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老子「第十三章」道徳経

2014-01-15 20:17:51 | 老子「道徳経と伊勢白山道「道経1~37
自分の心身を大切に養生して健康であり、身近な人間を大切にする人間には、会社や国家を任せることも出来ると言えます
       
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・老子「第十二章「道徳経と伊勢白山道」 道経 
第十三章 *老子を英訳 http://mage8.com/magetan/roushi02.html
・原文 「書き下し文
寵辱若驚。貴大患若身。「寵辱(ちょうじょく)には驚くが若(ごと)し。大患(たいかん)を貴(たっと)ぶこと身の若くなればなり。
 【寵辱】ちょうじょくとは。1 気に入られることと、はずかしめられること。
          2 栄えることと、零落すること。名誉と恥辱。

何謂寵辱若驚。「何をか寵辱には驚くが若しと謂(い)う。
寵爲上、辱爲下。得之若驚、失之若驚。「 寵を上と為(な)し、辱を下と為し、これを得るに驚くが若く、これを失うに驚くが若し。

是謂寵辱若驚。何謂貴大患若身。「これを寵辱には驚くが若しと謂う。何をか大患を貴ぶこと身の若しと謂う。
難得之貨、令人行妨。「得難きの貨(か)は、人の行ないをしてを妨(さまた)げしむ。

吾所以有大患者、爲吾有身。「われに大患有る所以(ゆえん)の者は、われに身有るが為なり。
及吾無身、吾有何患。「われに身無きに及びては、われに何の患(わずら)い有らん。 

故貴以身爲天下、若可托天下。「故(ゆえ)に身を以(も)って天下を為(おさ)むるより貴べば、若(すなわ)ち天下を托(たく)すべく、
愛以身爲天下、若可寄天下。「身を以って天下を為むるより愛すれば、若ち天下を寄(よ)すべし。

現代語訳
尊敬されたり、侮辱されたりという事に人々は一喜一憂して暮らしている。
それらから得られる利害を自分の身体の事のように心配するからだ。

どうして尊敬や侮辱に一喜一憂するのかと言えば、尊敬を良いものと考え、侮辱を悪いものと考えて、褒められれば喜び、叱られれば悲しむからだ。
そうして人々は他人の評価に一喜一憂している。それではどうして他人の評価からもたらされる利害を自分の身体のように心配するのか。

そもそも利害によって幸福になったり不幸になったりするのは自分の身体があるからなのに、自分の身体が無くなってしまったりしたら、一体何を心配する必要があるだろうか。

だから天下の事よりも自分の身体を考える人にこそ天下を任せる事ができるし、天下の事よりも自分の身体をいたわる人にこそ天下を預ける事ができるのだ。

英訳文
People are concerned about honor and dishonor very much. Because they regard honor as like their own body. Why are they concerned about honor and dishonor very much? Because they regard honor as a good thing, and dishonor as a bad thing. They are happy when they are praised. They are unhappy when they are blamed. So people are concerned about honor and dishonor very much. Why do they regard honor as like their own body? They can be concerned about their honor because they have their body. If they lost their body, they cannot be concerned about their honor any longer. What on earth do they have to be concerned about without their body? So we should entrust our country to the person who cares his own body first.


*他人からの評価を気にすると、間違った選択をしてしまいます2012-09-27
伊勢ー白山道 記事全文 http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20120927
老子の言葉 第十三章 
(独自の超訳)
人間は、他人から賞賛されたり、侮辱されたりするたびに、面白いように他人の評価に一喜一憂して暮らしています。
まるで、自分が不治の病に罹ったのか、不治の病ではなかったのかに一喜一憂するぐらいの気の仕方を、他人からの評価に対してしています。

なぜ他人からの評価を、驚くほど人間は気にするのでしょうか。
それは、他人からの賞賛を良いことだと思い込み、自分への非難を悪いことだと受け取り、驚くほど敏感に一喜一憂するからです。

何ゆえに人間は、他人からの評価を自分の命を左右するほどの大問題にして気にするのでしょうか。
他人からの評価を気に出来るのも、そもそもが自分の命があってこそなのです。
いずれは自分の命が無くなることを、日々の生活の中で認識していれば、何を他人の評価などを気にすることがありましょうか。

だから世間の評価よりも、自分の健康を大切に出来る人にこそ、安心して天下国家を任せる事ができます。
天下国家の事よりも自分の心身を大切に出来る人こそ、本当の意味で天下国家を大切にする事が可能なのです。

原文
「寵辱若驚。貴大患若身。何謂寵辱若驚。寵爲上、辱爲下。得之若驚、失之若驚。
是謂寵辱若驚。何謂貴大患若身。吾所以有大患者、爲吾有身。及吾無身、吾有何患。
故貴以身爲天下、若可托天下。愛以身爲天下、若可寄天下。」

(感想)
またまた目からウロコが落ちるような強烈なことを老子様が仰っています。
若い政治家がよく、「国家のためならば死んでも良いです。自分の身体など、どうなっても良いです。」
と現代社会でも言っています。
しかし老子は、
自分の心身も大切に管理も出来ない人間に、どうして国家が管理できようか。
小が出来ない人間に、どうして大を成すことが出来ますか?
自分の家族も大切にしない人間が、ほんとうに国民を大切に出来るのですか?」

