


朝からぷちショップNEWSの編集トラブルの処理にあたふた…。
その後、お昼過ぎの電車で松阪へ。 実家の妙子ねえさんの様子を見に。
She is not what She was!
姉は、昔の姉ではなく、81歳の歳相応の認知症ぶりと言うべきか…
行きつけのお寿司屋さんでお寿司を食べながら、かつて巡った各地のおいしい料理を話題にし、話が長崎に及ぶや、とつぜん、♪坂の長崎 石畳~ なんて歌い出しては、「楽しいな~、楽しいね~」 ですって。
おい、おい。 これを、傍若無人と言わずしてなんとしよう…
ひとは、このようにして少しずつ壊れていくのですね。 嗚呼

お姉さまは可愛いご婦人でうらやましいゎ、
こちらは、主治医も後ずさりする患者でございます。
可愛いお年寄りにならなくてはなりません。
お疲れさま!!
>日々何事も反対すると、凄く怒り出すんです。
…そう、ウチの姉もおんなじなんですよ。
4月末に姉を訪ね、一緒に昼食をしたおり、動作の緩慢な姉を急かしたと言って、急に怒り出したのが最初でした。
情緒を司る弁のネジが、数本外れているのだと思いますね。
あの日からもう、姉には逆らわない、意見しない、急かさない! この、 ”3無い主義” で付き合っていこうと覚悟を決めました。
82歳で現役の薬剤師。 勤め先の森山薬品学園前店では、社長さんが送迎の専門のスタッフをつけてくださり、週に4日働かせて頂いています。
私がこんな風に言うと、「あの店は、あたしがいないと店を開けられないの!」 「ほんとに、あんたは偽善者だから!!」 などと憎まれ口をきくんですよ。
なんて、感謝の気持ちのないひと!
なのに、主治医の平岡Drは、「皆で支えて、少しでも自宅で快適に暮らしてもらえるようにサポートしましょう」 と言ってくださいます。 老人生協の皆さんも、ほんとうに優しくて…
なんで、この姉がそれほどまでに大切にして頂けるのでしょう?
身内の私には案外冷たくて、子どもの頃から 「あんたの将来は、医者か弁護士!」 と勝手に私の進路を決め、夜遅くまで勉強机に座らされたり、書き初めがうまく書けないからといって顔に墨を塗られたり、つねられたり蹴られたり、ほんとに厳しい姉でした。
3歳で母を亡くした私にとっては、母代わりのはずが、優しく抱きとめてくれた記憶など一度もないんですよ。
その代わりでしょうか、名古屋の亡姉の優しさがひとしお思われます。
今わたしは、名古屋の姉に返せなかった恩義を、この姉に返していこうとおもっているのです。
そんな風に思わなければ、乗り越えられない病老介護のしんどい坂道。 自分だけではないんだ…、という連帯感で乗り越えていきますぅ。
マダ~ム、どうぞよろしく、ね。
ご自分もお大事に!!
長崎の義姉も昨夜退院してきましたが、リュウマチで歩けないのに、一人で在宅で、どうなるのか心配です。老いることは大変ですね。
今、姉の日々を知るにつけ、老いと正面から向き合うことをせまられています。
長寿の果てに、老いと認知症が待ち受けている人生って、
がんを病む人生より辛いかも。
よくよく、考えてみたいとおもっています。
おかげさまで、人生の無常を知る歳になりました。
うれしいような、かなしいような。
しかしそれにしても、あなたの四字熟語は素晴らしい!
「怒々哀々の日々」 と言いながらも、さして怒らず哀しまず。 さすが、人生の達人ですね。
Iさんには、私からも機関紙を送りました。
失礼いたしました。