オビドスからバスで1時間余り、「ファティマの奇跡」で名高いカトリックの聖地ファティマヘ。
第一次世界大戦中1971年5月13日3人の子供(フランシスコとジャシンタの兄妹、そのいとこの
ルシア)がいつもように羊の番をしていたら、突然空が輝き、聖母マリアが目の現れ、今後
5か月間、毎月13日の同じ時刻にこの場所に現れることを告げて消えたそうです。
翌月6月13日に村人とともに3人はその場所に集まりました。マリア様の姿が見え、声が聞こえ
たのは子供だけでした。この話は近隣の村や町にも伝わっていき、最後の出現の日10月13日
には、奇跡を一目見ようと7万人もの人が集まったのだとか。マリア様はやはり3人だけに
この地に礼拝堂を建てるように言い、3つの予言を告げたそうです。
当時はオリーブの木が点在するだけの荒地で、ファティマは元々は小さな農村の町でした。
それが聖母の出現という奇跡によって、現在は荘厳な教会が建ち、ローマ・カトリックの聖地
となっています。
町の名前は、レコンキスタの最中に捕らえられ、洗礼を受けキリスト教徒となり、1158年に
オウレン伯と結婚したというムーア人のファティマという女性から来ているそうです。
ローマ・カトリックの聖地の場所がアラビア語の女性名というところが面白いですね。
正面に見えるガラス張りは祭壇です
逆から見ると
大広場の収容人数は30万人以上と言われ、毎月13日、特に5月と10月の大祭には
ここを10万人もの巡礼者に埋め尽くされるそうです。右斜めにあるのは出現の礼拝堂で、
奥の白い建物は2007年に完成した三位一体教会です。その地下にも礼拝堂があります。
三位一体教会から出現の礼拝堂に向かって、白い線のような道が見えるかと思います。
ロザリオを手に持ち、人形を抱えて横に立つ介添えの人に手を引いてもらいながら
膝で少しずつにじり寄って移動している方を見かけました。この大広場を出ると周りには
宗教関連のものを取り扱ったお店が並んでいます。ロザリオやマリア像などの他に
子供の人形や足、腕、耳など恐らく願い事を模ったものも店頭にありました。
この専用の道をひざまずいて膝で、あるいは這って進んでいく人もいるそうです。
苦行を重ね、願を懸ける。その姿に衝撃を受けました。
写真の通り、外観はどれもシンプルで、バジリカの内装もシンプルなんですが、
バチカンや今まで行った大聖堂などでは感じなかった、熱心な信仰の生々しさというのか
独特な雰囲気に包まれた空間でした。宗教の町=聖地なんだなあと改めて感じました。
ここに聖母マリアが初めて3人の
子供たちの前に現れた場所で、
中にマリア様が祀られています。
巨大な広場の前にある65mの塔を
もつネオ・クラシック様式のバジリカ
と呼ばれる聖堂にはフランシスコ、
ジャシンタ、ルシアのお墓がありまし
た。ここから30分程歩いたところに
3人が住んでいた村があり、ルシアの
生家などが残っているそうです。
コルクの木がありました
1981年5月13日、当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世が
バチカンで狙撃されました。ファティマに聖母マリアが初めて
出現したのと同じ5月13日。重傷を負ったヨハネ・パウロ2世は
その後奇跡的な回復をし、マリア様のご加護があったとして、
翌年5月13日にお礼参りとしてファティマを訪れています。
3つの予言のひとつが第一次世界対戦の終結、2つ目が死者
の国への訪問。フランシスコとジャシンタは程なくして病死しま
した。そして3つ目はその内容を口外されることが許されず、1
人残ったルシアと法王のみが知っているとされていましたが、
2000年になって、この教皇暗殺未遂事件だと発表されました。
第3の予言の内容を知っているルシアはそれはほんの一部だ
と言っていたようで、はっきりしたことは分かっていません。
2005年2月13日に97歳でルシアは亡くなり、同年4月2日はヨハネ・パウロ2世も逝去しました。
