雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

地蔵菩薩一筋の僧 ・ 今昔物語 ( 17 - 30 )

2024-04-11 08:02:54 | 今昔物語拾い読み ・ その4

     『 地蔵菩薩一筋の僧 ・ 今昔物語 ( 17 - 30 ) 』


今は昔、
下野国に薬師寺(栃木県にあった寺院。奈良朝時代の日本三戒壇の一つ。)という寺があった。朝廷がその寺に戒壇(カイダン・受戒の儀式を行う所。)を始めて置かれたことで尊ばれている寺である。
ところで、その寺に一人の堂童子(ドウドウジ・仏道の管理や雑務に当たる下級の僧)の僧がいた。名を蔵縁(ゾウエン・伝不詳)と言った。
その僧は、長年地蔵菩薩にお仕えし、日夜寝ても覚めても祈念し奉って、これ以外のお勤めは全くしなかった。

さて、蔵縁が三十歳になった頃から、しだいに家が豊かになり、縁があって妻子を儲け大いに栄えた。
そこで、親しい人たちと相談して、それぞれ力を合わせて一つのお堂を造り、仏師を招いて等身の地蔵菩薩像一体をお造りして、そのお堂に安置した。そして、常に香華灯明を奉り、日夜怠ることがなかった。
また、毎月二十四日(地蔵菩薩の縁日)には僧供養を盛大に行い、多くの僧を招いて供養の布施を行い、法会を営んだ。そして、夜には地蔵講を行った。
近隣の僧俗は皆集まってきて、聴聞し、終夜礼拝した。

ところで、蔵縁は日ごろから口癖のよう誰彼に向かって、「私は、必ず月の二十四日に極楽往生するでしょう」と話していた。それを聞く人は、ある人は褒め尊んだが、ある人は誹り嘲笑した。
やがて、蔵縁はしだいに年老いて、九十歳になった。それでも、顔色は壮年の人のようであり、歩行も衰えず、十分な力を保っていた。それゆえ、熱心に礼拝恭敬することが衰えることがなかった。これを見聞きする人は、「不思議な事だ」と思っていた。

そして、延喜二年( 902 )という年の八月二十四日に、蔵縁は多くの饗応の膳を準備して、知っている遠近の男女を招いて、酒食をすすめて、「私、蔵縁が皆様にお会いするのも今日限りとなりました」と自ら話した。
集まって来ていた人々は、ある者はいつもの事だと思って帰っていき、ある者はこの言葉を怪しみながらも涙を流していたが、やがて、皆家に帰っていった。

その後、蔵縁は、あの地蔵堂に入って、そのまま死んでしまった。
しかし、誰もそれを知らなかった。
明くる朝、家の者がお堂の戸を開けてみると、仏の御前に、蔵縁が掌を合わせて額に当て、坐ったままで死んでいた。
これを見て家の者は、驚いて多くの人ら知らせた。人々は皆やって来て、これを見ると、涙を流して感激し、尊ばない者はいなかった。まことに、日ごろの言葉に違わず、月の二十四日に仏の御前で、端坐して亡くなったのだから、疑いなく往生を遂げたのだ、と人々は言い合った。
これはひとえに、地蔵菩薩を長年に渡って祈念し奉ったご利益である、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


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