みんなのライヴ・ブログ

行ったつもりのリクエスト「おうち DE apple-cart」。毎日朝5時に1曲、全力更新中!

1974.06.30 Focus

2014年11月23日 06時10分00秒 | 70年代の回顧録
厚生年金会館 by Mr.Rapport

座席 一回席のほぼ中央。かなり後方

メンバー
Jan Akkerman(G.)
Thijs Van Leer(Key&Flute&Vo.)
Bert Ruiter(B.)
Colin Allen (Ds.)

《セットリスト》
Focus Ⅲ
Answers? Questions! Questions? Answers!
Focus Ⅱ
Sylvia
Harem Scarem
House of the King
Birth
Tommy
Hamburger Concerto

Encore
Hocus Pocus
Hamburger Concerto Jam

この来日公演が行われたのは、自分が高校二年・16歳のとき。
当時の自分はHR一辺唐ナ、プログレはほとんど聴いていなかった。いや、まったく聴いていなかった……といったほうが正しいだろう。フォーカスもHocus Pocus(悪魔の呪文)という曲しか知らなかった。
その自分がなぜフォーカスの公演を観に行ったのか。
その理由を挙げると、以下のようになる。

●プログレ大好きのクラスメートの女の子から誘われたから。ちなみに、その子は「悦ちゃん」といって、ちょっぴり可愛くて、おっぱいが大きかった(おお、久々、エッチなおじさんの登場だ)。
●一曲しか知らなかったけど、Hocus Pocus(悪魔の呪文)という曲が大好きで、HRとしても格好よくて、生で聴いてみたかったから。
●ヤン・アッカーマンというギタリストが凄腕で、ジミ・ヘンやリッチー・ブラックモアのように、ライブではギター・クラッシュするという噂がまことしやかにささやかれていたから(後年、誰かがでっち上げたデマであることが判明)。

今、思うと、実に軽薄といおうか短絡的な参戦動機である。
そのせいかどうかは知らないが、バチが当たってしまった。梅雨の時期に大食したツケがまわってきたのだろう。公演の前日から、食当たりを起こしてしまったのである。嘔吐と下痢を繰り返し、熱は38度以上。
「どうしよう。フォーカス観に行けるだろうか。悦ちゃんのボインを拝めるだろうか」
そういいながら、ほうほうのていで公演会場にたどり着いた記憶がある。

さて、肝心のコンサートの中味だが、メンバー各々の演奏水準は極めて高く、テク、センスとも申し分なし。
クラシックとジャズの要素が微妙に溶けあったアンサンブルが絶品で、その「壮絶さ」と「緊張感」はライブでしか味わえない魅力。

と言いたいところだが、それに気づいたのは、後年、プログレを本格的に聴くようになってから。
正直に言うと、短絡的な参戦動機に食当たりが加わったせいか、Hocus Pocus以外、聴いたことがなかったせいか、ほとんど記憶に残っていない。今でこそ、身を乗り出して観る(聴く)であろうインプロヴィゼーションの醍醐味すら理解できず、「一曲一曲が長いんだよ」「退屈するなあ」というのが、このときの本音。やはり、勉強不足の16歳の少年にとって、この公演はハードルが高すぎたのかもしれない。

当時、注目されていたヤン・アッカーマンもそれほど印象に残っていない。超絶プレイを見せつけてくれたのかもしれないが、終始、物静かだったように記憶している。
それに比べると、存在感を感じたのはタイス・ヴァン・レアーのほう。ハモンド、ピアノ、ムーグ、メロトロンとありとあらゆるキーボードは弾きまくるわ、フルートは吹くは、歌も歌うは、挙句の果てにヨーデルを口ずさむはの大忙し。
それにしても、運命のいたずらを感じる。