第一次世界大戦中1971年5月13日3人の子供(フランシスコとジャシンタの兄妹、そのいとこの
ルシア)がいつもように羊の番をしていたら、突然空が輝き、聖母マリアが目の現れ、今後
5か月間、毎月13日の同じ時刻にこの場所に現れることを告げて消えたそうです。
翌月6月13日に村人とともに3人はその場所に集まりました。マリア様の姿が見え、声が聞こえ
たのは子供だけでした。この話は近隣の村や町にも伝わっていき、最後の出現の日10月13日
には、奇跡を一目見ようと7万人もの人が集まったのだとか。マリア様はやはり3人だけに
この地に礼拝堂を建てるように言い、3つの予言を告げたそうです。
当時はオリーブの木が点在するだけの荒地で、ファティマは元々は小さな農村の町でした。
それが聖母の出現という奇跡によって、現在は荘厳な教会が建ち、ローマ・カトリックの聖地
となっています。
町の名前は、レコンキスタの最中に捕らえられ、洗礼を受けキリスト教徒となり、1158年に
オウレン伯と結婚したというムーア人のファティマという女性から来ているそうです。
ローマ・カトリックの聖地の場所がアラビア語の女性名というところが面白いですね。
正面に見えるガラス張りは祭壇です
逆から見ると
大広場の収容人数は30万人以上と言われ、毎月13日、特に5月と10月の大祭には
ここを10万人もの巡礼者に埋め尽くされるそうです。右斜めにあるのは出現の礼拝堂で、
奥の白い建物は2007年に完成した三位一体教会です。その地下にも礼拝堂があります。
三位一体教会から出現の礼拝堂に向かって、白い線のような道が見えるかと思います。
ロザリオを手に持ち、人形を抱えて横に立つ介添えの人に手を引いてもらいながら
膝で少しずつにじり寄って移動している方を見かけました。この大広場を出ると周りには
宗教関連のものを取り扱ったお店が並んでいます。ロザリオやマリア像などの他に
子供の人形や足、腕、耳など恐らく願い事を模ったものも店頭にありました。
この専用の道をひざまずいて膝で、あるいは這って進んでいく人もいるそうです。
苦行を重ね、願を懸ける。その姿に衝撃を受けました。
写真の通り、外観はどれもシンプルで、バジリカの内装もシンプルなんですが、
バチカンや今まで行った大聖堂などでは感じなかった、熱心な信仰の生々しさというのか
独特な雰囲気に包まれた空間でした。宗教の町=聖地なんだなあと改めて感じました。
ここに聖母マリアが初めて3人の
子供たちの前に現れた場所で、
中にマリア様が祀られています。
巨大な広場の前にある65mの塔を
もつネオ・クラシック様式のバジリカ
と呼ばれる聖堂にはフランシスコ、
ジャシンタ、ルシアのお墓がありまし
た。ここから30分程歩いたところに
3人が住んでいた村があり、ルシアの
生家などが残っているそうです。
コルクの木がありました
1981年5月13日、当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世が
バチカンで狙撃されました。ファティマに聖母マリアが初めて
出現したのと同じ5月13日。重傷を負ったヨハネ・パウロ2世は
その後奇跡的な回復をし、マリア様のご加護があったとして、
翌年5月13日にお礼参りとしてファティマを訪れています。
3つの予言のひとつが第一次世界対戦の終結、2つ目が死者
の国への訪問。フランシスコとジャシンタは程なくして病死しま
した。そして3つ目はその内容を口外されることが許されず、1
人残ったルシアと法王のみが知っているとされていましたが、
2000年になって、この教皇暗殺未遂事件だと発表されました。
第3の予言の内容を知っているルシアはそれはほんの一部だ
と言っていたようで、はっきりしたことは分かっていません。
2005年2月13日に97歳でルシアは亡くなり、同年4月2日はヨハネ・パウロ2世も逝去しました。