この店をアカーブしないでどーすんのよ。我らの記憶が薄れないうちにやらねばってね。
決して忘れていたわけではありません。準備万端整いましたので、4日連続でアップです。
まずは、コモンストック(CS)との“出会い”から。
【出会い:by Mr.UNIVERSE】
当時、けっしてロックを捨てたわけではなかった。不定期にCDやアナログレコードを買い、レコード・コレクターズ誌を読みながら情報は得ていた。西新宿周辺にも東口のディスクユニオンに行くついでに、足を延ばして徘徊していた。西新宿ブート街の最盛期だった頃、好きなアーチストのCDは気になって購入もたまにしていた。
しかし仕事が多忙の時期に専ら購入もし、聴いていたのはジャズ系アナログレコードやCD。当時ブルーノート・レーベルのレコードの再発が盛んで、他にも様々なレーベルの名盤中心に入手困難必至だから「今でしょ」という感じで買い集めていた。
そんな時期に、たまたま購入した雑誌「DIME」のロック・バー特集。“どうせ行きたいようなところは無いだろう”と興味本位で読んでいたが、目に留まったのは「コモン・ストック」というロック・バー。“アナログ・レコードオンリー、会話不能の大音量、リクエスト可能”ときた。これは刺激的な三拍子だ。所在地は、当時は“ブートの聖地”西新宿である。
ジャズばっかり聴いて、ワーカホリックになっていた我が身を問い直すために行かねばならない。などと高尚な理由ではなかったが、ある意味、刺激を取り戻すために、行こう!と思ったのは間違いない。
まずは一人で偵察に行っても良かったが、しかし、こういう時には若い頃からお互いに“酒場嗅覚が効く”人間である人物と一緒に行けばいいだろう。と思いラモウんを誘った。案の定興味を示して同意してくれた次第。
某日、JR新宿西口駅交番前で待ち合わせて、勝手知ったる西新宿ブート街方面へ。場所は、旧“キニー”方面は確かなのだが中々見つからない。そうこうしているうちに店はあった。西新宿でも少し外れの方角だった。
高層ビル群を見上げる地域の一角に看板は、あった。ビルの二階もレコード店ではないか。地下の方から微かに音が漏れている。重い扉を開けると、そこは懐かしい正統派ロックバーの世界だった。照明はあくまで暗く、天井の4本のBOSEのスピーカーからは、アナログレコード特有の質感で大音量のロックが流れていた。
狭い店のテーブル席に座るとプロジェクターから、鉄道やバスから撮ったと思われる映像がBGVで壁に映されている。TV「孤独のグルメ」ではないが、「いいぞ、いいぞ、これだよ、これ」と思わず主人公の井の頭五郎の、つぶやきを言ってしまうような雰囲気。
始めての店なので、失敗だったらビール1杯でそそくさと退散して、飲み直せばそれでいいや、と思っていたが、ある意味嬉しい誤算。店主は同年代のようだが店内は暗いので表情などは良く分からない。(彼は現在 upset the apple-cart店主のG氏)
棚の数千枚と思えるレコードをジャズ喫茶のベテランDJの如く抜く手も見せぬ早業で、ターンテーブルにかける。自分の最初のリクエストはドゥビーブラザーズだった。「うん正解だ。間違いない。また来よう!」と思うのに時間はかからなかった。
【出会い:by akichan!】
高校三年の冬、進路を決めるにあたり僕は、悩むこともなく専門学校入学の道を選んだ。
既にブログでも幾度となく高校時代には触れているが、僕の心を虜にしてしまった“ROCK”。中でも“レコード・ジャケット”の魅力に憑りつかれてしまった僕は、将来そんな職業を夢見ていたわけだが、もちろん楽曲に対しても飢えていた。1曲でも多くROCKを、1枚でも多くレコードが欲しかった。
そんな貪欲だった僕に、愛の手を差し伸べてくれたのが“中古盤”だった。中古盤と言えば“御茶ノ水”。御茶ノ水は、千葉からも一本で来ることが出来る。しかも、そこには僕が通おうとしている専門学校がある。さらに、その学校は無試験・・・。故に、即決に近い形でだった。
ちょっと変わった人達が集まるその専門学校はROCK好きも多く、学食にテレコを持ち込んで(ウォークマンなんてまだ存在していない時代)聴いてる奴も居たし、お化粧している男子も居た。
だから同じクラスの中で、ROCKが共通のコミニュケーションとなる友人を作るのに苦労は無かった。
その中に、将来“コモンストック”を僕に引き合わせてくれる“大恩人”がいた。ちなみにその輪の中には、upset the apple-cartのロゴ・マークを作った人もいました。