管理人さんのご厚情で「プログレ放浪聴」を書かせてもらっている自分が、こんなリモオか書けないなんて情けない。
なんで、あの時分にフォーカスを観に行ったのだろう。
勉強不足がまことに悔やまれる。
ああ、あのころにタイムスリップできないものだろうか。
もう一度、あのときの公演を生で観たい。
インプロヴィゼーションの本来の意義というものを存分に体感したい。
そして、可能なかぎり、それらを脳にインプットしたい。
ついでに、悦ちゃんのおっぱいも揉みしだきたい。
(マジに悦ちゃん、どうしているかなあ。もう、完全にいい歳のおばさんだよなあ。完全におっぱい垂れているよなあ)。
(おしまい)


追伸
ちなみに、↓が今のタイス・ヴァン・レアー。
笑わないで観てくださいね。
https://www.youtube.com/watch?v=LW6v-mqo17Q

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1979.3.28(水) EARTH WIND & FIRE Japan Tour

2013年11月25日 04時40分00秒 | 70年代の回顧録
東京・日本武道館 アリーナ席・正面前列 by Mr.UNIVERSE

Maurice White:Vocals, Kalimba
Philip Bailey :Vocals, Drums
Verdine White:Bass
Al McKay: Guitar
Johnny Graham:Guitar
Andrew Woolfolk :Saxophone
Ralph Johnson :Drums
The EW&F Revolving-Door Horn Section:Horn

《セット・リスト》
1. Biyo
2. Shining Star
3. On Your Faith
4. Fantasy
5. Saturday Night
6. Be Ever Wonderful
7. That's The Way Of The World
8. Magic Mind
9. Got to Get You Into My Life
10. Runnin'
11. I'll Write A Song For You
12. Reasons
13. Sing Along
14. Serpentine Fire
15. September
(アンコールは、15以外は、不明確)

 アルバム「太陽神」(ALL 'N' ALL)の大ヒットを経て待望の初来日。すでに10枚のアルバムが出ていて、もはや“ソウル・バンド”の域を超えており、スティービー・ワンダー同様にコンテンャ宴梶[という存在。個人的には、来日直後に出た次のアルバム「黙示録」(I AM)までが許容範囲。
 武道館・初アリーナ席である。見上げると、2階席のてっぺんまで観客が埋まっていて超満員札止めは壮観であった。内容もヒット曲のオンパレードであり、エンター・テイメントの極致。ドラムは回転する、ベーシストは宙に浮いたまま演奏する、ピラミッドからメンバーが登場する。まるでサーカス一座のような最高のパフォーマンスだった。

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1976.12.16 RAINBOW

2013年11月19日 04時42分00秒 | 70年代の回顧録
◆ユニ&ラヱホ談◆「その3(最終回)」
日本武道館(Evening Show) by Mr.UNIVERSE & Mr.Rapport

座席 1階北東スタンド・E列・28番(S席 ¥3,000) 提供 Mr.UNIVERSE(他の参加者3名もその並び)

※「その1」は↓
http://moon.ap.teacup.com/applet/live51music/20130903/archive

※「その2」は↓
http://moon.ap.teacup.com/applet/live51music/20130930/archive

メンバー
Ritchie Blackmore(G)
Ronnie James Dio(Vo)
Jimmy Bain(B)
Cozy Powell(Ds)
Tony Carey(Key)

《セット・リスト》
1.Intro(Over the Rainbow)
2.Kill the King
3.Mistreated
4.Sixteenth Century Greensleeves
5.Catch the Rainbow
6.Man on the Silver Mountain(inc Lazy/Blues/Star struck)
7.Stargazer(inc Key solo)
8.Still I'm Sad(inc Drum solo)
~Encore
9.Do You Close Your Eyes

ラ?/span> 「Stargazer」の後はいよいよラスト・ナンバーの「Still I'm Sad」。スタジオ盤だと数分のインスト・ナンバーだけど、ライブでは大化けしたね。しかもヴォーカル入り。