とも言っています。

会社の経営者を見ましても、長く継続する会社の代表には愛妻家が多いです。
愛人が何人いるかを自慢するような経営者は、すぐに消えて行かれます。
どんな古女房でも大切に出来る人間とは、やはり我慢強くて愛情力が強く、そして良心があります。
その人間の性質とは、仕事にも必ず反映するのです。
女性に飽きれば交換していく人間には、忍耐力と情け心に欠けており、それは経営の隅々にまで反射します。やはり社員と社会から、その経営者は交換されて行きます。

人間が他人に対して、自分の身を犠牲にするような大言を言うことも、それだけ他人の評価を気にしているから言うのです。
要するに、他人からの評価を異常に気にする人間は、他人に合わせるための無理があり、その発言にもウソが混ざるかも知れません。
老子は、それを見破るには、その人間が
(1)他人の評価を気にしている人間かどうかを見なさい。
(2)その人間が、自分の健康や自分の家族に対して思いやりの有る人間か否かを見なさい。
と言っています。

逆に言えば、他人からの評価にも堂々としており左右されずに、自分の心身を大切に養生して健康であり、身近な人間を大切にする人間には、会社や国家を任せることも出来ると言えます。
老子の視点には、やはり意外な真実が内在しています。

以上のことは、政治家や経営者だけではなく、宗教家や精神的な指導者にも言えることです。
私生活が乱れた先生様には、ホンモノは100%いません。色欲や金欲にまみれた先生が非常に多いです。
自分の身近な先祖や良心(内在神)を大切にしない人間は、真の意味で他人を助けたり救うことが出来ません。
自分自身を犠牲にして他者を助けると言う、見せ掛けのパフォーマンスを信じないで、その人の生活態度を見ましょう。

生かして頂いて ありがとう御座位ます 


他人からの評価を気にする人は、病んで行きます 2017-09-22 老子の人生論
伊勢ー白山道 記事全文http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20170922
参考記事:老子の言葉 第十三章「他人からの評価を気にすると、間違った選択をしてしまいます」

「 老子の人生論」第十三章

他人からの自分への評判を、異常に気にして暮らす人が多いです。
まるでガン検診の判定に、一喜一憂するがごとく、隠した本心では他人からの評価を気にして暮らしています。

どうして、命懸けのごとく、他人からの評価・評判・風評を人は気にするのでしょうか?
そもそもが、自分の命あっての人生です。
日々、死に向かって歩いているのが人間です。
これを日々に認識していれば、他人からの評価を気にしている場合では無いことが良く分かります。

他人からの評価を気にする小さい人よりも、自分自身の健康管理を気にする人に、大きな事を安心して任せることが出来ます。

更には、大きな事よりも、自分自身の命を大切に出来る人は、その大きな事を必ず成し遂げることが可能な人なのです。

(感想)
* 他人からの評価・評判を気にする者は、何も成し遂げることが出来ない。

と老子が断言しています。
確かに、テレビのワイドショーでの自分への評価を気にする政治家は、八方美人のままで、何も成すことが無いままでしょう。

・ 波風が立たない無難な行動=無為無策(むいむさく:計画が何もなく、何の対策も立てられないこと)で、何もしない人。
とも、言えそうです。

また、他人からの評価を異常に気にする経営者は、見栄を張ったムダな出費が多くなり、会社を倒産させるかも知れません。
評価を気にしすぎることは、会社を潰し、多くの従業員を路頭に迷わせるかも知れません。
他人の評判を気にしすぎることは、本末転倒(ほんまつてんとう:重要な事と、つまらない事を、取り違えること)を起こさせるのです。

家庭の主婦でも、学校の保護者会での他人からの自分への挨拶具合だけで、暗い気持ちに成っている女性が多いです。
近所同士が道端で集まっていれば、その人たちは関係のない話をしているのに、通りかかった自分を見られただけでも、「自分は嫌われている」と何故か思い込む人もいます。
そして、貴重な自分の生活時間を悶々と暮らします。

他人からの評価を気にすることは、なんとアホらしいことでしょうか。
貴重な時間も、健康も、評価を気にする人は失くしています。

ここで老子は面白い事を言っています。
・ 他人からの評価よりも、自分自身の健康を気にする人間を信用しなさい。
・ 他人の評価を異常に気にする人間は、いずれ病んで行く
・ 切りが無いことを気にする人間は、ダメだ。

これは、今の社会でもまさに言えると感じます。
会社内で病んで行く人は、同僚の態度や発言が気になり、帰宅しても思い続けます。
もし、自分の仕事に自信があれば、他人の発言も笑って聞き流すことが出来ます。
そして、自分に反省すべき点が有れば、その部分は素直に受け取り、向上への努力をします。

でも、自分の仕事にも自信が持てない人は、仕事への努力をすることよりも、他人からの評価・発言を異常に気にします。これは間違った、自己への防衛本能とも言えます。

更に老子は、
・ 自分の健康を気にする人間を信用しても良いが、良い結果を残せるかは別だ。
・ 自分の健康だけでは無くて、自分の命というものを大切に出来る人は、他人の命も大切にすることが出来て、ゆくゆくは大きな事を成し遂げる。

このように示唆しています。
この項の話で、特に覚えて置いて欲しいことは、
* 他人の評判を異常に気にすること=自分の心身が病んで行くことに成る。
これを心の隅に置いて頂ければ幸いです。

生かして頂いて 有り難う御座います


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