学校を出て就職してからも、“大恩人”とはコンサートにもよく行ったし、バンドの真似ごとみたいなこともして、コミニュケーションは取り続けていた。
ある日大恩人から、僕にぴったりな店があるからと言われ連れて行かれたのが“コモンストック”だった。
正確には定かではないのだが、恐らく1993年のことだと思う。結局僕の夢(夢と現実は大きく違っていたのだが)は11年で消え、転職。その勤務先が実家近くだったことで、約2年ほど東京とは疎遠になっていたのだが、急遽東京勤務を命ぜられたのが93年春で、都内へ舞い戻って来た記念すべき年だったから。
ブート街を過ぎ、だんだんと辺りが寂しくなって行く通りを突当った角に“コモンストック”はあった。らせん状の階段を下りて地下へ。
当時はタバコも吸っていたし、こう言った店では酒を飲むものだと思っていたのでバドワイザーかなんかを飲んだのだろう、きっと。
最初のリクエストは残念ながら全く覚えていないのだが、たぶん僕のことだからDEEP PURPLEでもリクしたんじゃないかな。
一元さんお断りだったり、顔を覚えられるまでは無視な状態だったり、店に入る前までの僕のイメージする“ロック・バー”なるものはそんなものだったが、“コモンストック”は全くそんな空気を感じなかった。
正に僕にぴったりフィットした店。その一番の理由は、曲単位でのリクエストが可能。リクエストした曲を無視せず、ちゃんとかけてくれる。いち客として対応してくれたのが嬉しかった。それは現在のupset the apple-cartでも変わっていないはず。
実はまだ大恩人とは、upset the apple-cartでは一緒になったことはないが、必ずその日は来ると信じている。きっと、また3人で会える。
決して忘れていたわけではありません。準備万端整いましたので、4日連続でアップです。
まずは、コモンストック(CS)との“出会い”から。
【出会い:by Mr.UNIVERSE】
当時、けっしてロックを捨てたわけではなかった。不定期にCDやアナログレコードを買い、レコード・コレクターズ誌を読みながら情報は得ていた。西新宿周辺にも東口のディスクユニオンに行くついでに、足を延ばして徘徊していた。西新宿ブート街の最盛期だった頃、好きなアーチストのCDは気になって購入もたまにしていた。
しかし仕事が多忙の時期に専ら購入もし、聴いていたのはジャズ系アナログレコードやCD。当時ブルーノート・レーベルのレコードの再発が盛んで、他にも様々なレーベルの名盤中心に入手困難必至だから「今でしょ」という感じで買い集めていた。
そんな時期に、たまたま購入した雑誌「DIME」のロック・バー特集。“どうせ行きたいようなところは無いだろう”と興味本位で読んでいたが、目に留まったのは「コモン・ストック」というロック・バー。“アナログ・レコードオンリー、会話不能の大音量、リクエスト可能”ときた。これは刺激的な三拍子だ。所在地は、当時は“ブートの聖地”西新宿である。
ジャズばっかり聴いて、ワーカホリックになっていた我が身を問い直すために行かねばならない。などと高尚な理由ではなかったが、ある意味、刺激を取り戻すために、行こう!と思ったのは間違いない。
まずは一人で偵察に行っても良かったが、しかし、こういう時には若い頃からお互いに“酒場嗅覚が効く”人間である人物と一緒に行けばいいだろう。と思いラモウんを誘った。案の定興味を示して同意してくれた次第。
某日、JR新宿西口駅交番前で待ち合わせて、勝手知ったる西新宿ブート街方面へ。場所は、旧“キニー”方面は確かなのだが中々見つからない。そうこうしているうちに店はあった。西新宿でも少し外れの方角だった。
高層ビル群を見上げる地域の一角に看板は、あった。ビルの二階もレコード店ではないか。地下の方から微かに音が漏れている。重い扉を開けると、そこは懐かしい正統派ロックバーの世界だった。照明はあくまで暗く、天井の4本のBOSEのスピーカーからは、アナログレコード特有の質感で大音量のロックが流れていた。
狭い店のテーブル席に座るとプロジェクターから、鉄道やバスから撮ったと思われる映像がBGVで壁に映されている。TV「孤独のグルメ」ではないが、「いいぞ、いいぞ、これだよ、これ」と思わず主人公の井の頭五郎の、つぶやきを言ってしまうような雰囲気。
始めての店なので、失敗だったらビール1杯でそそくさと退散して、飲み直せばそれでいいや、と思っていたが、ある意味嬉しい誤算。店主は同年代のようだが店内は暗いので表情などは良く分からない。(彼は現在 upset the apple-cart店主のG氏)