ユニ “大化け”もいいところだ。特にこのライブ・ヴァージョンを聴いてしまうと、もうヤードバーズの原曲には戻れない。気の抜けたビールのように。

ラ?/span> この曲がいちばん印象に残っている。ロニーのヴォーカルの後はリッチーのギター・ソロ。これがまたものすごく格好良かった。そして、フェイド・アウトするかのようにキーボード・ソロへと入れ替わる。このへんの展開は絶妙だね。そして、キーボード・ソロが途切れたと思ったら、コージーのドラム・ソロ。ついに来たかという感じ。一緒にコンサートに行ったY子(前妻)はコージーの大ファンだったから、「キャー、キャー」言っていたのを今でも覚えているよ。

ユニ おやおや、Y子ちゃんも“浮気症”だな。確かジョン・ロードが好きじゃなかったっけ?彼のセクシーさに惚れていたような。ホワイトスネイク時代かな。それは、ともかく、いよいよクライマックスだ!!しかし、魅せるねえコージーは。70年代ハードロックのドラム・ソロでゾクゾクするのは、ジョン・ボーナム、イアン・ペイス、そしてコージーの3人。ドラムセットが、せり上がって虹がグル・グル回って「役者やのう」と言いたくなるほどのカッコ良さだ。

ラ?/span> Y子はジョン・ロードが一番好きで、その次がコージーとロッド・スチュワートだった。だから、彼女、いっときロッド・スチュワートみたいな髪型していたんだ。オレは「ジョン・ロードみたいに髪の毛を伸ばせよ」と言ったんだけど、言うこと聞いてくれなくて……。伸ばしはじめたのは、オレと別れてから……(笑)。そうそう、ドラム・ソロね。ソロのすさまじさもビックリしたけど、途中からチャイコフスキーの曲が流れてきたのには、もっとビックリした。

ユニ “髪の毛(髪型)談義”は、別の機会でやろうよ。現役美容師のHさんの意見なども加えて「70年代のロック女子の真似たがる髪型」とか。たぶん欧米金髪女子だったらロバート・プラントあたりは最上位かな。ところが、セクシーさで若きプラントに負けちゃったりして(苦笑)。「1982年序曲」は、今でこそコージーのライブ・パフォーマンスの18番として定着した認識だが、当日はチャイコフスキーの曲だと認識出来なかった。壮大なオーケストラというのは分ったがね。

ラ?/span> 実はボクもあのときは「1982年序曲」ということを知らなかったんだ。それを知ったのは、翌々月のミュージック・ライフかなんか。とにかく、ダイナミズムに満ちあふれ、すさまじかったね。ボクは2001年にパープルがオーケストラと競演を行うコンサートを観たけど、あれはあれで素晴らしかったけど、迫力という点では、このときのコンサートのほうが上回っていたかもしれない。

ユニ 結局、演出効果が大きい。実力の無さを誤魔化す演出ではなく、舞台装置という意味でね。コージーの実力なら、ただドラムを叩くだけでも、飽きさせないし、観客も満足するのだが、「虹」や「ドラムの、せり上がり」等で一層アドレナリンが分泌していった状態になった。

ラ?/span> それで極め付けがマグネシウムのボムッ! あれにはマジにビックリ。一瞬、事故が起きたのかと思った。今なら「テロか」みたいな(笑)。

ユニ あれって、アリーナ席の最前列近くだったら完全に一瞬目が眩んで何も見えない状態だっただろうな。

ラ?/span> オレも同じ。一瞬目が眩んで何も見えなかった。何が起きたのかなって感じ。それほどまでに衝撃的だった。でも、その後、リッチーが再び「Still I'm Sad」のフレーズを弾き始めたから、あれは事故ではなく演出だったんだなあ……と一安心した記憶がある。ともかく、これでいったん演奏が終了。後は、アンコールに何をやるかということと、リッチーのギター・クラッシュのことしか頭になかったよ。

