machanの万歩計

健康長寿で 元気に楽しく
野越え山越えてくてく歩きたい

ポーセラーツ?

2015-12-18 20:15:14 | 日記
絵を描いて焼くのかな
美しいです


可愛いフクロウです


風神、雷神の絵を描いた皿


写真を貼ったかと思うほど
緻密に描かれています


美味しい美味しい昼御飯


シクラメンが200円
なんで そんなに 安いのでしょう?


タツナミソウがいっぱい咲いている駐車場のはずれ
蕗の葉を掻き分けて蕗のとうを探しましたが 見つけられませんでした

あんさん
楽しい1日を有り難うございました

奈良の旅の終わり

2015-12-18 20:00:24 | 日記
12月17日の楽しかった歴史散歩の奈良への遠足でした
18時55分
ケンチョピアはクリスマスです


ヨットハーバーのヨットも少なくなったかな?


電飾するヨットの数は減りました


ケンチョピアからクリスマス・お正月がやって来ます


対岸の地ビールの前にも電飾ヨットが輝いて
美しいケンチョピアになりました

帰途

2015-12-18 19:47:03 | 日記
東大寺のお祭りが終わり時代行列の方々が解散しています


人出もたくさん市もたくさん出て通行止めでした
やっと通行止めが解除されて般若寺からスット帰れました


高速の料金所のバーがありません


16時50分
淡路島のサービスエリアは薄暮です
少しずつ日没の時刻が遅くなりました


子供用のトイレです
5才位までかな


可愛い可愛いトイレです
みんなに優しいトイレです

般若寺(2)

2015-12-18 19:07:13 | 日記
椿のような花です


花の寺般若寺のコスモスのシーズンも終わりました


色々な椿の花が咲いています


寒牡丹も咲いていました


早咲きの水仙と十三重石塔と真っ赤なよだれ掛けの石仏
般若寺の風景です


銀杏の小道


黄金色の美しい境内の片隅です


アザミのような花


ちょっと置いたものも美しい


釣鐘の下には???
こんな物もどうしても必要な団体様もおこしになるんでしょうね

鎮守の社

2015-12-18 18:01:22 | 日記
般若寺の境内に目立たなく建っている
鎮守社です


案内の立て札が無ければ全く気が付かない物置小屋のようですが


立派な鎮守社を保護する?建物でした


西国33観音が本堂を取り巻くように並んでいます


今は水仙のシーズンとなった花の寺です

般若寺(1)

2015-12-18 17:31:32 | 日記
花の寺般若寺の国宝の楼門


本堂で法話をお聞きして


境内を散策
十三重石宝塔


塔は卒塔婆(梵・スツーパ)の略
宋人石工の手で作られた


十三重石塔の東には薬師如来が彫刻され


南には釈迦如来


西には阿弥陀如来


北には弥勒如来がそれぞれ彫刻されています

海龍王寺(2)

2015-12-18 09:04:11 | 日記
応仁の乱、慶長の地震など盛衰を重ねて
徳川幕府より知行として100石を賜り本堂の解体修理がされたり伽藍の修理・維持を行ったが
廃仏毀釈で東金堂など失い荒廃していましたが


昭和40年から42年にかけて


西金堂と経蔵が解体修理された


西金堂の中の国宝五重小塔です
小さな境内に七堂伽藍を作る為に東西に金堂を造り
その中に
東塔、西塔を納めるという工夫をしたそうです


寺門勅額ですが何方かな?光明皇后の御願で海龍王寺として始まったから
光明皇后の勅額かしら?

海龍王寺1

2015-12-18 08:31:15 | 日記
731年平城宮の鬼門を護る為に海龍王寺を建立し
毘沙門天を祀った


3年後の734年、第8次遣唐使だった海龍王寺の僧玄ぼうが唐からの帰途
暴風雨に遭い玄ぼうの乗った船だけが種子島に流れ着き735年帰京できた


この時海龍王経を唱えて九死に一生を得た


故事を絵馬にしています


何故か海龍王と並んで空海龍王と書かれた提灯が架かる御堂が境内の隅にありました


奈良は花の寺を意識してか


季節、季節の花が楽しめ


境内の木々の趣も素晴らしいです

菅原天満宮

2015-12-18 07:38:34 | 日記
菅原の地にある菅原天満宮
菅原道真公の始祖の地です


御祭神は

天穂日命(あめのほひのみこと)菅家の始祖でその子孫中興の祖


野見宿祢命(のみのすくねのみこと)菅原家の地で埴輪や土師器の製作に従事し
当時、悪習の殉死を取り止め埴輪を埋めるよう助言し垂仁天皇より土師臣(はじのおみ)を賜る
また相撲の始祖としても知られている


菅原道真公(すがはらのみちざねこう)
土師家の子孫の土師古人他が天応元年(781)この土地の名「菅原」と改姓を願い出て勅許された
その3代後に菅原道真公が出生した
その時にはすでに氏神さまとして菅原天満宮はあった


天満宮には梅
まだまだ固い蕾でした

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菅原道真公は
丑年産まれであったので
牛があちこちに


ロケットのようですが筆塚です


梅ばち模様で埋められています