雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

名画を楽しむ ・ 小さな小さな物語 ( 184 )

2011-01-12 09:55:52 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
テレビで古い映画を観ることがよくあります。何十年も昔に作成されたもので、時代背景などは懐かしくもあり古めかしくもあり、現在取り上げられるものは、当時それなりに評価を受けたものが大半だと思うのですが、さすがに最近のものに比べると多くの点で見劣りする部分は否めません。


私の場合、テレビで観る映画は、その半分近くは以前に観たことのあるものです。それほど多くの映画を観てきたわけではないのですが、以前感動を受けたものが放送されるのを知るとついつい観てしまうためだと思われます。ただ、その場合、確かに懐かしさはあるのですが、新たな感動を受けるということはめったにありません。


実は、そのような映画を観ながら、ふと、こんなことを考えました。
古い映画の場合、まだモノクロのものも少なくありません。正直、カラーでないことに少々がっかりしながら観始めるのですが、その作品がそこそこ面白い場合、いつの間にかモノクロであることにそれほど抵抗を感じなくなってしまいます。
それはおそらく、色がないことになれるからではなく、無意識のうちにモノトーンの景色や服装などにそれなりの色彩を感じながら観ているように思うのです。多分、この種のことに関しても脳の働きなどの研究がなされているのでしょうが、私はそれを知りませんので、勝手な感覚だけの話になりますが、とても不思議な気持ちがしています。


私はそのような映画を観ながら、夕日を見れば赤や朱の色に見え、大空を仰ぎ見れば青や水色に見えているのでしょう。しかし逆に、華やかな赤系統の色の服装を、沈んだ青系統の服と思い、微妙なニュアンスを取り間違っていることがあるかもしれません。
そしてそれは、私たちの日常生活にもあることのように思われます。
私たちの感情は、パソコンが表現できるよりはるかに複雑な色彩を用いて発信されているように思われます。しかし、それを受け取る私たちの能力は、モノクロとはいわないまでも、せいぜい十二色程度の識別能力しかないように思うのです。
人間どうしの意思の疎通がいかに難しいかよく経験するところですが、どうもこれは人間の持つ能力からして仕方がないのかもしれません。

(2010.07.19)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 誤差の範囲 ・ 小さな小さ... | トップ | 最善は望みませんが ・ 小... »

コメントを投稿

小さな小さな物語 第一部~第四部」カテゴリの最新記事