ユニ 武道館総立ち、アリーナのステージ付近は、騒乱状態。ほとんど10代~20代の観客だから甲高い声で「リッチー!リッチー!」の大合唱。

ラ?/span> アンコールなんだけど、「ひょっとしたらパープルのナンバーをやるかな」という期待もあった。でも、やはりここはレインボーで来るだろう。じゃあ、何をやるか。個人的には「A light In The Black」もしくは「Black Sheep Of The Family」あたりを予測していた。だって、「Black Sheep of the Family」はリッチーのお気に入りの曲で有名だからね。この曲をレコーディングするかしないかでパープルのメンバーともめにもめ、脱退の引き金になったという噂もある。だとしたら、アンコールでそれを演ってもおかしくない。でも、実際は違っていた。意外な曲だった。

ユニ 自分も「A light In The Black」が本命予想。しかし「Do You Close Your Eyes」で持ってきた。でも結果的に、この曲の方が“観客と一体化”という意味では正解だったかもしれないな。

ラ?/span> そのへんは珍しくあなたと意見が違うね。初期のホワイトスネイクがアンコールに「Lie Down」をプレイするなら“観客と一体化”という意味では正解だと思う。しかし、レインボー、というよりもリッチーの場合はそれじゃあダメなんだ。リッチーがギター・クラッシュする曲を改めて振り返ると、このコンサートの前、つまりパープルのときは「Space Truckin」、あるいは3期の後半になると「Highway Star」。その後のグラハム・レインボーを見るとインストの「Kill The King」。どれも“観客との一体化”には縁遠い曲ばかり。アンコールはリッチーの独断場だから、観客との一体化なんか無視して「狂気」を感じさせるナンバーを個人的には演ってほしかった。「Do You Close Your Eyes」が悪いというわけではない。あの曲はあの曲でプレイして、その後、もう一曲、「狂気」を感じさせてくれるナンバーでクラッシュしてもらいたかったというのがオレの理想。要するにアンコールは2曲。ちょっと贅沢過ぎるかな(笑)。

ユニ 舌足らずな表現だったかな。アンコールの曲としては「Do You Close Your Eyes」の方で良かったのではないか?というだけの意味。そもそも“ギター・クラッシュへ誘う(いざなう)狂気を感じさせてくれるような曲”ってレインボーには無かったと思う。ギター・クラッシュをやれば何でも狂気を感じさせる曲になってしまうのかどうかはわかならい。それでも個人的に一番の狂気に誘うベストの曲は「Space Truckin」なのだが。いずれにしても、DVDの「LIVE IN MUNICH 1977」で記憶を呼び起こしてみた。基本的には「Do You Close Your Eyes」がアンコールでギター・クラッシュになだれ込むのは76年と同じだ。曲が一旦終了すると「Thank You All Right!」言い残して、ロニー達が去っていく。しかし、リッチーだけが居残ってギター・クラッシュになだれ込んでギターを破壊し、客席に投げ込んで終わる。この場面だけを見ると、76年の武道館の方が断然凄かった。我々の位置はステージの真後ろに近い席だったので「リッチーがギターを変えているぞ」「うわーアンプもカラのヤツに変えている」こりゃー全部破壊する気だな。と

ラ?/span> ステージの真後ろに近い席で思い出したけど、あのとき、リッチーはバックステージから白い小麦粉かメリケン粉のようなモノが入ったビニール袋を手にとりはじめたんだ。それをステージ壇上に持っていき、ローディーたちにふりかけたのには笑ってしまったな。他のメンバーにもふりかけるかなと思ったら、案の定、ジミー・ベインに……。それでも、ジミーは「忍」の一文字でベースを黙々と弾きつづけていた。ああいう過ぎた悪戯は、ジョン・ロードには絶対できないだろうし、ギッちゃんにやったら殴り合いのケンカになるだろう。キャンディスにやったら離婚問題にまで進展しかねない(笑)。ともかく、リッチーの悪戯のせいでステージ上は白い粉だらけ。宙に舞っていたのが印象的だった。

