みんなのライヴ・ブログ

行ったつもりのリクエスト「おうち DE apple-cart」。毎日朝5時に1曲、全力更新中!

第13回目「TEXAS FLOOD」東京・新宿区荒木町

2017年12月24日 07時05分00秒 | アーカイブス : ロック喫茶 ・ バー
Mr.UNIVERSE

夏の終わりに親父の一周忌法要も無事終えたが、今年に入り菩提寺に所要と墓参りのため東京に行った。夜は時間があったので「いつか行きたい。」と思っていた新宿・荒木町のロック・バー「TEXAS FLOOD」にはせ参じることにした。丸の内線・四谷三丁目駅からほど近い荒木町は、かつての花街であり老舗の名店が数多くあるらしいが、長年の東京在住の時代にも縁がなく足を踏み入れることはなかった。

事前にホームページで調べて来たのだが、土地感も全くない未開の地であるがゆえ、やはり迷子オヤジになってしまった。しかし捜索範囲は狭いので、散歩のつもりで同じような場所をグルグル回ってやっと見つけホッとする。緑の看板が眩しい

開店とほぼ同時刻に行ったので他のお客さんはいない。2003年にオープンしたというから、今年で14年になる脱サラ・マスターの店である。大きくはないがカウンター中心の、如何にもロック・バーといった趣である。マスターは年上だが“いかにもロック・バーのマスター”といった威圧感はない。銀座当たりの小さなスコッチ・バーのマスターのような落ち着きがある。IWハーパーのバーボン・ソーダを注文する。さて、この店はリクエストを受け付けないのでマスターの選曲が全てである。ランダムに曲がかかる。店の名前からも想像がつくように、ブルース・ロック中心である。スピーカーのすぐそばの席に座ったが“音”は大きくはない。マスターが曲単位で編集した心地良いロックが、JBLのスピーカーから流れ続けてくる。会話可能なところは稲毛の「フルハウス」と同じコンセプト。店に来るまで知らなかったが、近年「禁煙ロック・バー」になったらしい。非喫煙者としては嬉しいが、ロック・バーとしては集客に支障が出ないか余計な心配をしてしまう。マスターも吸わないクチなのだろうが。常連さんが二人来て、そろそろ帰り支度をすると、マスターが「ハイこれ。」といってCD-Rを持ってきた。毎月、編集したCD-Rをお客さんにサービスとして配布しているようだ。これが楽しみで来店する常連客もいるようだが、今回初めて来店したから、ということで更にもう一枚いただきました。ワープロでアーチストと曲が書かれています。聴いたことのないアーチストもいる。さすがにブルース・ロック・バー14年の年季が入っています。



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第12回目「Full House」千葉・稲毛

2015年10月23日 07時04分00秒 | アーカイブス : ロック喫茶 ・ バー
「日本のロック・バーのゴッドファーザー」(東京ロック・バー物語・和田静香著より)に逢いに行った・・・Mr.UNIVERSE

存在は知っていたし、いつか行きたいと思っていたが、冒頭の著書を今年入手してからは「必ず今年中に行こう。」との想いは強くなっていた。1969年に開業した渋谷の「BYG」は、高校時代に数回行った。そのBYGに次ぐ最古参であり伝説のロック・バーが「Full House」である。最初は、1971年に今の近くのビルにロック喫茶「ドノバン」を開業。その後「マギー」に名前を変え、76年に現在のビルにフルハウスとして移転したそうだ。

幸い、現在ちょっと時間の融通が利く管理人さんが同行できるというので、オヤジ2人で行くことに。いつの間にか髭を生やしてロウエル・ジョージのようになっていた管理人さんと稲毛で合流。古い雑居ビルの2階の扉を開けると、そこは懐かしい雰囲気の内装だ。そして広い。テーブル席が4つとカウンター。奥にDJブースもある。カウンターの後ろはボトルとレコード棚。木目調の内装、ャXター、レコードコレクターズ誌などもずらりと並んでいる。そして正面には大型のJBLのスピーカーが構えている。まさに70年代のロック喫茶が蘇ったかの如く、初めてなのに懐かしさを感じていた。



何故か、テーブルの常連さん2人しか姿が見えず、聞くとマスターは、ちょっと外へ出ているようだ。買い出しにでも行ったのか?ほどなくして帰還したマスター。さっそくハートランド・ビールを注文。ドリンクやツマミの種類も相当多い。写真だと強面の印象が強く、最初は緊張したが良い意味で裏切られ、老舗のバーの愛想の良いマスターといった印象。


