浄心庵・長尾弘先生「明来闇去」

 ~ 誰れもが幸せになれる御教え ~

明来闇去

2021-02-03 00:54:01 | 明来闇去

      恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

          第五章 心の曇りをとるための反省

      幼い頃から今日までの自分の姿を立体映像で見せられる


先の続き・・・

小学校一年の秋のことです。
取り入れで稲刈りをして干し、
乾燥すると田圃の真中にゴザを敷いて脱穀をするのです。
干してある稲束を脱穀する場所まで運ぶと、
父が足踏み機でギコギコ脱穀しては済んだ藁を後ろに放っていくのですが、
その時、積んである束を父に渡すのが私の役目でした。
この稲束を父が最も受け取り易いように一つずつ渡すと、
父はザアーツと脱穀してパッと後ろに放ります。

すると、次の束を渡さなくてはいけないのですが、
父の手許の受け取り易いところへ持っていかないと、
「何をしているのか」と怒られます。
父のしやすいように次々と渡していくのです。

こうすれば、一つ一つ取る時間が節約できるわけで、
父の体も少しは楽になります。
その田圃のすぐ近くは堤防でその上は平地になっており、
友達が来てワイワイ
遊んでいるのです。

その中に好きな女の子がいたのです。
私はちょっとおませでして、
小学校一年でもう好きな女の子がいました。
「あの子、かわいらしいなあ」と、
まあ私の初恋です。

その子もいっしょに遊んでいるので、
行きたくて行きたくてたまりません。
「男女の愛は苦しみである」とはよく言ったものです。
神の愛につながる純粋に精神的な愛、
アガペの愛には苦しみはありません。
しかし、幼い男女でさえも、
男女の愛には苦しみがつきまといます。

女の子のそばに行きたいけど行かれないというつらさ、
そして、
友達が楽しそうに遊んでいるのに、
稲束を父に渡さないといけない。
その時のつらかったこと。
そのうち、だんだんと日が暮れてきます。
友達は帰ってしまいます。

私の好きな子も帰ってしまいました。
私は涙をポロポロ流しながら、稲束を渡していたのです。
すると、父が、「お前は何を泣いているのか」と言うのです。
私の気持ちなどわからないから言うのです。
もし、私の心を知ったら、お父さんは腰を抜かしたかもしれません。
小学校一年生で好きな子がいるなんて。
私は泣きながら叱られながら、稲束を渡したものでした。
夜、暗くなるまで続きました。