ユニ ジミー・ベインは単に“いじられ役”だったのだろう。こういうキャラは、年齢とか先輩後輩は関係なくあるものだし。あるいはM(マゾ)的性癖かも。その後に客席にも投げたんじゃなかったかな?最初は「水」かと思っていたんだが。定かではないけれど。

ラ?/span> 思い出した、思い出した。あれはビールだよ。ビール。フィリピンのサンミゲル・ビールのような瓶ビールだった。祝勝会のビールかけじゃないんだから、あれをやられたら観客もたまったもんじゃないよな。真冬だし。

ユニ そうでもないかもよ。プロ野球の優勝チームのビールかけ、のように「あの輪に入りたい」っていうのはファンなら誰でも思う。日本一になった時、仙台のKスタジアムにいた楽天ファンなら仮にグラウンドでビールかけをやったら星野や田中に、寒くてもいいからビールをかけてもらいたい!と思ったはず。自分でも、あの時アリーナ前列なら半端じゃない量のアドレナリンが放出されて「リッチーにやられたら仕方ねえや。ついでにギターの破片でも拾っておこうかな」という気にさせられたかも。ある意味“聖水”だし“勲章”なのだから。

ラ?/span> 確かにそれは言えているかもしれないな。オレたちは一階席だから、俯瞰して見れたけど、もしアリーナの最前列に陣取っていたら、「寒くてもいいからビールをかけてもらいたい」と思ったかもしれない。とくにあの頃のオレなら……(笑)。まあ、しっちゃかめっちゃかのパフォーマンスの末、再び、ロニーが歌い出し、いよいよエンディングを迎えるわけだ。

ユニ 俯瞰して見ているといっても、ステージの真横の1Fスタンドの5列目、やはり最後は大興奮だった。だからエンディングは、よく覚えていないんだ。
全体的には、パープルの曲が少なかったことやキーボードの力(ちから)不足などの不満とかの思いはあったが、最後には吹っ飛んでしまったよ。ほぼ全盛期のリッチーとコージーを体験できたこと、“新人”とは思えない完成されたパワフルなヴォーカルを見せつけてくれたロニーも良かった。最初は失敗したかな?と思った座席も意外と楽しめたし、70年代は、ロックの最も輝いていた時代であり、ハードロックとしてもゼップやパープルやGFRの初来日には時代的な要因もあって行けなかったが、レインボーの初来日を間近で体感できた事は最高の思い出だった。

ラ?/span> 亡くなった友達のS君(DP4期のライブ・リモノ登場)が、このときのコンサートに行かなかったようで、後々、悔やんでいた。会うと、その話ばかり。その気持ち、よくわかる。もし、オレがこのときのコンサートに行かなかったら、たぶん、今もものすごく悔やんでいたと思う。それはキミもたぶん同じだと思う。それほどまでに素晴らしいコンサートだったということ。最後に、ボクは78年のコンサートに行かなかったので、是非、スタンスの異なる立場から、ヘッドさんに、そのときのライブをリモオてもらいたいね。ヘッドさん、よろしくお願いしますよ。

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1976.12.16 RAINBOW

2013年09月30日 04時40分00秒 | 70年代の回顧録
◆ユニ&ラヱホ談◆「その2」
日本武道館 By Mr.UNIVERSE & Mr.Rapport

※「その1」は↓
http://moon.ap.teacup.com/applet/live51music/20130903/archive

座席 北東スタンド・1F・前方(ステージのやや後方で「虹」は見えない位置だったが、リッチーは良く見える場所)

メンバー
Ritchie Blackmore(G)
Ronnie James Dio(Vo)
Jimmy Bain(B)
Cozy Powell(Ds)
Tony Carey(Key)