難を言えば音量が小さいという事。昔のロック喫茶(ロック・バー)も大音量で会話も出来ない、ただ音の洪水を浴びる店と、音量は少し小さいが、その代わりマスターや同行者と会話も出来る店と別れていた。フルハウスは典型的な後者タイプだ。後から来た常連さん夫婦?とも気軽に話していた。BS&Tやジャニスがアナログでかかる。リクエストも気軽にかけてくれそうだ。針飛びのアクシデントもご愛嬌。最後にマスターが参戦したGFR初来日の秘蔵カセット・テープを聴きながら店を後にした。


今回は、初見参ゆえ短時間で帰宅の途に。次回はマスターと少し話をしてみよう。また、来ます。

■ 管理人もご報告を・・・

“稲毛のフル・ハウスへ行きませんか?”と、ユニさんからのお誘いメールが届き、平日でも時間はフリーだし“今でしょ”のこのタイミングで、訪問に同行させていただきました。
うちのまーつーが、駅まで迎えに来てくれると快諾してくれたので(普段から主夫業頑張ってるし:笑)、軽~くお酒も飲んじゃおっと。

ユニさんがお書きになっている通り、ワタクシ、髭伸ばしてました。
公的に人と接することも無く日々過ごしていたことと、単に剃るのが面唐セったから。
でも今は、剃っちゃったからツルリンコちゃんよ。


JR稲毛駅東口に18時に集合、そこから探しながら歩いても5分ぐらいだったかな~。
この辺は一度来たことがあるぞと思ったら、「ザ・味噌ラーメン」の欄でご紹介した“ひむろ”
http://moon.ap.teacup.com/applet/live51music/20131105/archive

お店に入ってまず目に入ったのは、テーブル席がゆったりと配置されていたこと。また、マスターと会話が出来るカウンター席もある。
そのカウンター席の真上が本棚になっていて、だいぶ昔からのニューミュージック・マガジンがどどーんと並んでいるのが印象的な風景。

店内に流れるROCKは、upset the apple-cartのような“リクエストで構成”されたものではなく、一応店主導。
しかし、“マスター○○かけて”とお願いすれば応えてくれる風(もしかしたら一元さんはダメなのかも)。
それとメニューが豊富。我らはとりあえず「ジャーマンャeト」と「ビーフン」を注文(画像)したが、店を切り盛りするのがマスター一人なので、フードは、時間と相談の上注文するのがいいみたい。


ユニさんのリモノもあったが、お客さんがリクしたGFRの伝説の後楽園ライブの秘蔵テープが聴けたのは、ラッキーだったな~。
だけど、どうやって録ったんだろう・・・あの嵐の中で。たまたま雨の影響の無い“いい場所”だったのだろうか?
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第11回目「Zem(ゼム)」(ブルース喫茶) 東京・下北沢

2015年08月11日 04時36分00秒 | アーカイブス : ロック喫茶 ・ バー
by Mr.UNIVERSE

通っていた高校は、「明大前」駅近くだった。東京人はピンとくる場所と位置である。そして“絶妙な場所”である。
新宿、渋谷、吉祥寺のちょうど真ん中に位置していて、各繁華街に京王線と井の頭線を使って30分以内で行ける。
だけど明大前から一番近い“遊べる場所であり食と文化の拠点”といえば「下北沢」なのだ。

70年代から“若者の街”ではあったが、今ほど休日に10代の子供が溢れかえるような街では全く無かった。現在、再開発途中で小田急線は地下化され馴染みの踏切は無くなり、今後も都道が住宅街を貫く計画もあってどうなるか予想もつかない。

当時も地理的に幹線道路は、すぐ近くに無く高層ビル群もデパートもない街である。もうすぐ取り壊される駅前市場のような下町感覚と少し歩けば静かな世田谷区らしい住宅街があり、北口と南口にある商店街を中心に街の文化的要素もたくさんある地域であった。

小さ過ぎず、巨大過ぎず、移転前の本多劇場を筆頭に演劇小屋、古本屋、レコード屋、ジャズ喫茶&バー、ロックバー、ソウルバー、骨董屋など。食べ物屋から飲み屋なども、いくらでもある、ごった煮の街、1日居ても飽きない街。それでも昨今の、お洒落な古着屋や雑貨屋は、まだ少なかった時代である。

70年代中頃の高校時代、さすがに飲み屋には縁は無かったが、今度の土曜日の午後はどこに行くかな?という時の基本的な定番コースの1つは北口の下北一番街へ向かう。
まずは腹ごなし。とりあえず古書店の「白樺書院」(未だ健在のようだ)へ行き物色してから伝説の中華屋「蜂屋」。

ラーメン100円(その後150円)、餃子100円、炒飯200円、カツ丼と天津丼が一番高くて300円。味も、そこそこだったからいつも超満員。500円あったら学生でも満腹状態である。

