二羽の鸚鵡 ・ 今昔物語 ( 3 - 12 )
今は昔、
天竺に須達長者(シュダツチョウジャ・釈迦と同時代の人物)という長者がいた。仏法を信じ敬い、多くの比丘(ビク・僧)のために檀越(ダンエツ・施主)として常に比丘を供養(ここでは、飲食や生活用品を提供すること。)した。
その長者の家に、二羽の鸚鵡(オウム)という鳥がいた。一羽をリツダイといい、もう一羽をシャリツダイという。この鳥は、畜生とはいえ智恵があって、その家に比丘が来た時には、この鳥がまず出てきて比丘を見て、家の中に入って長者に告げて送迎した。
このようにして数年が過ぎた。
ある時、阿難(アナン・釈迦の高弟の一人で、従兄弟にあたる。)が長者の家にやってきて、この二羽の鳥が聡明なのを見て、鳥のために四諦(シタイ・・諦は心理のことで、苦・集・滅・道の四真理。)の法を説いて聞かせた。
その家の門の前には樹木があった。この二羽の鳥は、法を聞くために樹の上に昇り、法を聞いて歓喜し、その教えをしっかりと身につけた。
その夜、二羽の鳥は樹の上で寝たが、タヌキ(イタチか?)に喰われてしまった。
「法を聞いて歓喜したことで、この二羽の鳥は四天王天(シテンノウテン・欲界の第一天。四天王が司り仏法を守護する欲界の一番下の天。)に生まれるであろう。その天での命が尽きれば、順に上位の天に昇り、他化自在天(タカジザイテン・欲界の第六天。最上位の天。)まで生まれ変わる。かくの如くして、六欲天の間を上下七度輪廻転生して、それぞれの天界での寿命が尽きた後には、人間界に生まれて、出家して比丘となり、仏道を修業して、辟支仏(ビャクシブツ・仏に一度聴法した後、山林等に籠ってひたすら観想を行じ、独学自修した聖者を指す。)になることが出来るであろう」(この部分、誰が予言しているのか不明。阿難と考えるのが自然だが、仏弟子が未来果を予言する例は他にないらしい。)
一人はドンマと名付けられ、もう一人はシュドンマと名付けられる。
これを以て思うに、法を聞いて歓喜する功徳は計り知れない、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
今は昔、
天竺に須達長者(シュダツチョウジャ・釈迦と同時代の人物)という長者がいた。仏法を信じ敬い、多くの比丘(ビク・僧)のために檀越(ダンエツ・施主)として常に比丘を供養(ここでは、飲食や生活用品を提供すること。)した。
その長者の家に、二羽の鸚鵡(オウム)という鳥がいた。一羽をリツダイといい、もう一羽をシャリツダイという。この鳥は、畜生とはいえ智恵があって、その家に比丘が来た時には、この鳥がまず出てきて比丘を見て、家の中に入って長者に告げて送迎した。
このようにして数年が過ぎた。
ある時、阿難(アナン・釈迦の高弟の一人で、従兄弟にあたる。)が長者の家にやってきて、この二羽の鳥が聡明なのを見て、鳥のために四諦(シタイ・・諦は心理のことで、苦・集・滅・道の四真理。)の法を説いて聞かせた。
その家の門の前には樹木があった。この二羽の鳥は、法を聞くために樹の上に昇り、法を聞いて歓喜し、その教えをしっかりと身につけた。
その夜、二羽の鳥は樹の上で寝たが、タヌキ(イタチか?)に喰われてしまった。
「法を聞いて歓喜したことで、この二羽の鳥は四天王天(シテンノウテン・欲界の第一天。四天王が司り仏法を守護する欲界の一番下の天。)に生まれるであろう。その天での命が尽きれば、順に上位の天に昇り、他化自在天(タカジザイテン・欲界の第六天。最上位の天。)まで生まれ変わる。かくの如くして、六欲天の間を上下七度輪廻転生して、それぞれの天界での寿命が尽きた後には、人間界に生まれて、出家して比丘となり、仏道を修業して、辟支仏(ビャクシブツ・仏に一度聴法した後、山林等に籠ってひたすら観想を行じ、独学自修した聖者を指す。)になることが出来るであろう」(この部分、誰が予言しているのか不明。阿難と考えるのが自然だが、仏弟子が未来果を予言する例は他にないらしい。)
一人はドンマと名付けられ、もう一人はシュドンマと名付けられる。
これを以て思うに、法を聞いて歓喜する功徳は計り知れない、
となむ語り伝へたるとや。
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