雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

テスバウ共和国 入国体験記 ・ 第十二回

2011-08-17 11:11:28 | テスバウ共和国 入国体験記 
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君枝は三人の中で最も活発な子供であった。
父は自分たちには男の子が生まれなかったが、その代わりにこの娘を授けてくれたのだとよく冗談に言っていた。
小学生の頃までは、妹の雅代とお揃いのような服を着せられることが多かったのだが、それは小学五年生頃までは二つ下の妹と殆ど身長が変わらなかったからでもあった。妹が高かったのではなく、君枝が小柄だったのである。

同学年の中では一番小柄な方であったが、その分何かにつけすばしっこく、飛んだり走ったりに関しては学年の中ではいつもトップクラスであった。そのころ盛んであった子供のスポーツクラブからは、いくつも誘いを受けたがあまり興味を示さず結局どこにも属さなかったが、運動会などで走ると短距離から長距離まで学校内では無敵に近かった。
いくら誘いを受けてもスポーツクラブには入部しなままであるが、学内で行われるいろいろな催しや集会などには積極的に参加し、リーダーシップを取ることも珍しくなかった。

妹の雅代と競い合っていた身長も、小学六年の頃からぐんぐん伸びはじめ、中学卒業する頃にはクラスでも背の高い方になっていった。今でも、三人の姉妹の中では君枝が一番背が高いが、妹の雅代はいつまでたってもそれが気にいらないようである。
高校生になってからも系統だったスポーツは何もせず、むしろ理科系の授業に興味を示して父を喜ばせたりしていた。自宅での勉強量は、三人姉妹の中で一番少なかったが、学校の成績は一番良く、中学の頃から常にクラスのトップ近くの成績を続けていた。

大学は京都で、その頃は君枝自身も研究者の道を選ぶつもりであった。大学卒業後は父のように研究所のある職場を選ぶつもりであったが、当時交際していた同学年の男性の影響で大学院に進みたいと両親を説得するようになっていった。
長女の和美はお嬢さん学校といわれるような大学を出て、すぐに就職して結婚に備えているような状態であることから、両親の本心は就職して欲しかったようであるが、和美の強い後押しもあって大学院に進むことが決まりかけていた。

しかし、君枝の希望を両親が承知してくれて間もない頃、一緒に大学院に進むことを相談し合っていた男性が不慮の事故に合い、生涯最大の挫折を味わうことになってしまった。
君枝は、大学院も就職も投げ捨ててしまい、卒業までを何することもなく送ってしまった。卒業後は大学院進学を指導してくれていた教授が心配して、自分の研究室の臨時職員として採用してくれた。給料はアルバイトにも満たないものであったが、絶望の日々を埋めてくれる時間を提供してくれる貴重な助けではあった。

半年後、君枝はアメリカに留学した。長女の和美が結婚した直後のことである。
留学に特別なテーマがあったわけではないが、とにかく誰も知り合いのいない場所に逃げ出したいことが目的であった。
結局アメリカで二年間を過ごしたが、そこでは大学での専攻とは全く関係のない経営理論について学び、アルバイトのような形で出入りしていた会社に認められて、その日本法人に勤めることになった。
君枝はその間一度も日本に帰らなかったが、両親や姉夫婦がそれぞれ訪ねてくれたし、妹は二か月ばかり滞在してくれた。

帰国後は東京での仕事が殆どであったが、両親や姉や妹とは普通に交際できるまでに回復していた。何人かの男性と友人以上の雰囲気に発展したこともあったが、結局結婚することはなかった。
東京で勤めることになったのは特殊な電子部材を取り扱う会社で、日本法人といっても形式的なもので、実際はアメリカ本社の支店みたいなものであった。ずっと総務部門に所属していたが、仕事の内容は庶務的な実務に時間を取られていたが、本社の彼女への期待は日本法人の監査的な目配りとアメリカ本社との連絡役であったようだ。

そして、四十代も終わりに近づいた頃に、大阪にも同様の別会社を設立することになり、役員待遇でそちらに移ることになった。東京とはずっと規模が小さく、関西エリアの取引先に対するデリバリーが中心であったが、和美の仕事内容は同じようなものであった。
ただ、この移籍により、長く離れていた実家に寄る機会が増え、両親の最期を看取ることが出来た。

実は、君枝には老後の生活というものに関心を持つことは殆どなかったのである。
両親の死に直面してからは、自分の将来ということも考えなかったわけでもないが、少なくとも六十五歳くらいまでは現在の会社で働ける見通しが立っていたし、収入も、役員とは名ばかりで大手会社の管理職にも及ばない程度のものであるが、一人暮らしの身には多過ぎるほどであった。ただ、これは性格もあるのか、貯蓄するという意識はあまりなく、妹の雅代に笑われるほど蓄えは少なかった。それでも会社を通じての第二年金や、第三年金は掛け続けてきたので、将来の生活に困るとは思えず、先のことは現在の会社を辞めてからでいいと思っていた。

君枝が、テスバウ共和国について関心を持ったのは、妹からの強い働きかけからであった。
妹の雅代の誘いに対しても、全く関心がないと伝えていたが、「姉さんを一人で行かせるつもりじゃないでしょうね」と、誘いというよりは脅迫に近い強引さに負けて、入国体験講座だけは受けるということで、会社に長期休暇を申し出ることになってしまったのである。








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