
4月29日(火、祝) 晴
昭和の日。 諡名・昭和天皇、裕仁さまのご生誕記念の日。
わが人生の半世紀を昭和という時代の中で生き、戦争も平和も、貧しさも豊かさもいろいろ体感して今に至る。
良い時代に生まれ育ち、感謝しながら生きることを教えられた、本当に『良い時代』を生きた。 そんなことをお仏壇の前で亡夫と語らいながら、国旗を掲げて一日が過ぎた。
昨夜は『金つなぎNews』19号の制作で徹夜をし、午前7時に就寝して正午に起きた。
ブランチと雑用を済ませ、長男宅に行く。
「(修理を頼んでいた)自転車引き取りがてら、行ってもいい?」、「ええよ」
ご機嫌な返辞が届いたので、歩いていく。
Newsの紙面構成やフォントサイズの変更など、若干の手直しをしてもらってPDFに焼き直してもらう。
こんな時彼は、居間のホームこたつに半身を入れてパソコンに向かっている。
「休日まで仕事を持ち込んで、ご苦労さまなこと!」と言いつつ、私メも現役のころは、【夜討ち・朝駆け】をいとわず帰宅途中の車中でも原稿を書き、帰宅してもまた書いていた。
本業のほかに、書きたい本の出版作業にも同時並行で取り組んでいたから、眠る暇が無くて、会議の司会をしながら寝たこともあった。
あ、あの頃はその上、舅・姑さまの看護のため大阪と松阪を、近鉄特急で往復4時間かけて通勤していたのでしたね。
…ったく、よく行き倒れにならなかったものだと、改めて感心する。

昼下がりの帰り道、道路に大きな光の環ができている。
「なな、なんだ?」
生来の好奇心がむくむく。
電チャを止めて、あたりをよくよく見回したら、駐車場に出入りする自家の車のために大きなバックミラーが取り付けてある、それが折から沈む太陽の光を反射して、路上に光の輪を作っているのであった。
わざわざ自転車を止めて、こんなアホらしい検証をしている私は、やはりヘン?
往復の人影や車に出会わなくて、ほっ。
ご子息様お二人、いつもとても優しくお幸せですね。私どもの娘婿もいつも「ええよ」と老親を受け入れてくれます。ありがたいですね。