雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

経験の落とし穴 ・ 小さな小さな物語 ( 1784 )

2024-08-31 08:55:28 | 小さな小さな物語 第三十部

先日、当コラムで経験について書かせていただきました。私たちの知恵や知識は、経験から得る物が多いといった意味で書かせていただきました。
確かに、様々な分野の専門家といわれる人や古老などが語る経験談は、興味深い内容であることが多く、教えられることも少なくありません。
また、私たちが何か行動を起こす場合、意識的に資料を調べてみたり、無意識のうちに過去の経験を参考にしていることは、むしろ当然のことと思われます。
経験が、私たちが知恵や知識の習得していく上で大きな働きを果たしていることは確かだと思われます。

その一方で、やたら自分の経験を押しつけがましく語られる場面に出会ってしまうと、聞き流すことが出来る場合はいいのですが、そうできない場合には反感のような気持ちが生れてきます。
分りやすい例としては、政治家の会見や、選挙運動での立候補者の自己主張などの中には、自分がなしてきた業績(経験)を過大化させたり、一部だけを切り取ったりして、その業績を錦の御旗のように打ち振っている姿を見ることがあります。
立候補者の主張などは、気に入らなければ立ち去ればいいだけのことですが、それが、半強制的な席であったり、相手が無下にすることが出来ない人であったりすると、これはもう虐待に近いものになります。

経験は、自分のものはもちろん、他人のものであっても、私たちに多くの示唆を与えてくれます。ところが、前記しましたように、経験には諸刃の剣のような性格が含まれているようです。
その原因を考えてみますと、気軽に「経験」という言葉を使っていますが、経験は千差万別だと言うことだからと思われます。ある人にとって有意義であっても、ある人には無意味であったり、時には悪影響を与える場合さえあります。一つの事象に遭遇した場合でも、それを体験として取入れた場合には同一と言うことなどあり得ません。また、身につけたはずの体験も、時間と共に変化していくことは、誰もが経験することではないでしょうか。
そうした様々な要因によって、経験は様々な姿を持っているにも関わらず、一つの事象を、たまたま自分が体験として身につけているからといって、それを人に語る場合には繊細な注意が必要な気がします。
つまり、経験という貴重な知恵には、落とし穴のようなものを有していることを認識する必要がありそうです。

私たちは、日々新しい時間と出会っています。
「毎日毎日、同じ事の繰り返しだ」などという言葉を聞くことがありますし、私自身も似たような思いを抱いたこともあります。
しかし、そうしたことなど有るはずはなく、今、私たちが向き合っている時間は、昨日と同じで有るはずはなく、過去のどの経験とも同一であるはずもありません。
私たちは、日々新しい時間を迎えており、全く経験したことのない時空を生きていっているわけです。考えようによっては恐ろしいような気もしますが、その未知の時空と接するための助けに、やはり、経験は大きな役割を果たしているようです。
これまでに積んできた多くの経験を、あるいは、他人様から頂戴した経験談を、「経験には落とし穴がある」ということも承知しながら頼りにしたいと思うのです。

( 2024 - 07 - 08 )



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