雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

亀の恩返し ・ 今昔物語 ( 19 - 29 )

2023-01-23 10:07:45 | 今昔物語拾い読み ・ その5

       『 亀の恩返し ・ 今昔物語 ( 19 - 29 ) 』


今は昔、
延喜の天皇(醍醐天皇・但し、時代が矛盾する。)の御代に、中納言藤原山陰(ヤマカゲ・ 824 - 888 。醍醐天皇の即位は 897 年。)という人がいた。
たくさんの子供がいたが、その中に一人の男の子がいた。容姿端麗な子で、父はこの子を可愛がっていた。母は継母であったが、父の中納言以上にこの子を特に慈しんでいたので、中納言はそれを嬉しく思って、すっかり継母にまかせて養育させていた。

やがて、中納言は大宰帥になって、鎮西に下ることになった。中納言はこの継母を信頼できる者だと思っていたが、継母の方は、「この子を何とかして殺してしまおう」と思う心が強く、鐘の御
崎(福岡県宗像郡にある)という所を通り過ぎる頃、継母はこの子を抱いて、小用をさせるようにしていて取り[ 欠字。「落す」といった意味の語らしい。]たる様にして海に落とし入れた。その事をすぐには知らせず、帆を上げて走る船がしばらく進んでから、「若君が海に落ちられた」と言って、継母は泣き叫んだ。師(ソツ/ソチ・中納言山陰のこと。)はこれを聞いて、海に身を投げ入れんばかりに泣き取り乱すこと限りなかった。

そして、帥は、「あの子が死んでしまったのであれば、せめて亡骸なりとも見つけて引き上げてこい」と言って、多数の従者たちに浮舟(船に備え付けてある小舟。)に乗せて捜しに行かせた。自分が乗っている船も止めさせて、「何としても、あの子の生死を確かめてから行こう。それが分かるまではここに居るつもりだ」と言って、船を止めさせていた。

従者たちは一晩中小舟に乗って、海上を漕ぎ回ったが、どうして見つけることなどできようか。いつしか夜が明けきった頃、海上[ 欠字あるも不詳。]として渡ったが、ふと海面を見ると、波の上に白みがかった小さい物が見える。
「鴎という鳥だろう」と思って、近くまで漕いで行ったが飛び立たないので、「おかしいぞ」と思ってさらに近くに漕ぎ寄せてみると、捜している子が海面に打ち[ 欠字あるも不詳。]て居て、手でもって波を叩いていた。
喜びながら漕ぎ寄せてみると、大笠ほどもある亀の甲羅の上にその子は乗っていた。喜びながら大慌てでその子を抱き取ると、亀は同時に海の底へ入って行った。

帥の船に大急ぎで漕ぎ寄せて、「若君が見つかりました」と言ってその子を差し出すと、帥は慌てふためいて抱き取つて、大喜びして涙を流した。
継母も、「奇怪なことだ」と思いながらも、同じように泣きながら喜んだ。この継母は、内心を深く隠して、いかにも可愛がっている様にしていたので、帥もすっかり頼りにしていたのである。

こうして、船を出発させたが、帥は一晩中心配の余り寝ることが出来なかったので、昼間に物に寄りかかって寝入ってしまったが、その夢に、船のそばに、大きな亀が海中から首を出して、自分に何か言いたげな様子であった。そこで、船縁に身を乗り出すと、その亀は人の言葉のようにして、「お忘れになりましたか。私は、先年、河尻(淀川の河口にある地名。)において、鵜飼のために釣り上げられました折りに、買い取って逃がしていただいた亀でございます。その後、『何とかして、このご恩に報じよう」と思いまして、御船に付いてきますと、昨夜、鐘の御崎で、継母が若君を抱いて船の欄干越しに取り落とす振りをして海に落とし入れましたので、それを甲羅の上に受け取り、御船に遅れないようにと泳いできたのでございます。これから先も、この継母に気を許してはなりません」と言うと、海中に首を差し入れた、と見たところで夢から覚めた。

その後、思い出してみると、先年、住吉神社に参詣した時、大渡という所で一人の鵜飼いが船に乗ってきたが、見てみると、大きな亀が一匹船から顔を出していて、それが自分と顔があった時、とても可哀想に思われたので、着ていた着物を脱いで鵜飼いに与え、その亀を買い取って海に放ってやったことがあった。今やっと思い出した。「さては、あの時の亀だったのだ」と思うと、実に憐れな気がした。そして、継母がおかしいほどに大げさに泣き騒いでいたことを思い合わせると、たいそう憎らしくなった。
そこで、その後は、その子には乳母をつけて、自分の船に乗せた。
鎮西に着いてからも、気にかかり心配なので、別の所にその子を住まわせ、常に自分の方がそこへ通った。
継母はその様子を見て、「気付かれたのだ」と思って、何も口出ししなくなった。

帥は任期が終り、京に帰って後、その子は法師になった。名を如無(ニョム)と付けた。すでに一度死んだと思った子なので、「無きが如し」と付けたのである。
山階寺(興福寺の別称)の僧となり、後には宇多天皇に仕え、僧都にまで上ったのである。
父の中納言が亡くなると、継母には子がなかったので、この継子の僧都に死ぬまで世話を受けた。事に触れて、どれほど恥ずかしい思いをしたことだろう。

「あの亀は、単に恩に報じただけではない。人の命を助け、それを夢で見させるなど、とてもただ者ではない。仏・菩薩の化身などであったのだろうか」と思われる。
この山陰の中納言は、摂津国の総持寺(西国三十三所観音霊場の一つとして現存している。)という寺を造った人である、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 亀に助けられた渡来僧 ・ ... | トップ | 地獄から母を救う ・ 今昔... »

コメントを投稿

今昔物語拾い読み ・ その5」カテゴリの最新記事