雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

時間を計るもの ・ 小さな小さな物語 ( 186 )

2011-01-12 09:53:47 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
各地に大きな被害をもたらした集中豪雨がようやく去ってくれたたと思うと、今度はすさまじい猛暑です。今年くらい梅雨明け宣言が易しい年はないのではないかと思うくらい、見事に豪雨からカンカン照りへと季節が動きました。


昨日も地域によっては竜巻警報が出たり、激しい雨に見舞われた地域もあるようですが、日本全体としては、夏休みを絵に描いたような天候です。
ところで、遥かに遠い昔のことになりますが、まだ小さな子供の頃、待ちに待っていた夏休みがやってきて、特に最初の数日のうちはまるで天下でも取ったような気分を味わったものです。
蝉の声で起きだし、朝食が終わると友達と近くの溜池に泳ぎに行きました。溜池といっても、いずれも農業用水用のものですが、大きなものは周囲1kmに及ぶものも珍しくなく、しかも子供が歩いて行ける距離の範囲にでも、50やそこらはあったと思います。それでも遊びに行く池は大体決まっていて、平地の池や、山あいに幾つか並んでいる池の一番上の池はたいてい「お姫池」と呼ばれていて泳いではいけない池とされていました。
やがて昼時になると、それは太陽の位置と空腹感から分かるのですが、みんな揃って家へ帰り、全員が食事が終わった頃には、またぞろぞろと集まって池に行きました。そこで二時間ばかり遊ぶと、家へ帰り、全員が庭らしいものもない小さな家ばかりでしたが、日陰になる場所をちゃんと確保していて、ゴザやムシロを敷いて、将棋をしたり、メンコをしたり、ごくごくたまには宿題をしたり・・・、そんな日々でした。
あの頃、私たち子供は何で時間を計っていたのでしょう。


よくいわれることですが、二十代より三十台、三十代より四十台、といったように、年代を重ねるほど時間が経つのが早いといいます。私が先輩から言われたのには、同じ二十代でも、前半の五年より後の五年の方が遥かに速いというものがあります。これは、私自身何回も経験済みの事実です。


私たちは、時間を何で計っているのでしょうか。
「時計」というくらいですから、時間を計るもとになるものは時計が刻むものによるのかもしれませんし、私たちの日常は、まさに時計に縛られているいってもよいほどです。
しかし、いくら正確な時計を用いても、私たちの体感時間というものを正確に計ることは不可能だと思われます。ある時は長く感じ、ある時は短く感じ、またある時には止まってしまうことさえある私たちの時間の感覚は、何により制御され計られているのでしょうか。しかも、早くなったり遅くなったり、個々の感覚のままに自由奔放に振る舞っているように見えながら、ふと気がついてみると、カチカチと規則正しく時を刻む時計の束縛から一分たりともはみ出すことなど出来ていないのです。
私たちは、時間をどのようにとらえ、どのように付き合っていけばいいのでしょうか。

(2010.07.25)

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