《セット・リスト》
1.Intro(Over the Rainbow)
2.Kill the King
3.Mistreated
4.Sixteenth Century Greensleeves
5.Catch the Rainbow
6.Man on the Silver Mountain(inc Lazy/Blues/Star struck)
7.Stargazer(inc Key solo)
8.Still I'm Sad(inc Drum solo)
~Encore
9.Do You Close Your Eyes

ラ?/span> 初来日のセットリストを改めて振り返ってみると、1stアルバムからの曲が4曲と多かったね。ボク個人としては2ndの『Rising』からのナンバーのほうが多いかと思っていたのだけれど、これは意外だった。実はBlackmore's Nightの初来日のときもそうだったんだ。1stアルバムからの曲が同じく4曲。リッチーは1stアルバムがお気に入りなのかな。本当は『Rising』からのナンバーを多く演ってほしかったよね。タロット・ウーマンとか。ライト・イン・ザ・ブラックは同日の昼間のコンサートでプレイされたみたいだけど……。

ユニ 「銀嶺の覇者」は、実質リッチーのソロアルバム、「虹を翔る覇者」こそレインボーのファースト。確かにもっと演っても良かったし全曲やっても時間的には問題なかった。そこで、“ディープパープル”なんだよ。何故、1曲しか演らなかったのか。キミはどう思う?

ラ?/span> 二つの理由が考えられると思う。一つは、「オレはもうディープ・パープルとは何の関係もないし、元パープルのメンバーという肩書きで見られたくない。自分の新しいバンドで再スタートをきりたい」という意気込みがあったんじゃないかな。もう一つは、「銀嶺の覇者」と「虹を翔る覇者」からのナンバーで勝負に出たかったこと。これは偉いと思う。今のパープルも見習わないとね。今のパープルは新しいアルバムをリリースして、ツアーを行っても、新曲で勝負しようとしない。大半を70年代の曲に依存している。いわば、遺産の食いつぶし。これじゃあ、ファンも離れていくよ。話が戻るけど、意気込みといえば、レインボー・コンセプトを明確に打ち出すために、ステージバックのスクリーンにもアルバムジャケットを拡大して映し出していたよね。

ユニ 確かに、意地やプライドもあったのだろうね。ただ、当時もカリスマ人気のリッチーだったから何をやっても許されたはずだ。「俺は当面はブラックモアズ・レインボーで勝負するよ。」という覚悟が、選曲や演出にも表れていた。この時リッチーは、まだ31歳なんだよ。過去の遺産など必要なかった。

ラ?/span> とにかく、前半は1stアルバムからのナンバーがつづいたね。「Man on the Silver Mountain」のイントロで「Lazy」のフレーズが出たのにはビックリした。

ユニ 正直、そのイントロは、覚えていないなあ。今となっては、彼の、お得意のフレーズだけれど。

ラ?/span> このコンサートの後、半年くらい経ってかな。FM東京だったと思うけど、若山弦蔵の司会で、レインボーの東京公演の模様の一部が放送されて、そのとき、「Man on the Silver Mountain」のイントロで、「Lazy」のほかにジミヘンの「紫の煙」のフレーズも演奏されていたことを思い出したんだ。あの得体のしれないオープニング・ナンバーが「Kill the King」という新曲であることを知ったのもこの番組。当初は、このときFMで流されていたモノが「オン・ステージ」に収録される予定だったみたいだね。TDKのカセットに録音して何十回、否、何百回も聴いた記憶がある。後年、西新宿のブート屋でそのときのCDを購入した記憶もある。キミも一緒にいたはずだ。ほら、コモン・ストックに行く前に、景気づけによく立ち寄った「加賀屋」という居酒屋に入る前さ。あそこの煮込みは抜群にうまかったなあ。確か、キミが管理人さんと初めて会ったときも「加賀屋」に行ったんじゃなかったっけ。

