雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

「1」ですか「2」ですか ・ 小さな小さな物語 ( 1785 )

2024-08-31 08:53:17 | 小さな小さな物語 第三十部

江戸時代の長屋暮らしの人や、町奉行所の与力や同心が登場してくるドラマや小説が好きです。必ずしも長屋暮らしでなくても、江戸城下の町人たちの喜怒哀楽を見守るように描かれている作品が好きです。
そうした作品の中に、「九尺二間」の棟割長屋がよく登場してきます。そうした長屋は、裏店(ウラダナ)と呼ばれ、大通りに面した表店の裏側に当たる一画に造られました。当然、日当たりも、水はけも良くない不健康な立地です。住民のほとんどは最下層の人たちなのでしょうが、かといって、貧民街とは違って、ほとんどの人たちは様々な生業を持っていて、その日暮らしに近い生活ながら、みずみずしい生き様を、そうした作品は垣間見せてくれます。

その「九尺二間」の長屋ですが、一戸あたりの広さは三坪、およそ畳六枚分です。入り口から入ったところは土間で、畳一枚半の広さに台所が備えられていて、その奥に四畳半の部屋があります。押し入れなどなく、夜具などは、昼間は衝立で隠したようです。
少し上等の長屋は、「九尺三間」だったようですが、三畳分広くなるだけです。
その長屋には、実にさまざまな人が住んでいたようです。一人暮らしの若者は、商店や職人のもとに通ったり、棒手振や、わけの分からない日雇いの労働者もいたのでしょう。若い娘さんの一人暮らしはほとんどいなかったようですが、若い男がこの長屋に住みつく理由は、田舎から出て来たり、年季奉公を途中で挫折した人など、何らかの試練を受けたひとが多いようです。
こうした長屋には、夫婦者が数多く見られます。庶民が相思相愛で一緒になった場合の最初の住処は当然裏店の長屋ですし、訳ありの二人が身を隠す場合もあったようです。
そして、何より驚くのは、子供が三人の五人暮らしで「九尺二間」で生活している例も珍しくなかったようです。四畳半で五人が暮らすのですよ。大勢が集まっている姿は、ぞっとしますが、幸せなのでしょうね。

「『1+1=2』であることを証明せよ」などと言われますと、これは私の守備範囲を超えてしまいますので勘弁していただくとして、私たちの日常生活において、「1ブラス1は、必ずしも2ではない」という言葉を聞くことがあります。
多くの場合、指導的立場にある人が、チームワークや協力の大切さを説明する場合に、互いの協力や工夫によって、「1プラス1が、3にも4にもなり得る」と続きます。
3にも4にもなるかはともかく、スポーツや作業工程、事務作業などにおいても、2以上の力を発揮する可能性は十分にあります。
ただ、現実の世界では、「1プラス1が2以下になる」ということも少なくないような気もします。

高齢化社会には多くの課題がありますが、一人暮らしの問題があります。
「人は誰でも死ぬときは一人っきりだ」とうそぶく人もいますが、凡人にはなかなか荷の重い問題です。
二世代、三世代家族で生活している人は、死ぬ瞬間はともかく、相当の高齢期になっても、孤独死という問題は無縁でしょう。
しかし、現に一人暮らしであったり、夫婦二人の生活である場合の高齢者は、孤独死という現状を無視することが出来ないように思われます。
そして、その解決方法の一つは、「死ぬ時は誰でも一人だ」という悟りの境地を身につけるか、精神的なものを中心とした相互扶助の関係を見つけ出す必要がありそうです。その関係を医療や介護施設に求めるのも一つですが、別の方法もあるような気もするのです。
「1プラス1」が、「2」になろうがなるまいが、「1」より良いとするのであれば、結婚といった関係に限らず、同性間であれ、異性間であれ、また世代の差にも関係なく、何か有終の美を飾る関係が生み出せそうな気もするのです。
具体案がないのが残念ですが。

( 2024 - 07 - 11 )
 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« それなりの能力 ・ 小さな... | トップ | 経験の落とし穴 ・ 小さな... »

コメントを投稿

小さな小さな物語 第三十部」カテゴリの最新記事