だったのだ」と思うと、肝がつぶれ心は動転して、何も分からなくなってしまった。目もくらんで、うつ伏していたが(一部欠字あり推定した)、聞くと、鬼どもは通り過ぎながら、「この辺りに人間の気配がするぞ。そ奴を捕まえようではないか」という声がすると、一人の鬼が走ってくるようだ。
「我が身も、これが最期だ」と思ったが、鬼は近くまで寄ってくることもなく走り返ったようだ。すると、また声が聞こえてきて、「どうして捕まえないのだ」というのに対して、走ってきた者は「とても捕まえられません」と答えると、「どうして捕まえられないというのだ。しっかり捕まえて来い」と命じると、別の鬼が走って来る。ところが、それも同じように、近くまで来ることもなく走り返ってしまった。
「どうだった。捕まえたか」というと、「やはり、捕まえることが出来なかった」と答えると、「おかしなことを言うものだ。それではわしが捕まえてやろう」というと、命令していた鬼が走りかかってきたが、これまでより近くまで来て、まさに手が届くばかりになった。
「今度は、もう駄目だ」と思っていると、その鬼もまた走り返って行った。
「どうでしたか」などと尋ねている様子で、「確かに捕まえられないのも、当然のことだ」と言うと、「どうしてそうなのか」と尋ねると、「尊勝真言(ソンショウシンゴン・・尊勝陀羅尼に同じ。釈迦如来の頭頂にある髷より現出した尊勝仏頂尊の陀羅尼呪で、病悩消滅・長寿安楽・厄難除去の功徳があるとされた。)がおいでだったのだ」と答えると、その声を聞くとともに、多くのたいまつが一度に消えた。そして、鬼どもが東西に走り散る音がしていなくなってしまった。
その後も、かえって恐ろしさが増してきて、若君は茫然としていた。

されど、そのままにいるわけにもいかず、無我夢中で馬に乗って、西三条に帰った。
自室に帰り着いても、気分がひどく悪いので、ぐったりと床についたが、発熱していた。
乳母は、「どちらへ行っておられたのですか」と言い、さらに「お殿様や奥様があれほどご注意申し上げておりましたのに、『夜更けに出かけておられる』とお聞きになられると、どう申されることでしょうか」などと言いながら、近くに寄ってみると、とても苦しそうなので、「どうしてそれほど苦しそうにされているのですか」と言って、体を触ってみると大変熱い。

「これは大変です」と乳母は言って、あわてふためく。
そこで、若君が事の次第を話すと、乳母は「驚いたことでございます。昨年、わたしの兄弟である阿闍梨にお願いして、尊勝陀羅尼を書いてもらい、お着物の襟に入れておきましたが、まことにありがたいことでございました。もし、そうしたことがなければ、どうなっていたことでしょう」と言って、若君の額に手を当てて泣くこと限りなかった。
こうして、三、四日ばかりは高熱が続き、様々な祈祷が行われ、父母も大変心配された。病状は、三、四日ほどで回復した。その時、暦を見てみると、鬼と出会った夜は、忌夜行日(キヤギョウビ・陰陽道で、百鬼夜行の日であることから、夜行を禁止する日。)に当たっていた。

これを思うに、尊勝陀羅尼の霊験というものは、極めて有りがたいものである。されば、それを人の体に必ず着け奉るべきである。
この若君は、この尊勝陀羅尼を衣の襟に入っていることをご存じなかったのだ。
その頃、この話を聞いた人はみな、尊勝陀羅尼を書いて、お守りとして持ち奉っていた、
となむ語り伝へたるとや。

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