ユニ 若山弦蔵のFM東京の番組は当然聴いたし、エアチェックもしたよ。彼のリッチー評が忘れられない。「・・・このひとの緩急自在のチェンジ・オブ・ペース・・・」正確ではないかも知れないがこのような事を言っていた。他の若い評論家とは違う冷静な大人の評価だったな。
「加賀屋」は、最近は通り過ぎるだけだなあ。実は最近もロックバーに行く前に管理人さんと近くを“通り過ぎた”よ(笑)。実は最近、東京に一泊する時には加賀屋の近くのビジネスホテルを定宿にしているから、機会があればまた飲もう。

ラ?/span> 亡くなった友達があそこの「ちくわの天ぷら」が好きでね。店に行くと、奴はいつも「ちくわの天ぷら」と「ウーロンハイ」を頼むんだ。オレは「黒ホッピー」と「煮込み」が定番。いかん、いかん。話を戻そう。「Man on the Silver Mountain」の後はいよいよ「Stargazer」。でも、イントロの長々としたキーボード・ソロは退屈だった。

ユニ 改めて「ライブ・イン・ジャーマニー1976~ツアー30周年記念BOX」のStargazer を聴くと5分程度なんだよな。キミが、もしかしてジョン・ロードの影を追っていたのなら無理があるね、と言うしかない。トニー・カーレイとは横綱と幕下、いや失礼、平幕くらいの差があるし、ジョンなら10分くらいのソロなら飽きさせない。冷めた見方をすればキーボードは使い捨てでも“様式美ロック”を表現するなら仕方ねえや、とリッチーは思っていたのだろうか。結局「虹を翔る覇者」のアメリカでのセールスの不振も相まってクビになっちゃうのは仕方ないかな?

ラ?/span> 「虹を翔る覇者」のライナーに渋谷陽一と今泉何某の対談が記載されていて、「今度のキーボードはすごい。リッチーともうまくいくだろう。ジョン・ロードは死刑じゃ」みたいなことが書かれていた。それを鵜呑みにしちまったんだね。いずれにしても、「キーボードはギターの引き立て役」という図式はこの頃確立されたわけで、それを踏襲したのがイングヴェイ・マルムスティーンというわけだ。

ユニ 「Stargazer」は、彼らの代表曲であり、リッチー、ロニー、コージーの三頭政治時代を代表する様式美ロックの最たるものだが、やはりキーボードが物足りない。バック・コーラスのような役割でしかないのが気に入らない。他の誰かだったら、といつも思う。それでもライブでは、延々と続く、終わりが来ないような魔力に引き込まれてしまっていた。

ラ?/span> 三頭政治といっても、それはベースとキーボードがあまりにも非力過ぎたことも関係していると思う。もし、初めからベースがロジャー・グローヴァーだったら、三頭政治とは呼ばれなかったかもしれない。実はね、トニー・カーレイがソロをとっているとき、ステージのバックで、リッチーが椅子に座っていたジミー・ベインを足で蹴るところを目撃したんだ。ふざけていたのかもしれないけれど、あんなことはパープルのメンバーにはできなかった。否、許されなかったことだと思う。

ユニ まあ、第二期ディープ・パープルは完成したバンドで、メンバー間の確執はあったとしても実力が均衡した緊張関係が存在したが、レインボーは最後までリッチーのワンマン・バンドだったから。コンサートの、その場面は見なかったな。ジミー・ベインはバンド内で最後まで“いじめられ役”だったらしい。バンドで同年代の仲良しがふざけてやっているのとはどう考えても違う。単に“足蹴”にしたんだろう。「おい、もう少しで俺の見せ場が来るんだから、だらだらしてんじゃねえぞ(ニヤ、ニヤ)」とか言っていたのだろうか?(つづく)

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1975 August

2013年09月27日 05時16分00秒 | 70年代の回顧録
ディープ・パープル ファンクラブ主催の「第1回パープル・コピーバンド 腕自慢大会」
by Mr.Rapport