棚の数千枚と思えるレコードをジャズ喫茶のベテランDJの如く抜く手も見せぬ早業で、ターンテーブルにかける。自分の最初のリクエストはドゥビーブラザーズだった。「うん正解だ。間違いない。また来よう!」と思うのに時間はかからなかった。
【出会い:by akichan!】
高校三年の冬、進路を決めるにあたり僕は、悩むこともなく専門学校入学の道を選んだ。
既にブログでも幾度となく高校時代には触れているが、僕の心を虜にしてしまった“ROCK”。中でも“レコード・ジャケット”の魅力に憑りつかれてしまった僕は、将来そんな職業を夢見ていたわけだが、もちろん楽曲に対しても飢えていた。1曲でも多くROCKを、1枚でも多くレコードが欲しかった。
そんな貪欲だった僕に、愛の手を差し伸べてくれたのが“中古盤”だった。中古盤と言えば“御茶ノ水”。御茶ノ水は、千葉からも一本で来ることが出来る。しかも、そこには僕が通おうとしている専門学校がある。さらに、その学校は無試験・・・。故に、即決に近い形でだった。
ちょっと変わった人達が集まるその専門学校はROCK好きも多く、学食にテレコを持ち込んで(ウォークマンなんてまだ存在していない時代)聴いてる奴も居たし、お化粧している男子も居た。
だから同じクラスの中で、ROCKが共通のコミニュケーションとなる友人を作るのに苦労は無かった。
その中に、将来“コモンストック”を僕に引き合わせてくれる“大恩人”がいた。ちなみにその輪の中には、upset the apple-cartのロゴ・マークを作った人もいました。
学校を出て就職してからも、“大恩人”とはコンサートにもよく行ったし、バンドの真似ごとみたいなこともして、コミニュケーションは取り続けていた。
ある日大恩人から、僕にぴったりな店があるからと言われ連れて行かれたのが“コモンストック”だった。
正確には定かではないのだが、恐らく1993年のことだと思う。結局僕の夢(夢と現実は大きく違っていたのだが)は11年で消え、転職。その勤務先が実家近くだったことで、約2年ほど東京とは疎遠になっていたのだが、急遽東京勤務を命ぜられたのが93年春で、都内へ舞い戻って来た記念すべき年だったから。
ブート街を過ぎ、だんだんと辺りが寂しくなって行く通りを突当った角に“コモンストック”はあった。らせん状の階段を下りて地下へ。
当時はタバコも吸っていたし、こう言った店では酒を飲むものだと思っていたのでバドワイザーかなんかを飲んだのだろう、きっと。
最初のリクエストは残念ながら全く覚えていないのだが、たぶん僕のことだからDEEP PURPLEでもリクしたんじゃないかな。
一元さんお断りだったり、顔を覚えられるまでは無視な状態だったり、店に入る前までの僕のイメージする“ロック・バー”なるものはそんなものだったが、“コモンストック”は全くそんな空気を感じなかった。
正に僕にぴったりフィットした店。その一番の理由は、曲単位でのリクエストが可能。リクエストした曲を無視せず、ちゃんとかけてくれる。いち客として対応してくれたのが嬉しかった。それは現在のupset the apple-cartでも変わっていないはず。
実はまだ大恩人とは、upset the apple-cartでは一緒になったことはないが、必ずその日は来ると信じている。きっと、また3人で会える。
読み始めたら、追体験しているかの様に、ワクワクして来た…
西新宿の聖地は、1973年頃から徘徊してたが、残念ながらロックバーの体験は、無い…今にして思うと残念至極
(ニヤニヤ)
音量だけならリンゴの二倍は・・・・・。
酒の注文は、筆談、メールかぁ(笑)
すげー
リクエストカードも、裏紙を使ってるのは変わらないんだけど、予め切ってあった。A4の4分割だからA6?。
酒の注文は、近ければ口頭だし、髪に書いたり。
分厚いソングブック(明日登場!)の最初のページにメニューが載っているので、そこを指で差したり。
最大の魅力は“レコード”。良くアナログの音は柔らかく・・・とか言われますが、僕の耳はそこまで良くないのでわかりません。それよりもジャケット。曲がかかると、そのジャケットをャ唐ニ壁に掲げられる。お客さんみんなが見える位置に。レコードジャケットだから、デカいから良く見える。薄暗い店内に、そこだけスャbトライトが当てられているから浮き出てるようで良く見える。あ~ってぼんやり眺めて、大音量をカラダで浴びて・・・。すごく心地良いたまり場でしたよ。
“髪”には書けないやねえ。ツルなヒトなら頭皮にかけるかも知れないけど。