 DPのFCは内部留保が豊富だったのだろう。1975年の8月、ボクが高校三年生のとき、杉並公会堂を借りきって、「第1回パープル・コピーバンド 腕自慢大会」なるものを主催。その「見物」に行ったことがあった。
 参加のアマチュア・バンド数は10ぐらい。審査員はFCの会長さん、副会長さん、それにワーナーの宣伝担当の3人。優勝者にはワーナーの宣伝担当の人から商品券みたいなものが贈られるという、いわゆる素人コンテストのようなもの。
 演奏する曲はすべてDPからのナンバーであることが条件。各バンドの演奏時間は1バンド25分。その間なら、何曲演奏してもかまわないが、時間をオーバーするとフェイド・アウトの鐘をFCの幹事さん(当日の司会進行役)が鳴らし、なおかつ減点の対象となる仕組みになっている。
 当日、各バンドによって演奏されたのはだいたい以下の曲。

Highway Star
Smoke on the Water
Never Before
Lazy
Speed King  
Child In Time 
Into The Fire 
Hard Lovin' Man 
Strange Kind of Woman
Black Night
Lay Down, Stay Down
Lady Double Dealer 
High Ball Shooter
Ring That Neck

 演奏クオリティといえば、ピンからキリまで。「なかなかやるな」と思うバンドもあれば、「よく恥かしげもなく出たな」と思うバンドもある。中にはキーボード・レスのバンドや、風邪でヴォーカルの女の子が出演できなくなりインストルメンタルの演奏を余儀なくされたバンドも。
 それはさておき、上記のリストを見てもおわかりのように、大半が2期のナンバー、それも『イン・ロック』と『マシン・ヘッド』と『メイド・イン・ジャパン』に集中している。しかも、出演バンドの多くが「Highway Star」もしくは「Smoke on the Water」を演奏。これは昔も今も変わりないようだ。
さらに、あることにお気づきいただけただろうか。そう「Burn」が演奏されていない。どのバンドも、誰一人として、あの名曲を演奏しようとしないのだ。
 この件に関していうと、理由は一つだけ。当時は三期のオフィシャル・ライブ盤が発表されていなかったため、Burnのライブの様子が不鮮明だった。ということは、アマチュアからしてみれば、あの複雑極まりない難解なキーボード・ソロをどう料理(演奏)していいかわからない。しかも、当時、出回っているブートは「ライブ・イン・ロンドン」くらいしかない。つまり、このとき参加したアマチュア・バンドの中には、ブートを熱心に聴きこんで、キーボード・ソロの研究に余念のない輩がいなかったというわけである。
 その点、同じ三期でも「Lay Down, Stay Down」「Lady Double Dealer」「High Ball Shooter」はスタジオ盤もフェイド・アウトしていないし、比較的、演奏もしやすい。なるほど、みなさん考えていることは一緒なんだね。
 それでは準優勝バンドと優勝バンドを発表。
まず準優勝バンドは、風邪でヴォーカルの女の子が出演できなくなりインストルメンタルの演奏を余儀なくされたバンドの「Ring That Neck」と「Lazy」。さすがに少しはブートを研究していたのか、なかなかの腕前。ギタリストがハーモニカを吹きながら演奏するのも格好よかった。
 優勝は「Speed King」と「Child In Time」を演奏したバンド。僕らとほぼ同世代。ヴォーカルはなかなかだったけど、演奏そのものは準優勝のバンドのほうが上手かったように記憶している。
 報告は以上ですが、これに触発され、翌年の夏、「第2回パープル・コピーバンド 腕自慢大会」に自分もバンドを率いて参戦。これについての報告(結果)は近々、別の機会に。

管理人より
↑のアルバムが出た時は、僕は感激にむせび泣きました。ジャケもカッコいいし(裏ジャケの方がもっとカッキーけど)。
イギリス・オリジナル盤は、ゲートホールドなんですよん。

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