一品だけ注文する客は皆無。ただし行列は出来ない。何故なら斜向かいに、味は多少劣るが、ほぼ同じ値段で対抗していた中華屋(名前は失念した)があったから。
ジャンクフードや牛丼やカレー等のチェーン店も無い時代には、この値段だけでも立ち寄れる。高校生風情には、じゅうぶん満足なのだ。

腹がくちくなったらすぐ隣のブルース喫茶「Zem (ゼム)」へ向かう。2階の入り口を入ると、明るい雰囲気だが古いパブのような店内。

以前の店を居抜きで改装した佇まい。トイレに行くときもミシミシいう鴬張りのような造り。だが、こういう造りが落ち着く。
記憶にないが御夫婦で経営されていたらしい、と当時買っていた雑誌「THE BLUES」誌の店のレメ[トに載っている。

建物は古いが73年に開店したということは通い始めた当時は、まだ1年しか経っていない。ということは、自分は常連候補の新参者の高校生だったようだ。

74年に開催された日本で初めての“本場のBlues”が聴ける「第1回ブルースフェスティバル」に行くきっかけを作ったのは、この店や「ニューミュージック・マガジン」、TBSラジオの「イレブン・サーティ・ブルース」だった。

ロバート・ジョンソンからマディ・ウォーターズまで、ここで出会った。それから約10年後の20代後半に懐かしくて入っていった、店はブルース喫茶から普通のスナック風飲み屋に変わっていたが、店の基本の構造は全く同じで懐かしかった。

当時の職場の忘年会の二次会で下北沢一番街のソウル・バーに行き、最後の締めで4~5人の女子も含む同僚連中と参上した。現在は、取り壊されて普通の小さなビルになっている。


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第10回目 新宿3丁目「KING BISCUITキング・ビスケット」(ブルース・バー)

2015年01月06日 04時33分00秒 | アーカイブス : ロック喫茶 ・ バー
店のホームページによると開業して約30年らしい。
始めて行った時期は覚えていないが約25年くらい前の30歳前後だろうか。
音量の大きい“音楽バー”というのではなく、BGMに近い雰囲気でブルースを流している落ち着いたバーだ。

10年以上行っていないので現状は知らないがレゲエなども、たまにかかるようだ。
たまに通っていた時期は、シカゴ・ブルースからカントリー・ブルースまで適度な音量で延々とかかっていた。

バーボンの種類も多くリーズナブル。ここで知った“イエロー・ローズ・オブ・テキサス”は、今でも大ファンである。(千葉では中々手に入らないのが難点)

そして店の雰囲気がとても良い。客席は公称20席。L字型のカウンターと壁際に2人で並ぶと丁度良い席が正面に向かって並ぶ。
照明も限りなく暗い。左側のカウンター席は一番暗いので女性との同伴は必須?である。
この店は、残念ながら?家人以外の女性とは来なかったが。

西新宿のロック・バー、“コモンストック”が閉店し、新宿三丁目のKING BISCUITのすぐ近所に“upset the upple-cart”が開店するまでの端境期のある時期。東京・小金井市在住の時にJRの変電所の事故により中央線&総武線が夕方から夜遅くまで止まって新宿から動けなかった。
すぐ回復するだろうと思って、しばらく時間つぶしにKING BISCUITに居た(避難した)が、全く動かず、やっと超満員の総武線に乗ったが中野でまた止まって動かなかったり散々な目にあって帰宅した思い出があるが、それが店に行った最後かな・・・by Mr.UNIVERSE

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第9回目 秋葉原「立ち飲み処 おかめ」

2014年11月03日 13時54分00秒 | アーカイブス : ロック喫茶 ・ バー
Part.2 by Mr.UNIVERSE (& headstorm)

第5回のアーカイブス編でラモウんが紹介しているので基本的な情報は省きます。

新宿三丁目のロックバー「upset the upple-cart」にて隣の席になったときにヘッドさんが、「おかめ」の事は知っているし、自分の店のお客さんから話も聞いているのだが行ったことはないんだよね。」ということで「そのうち一緒に行きますか。」と約束してからしばらく時が経ってしまった。

こちらは遠方の田舎だし、お互いの都合も合わせにくい現状。しかし今回は何とかタイミングがあって冷たい秋雨の中18:30PM頃に秋葉原の昭和通り側の改札で待ち合わせて、いざ出陣。
公称の開店時間は18PMだから、さすがにやっているだろう。と思ったが看板に灯は点っていないし、シャッターも非情に占められていた。うーむ残念。しかし土曜日は営業するはずなので、すぐ近くの古参居酒屋チェーン店で時間を潰しながら待つことに。

この古参居酒屋チェーン店も何十年ぶりに訪れる。秋葉原の、この店の造りもリフォームしたのか綺麗だ。メニューも見やすいし値段も安いのは昔のまま。
かなり違うのは店員で片言の日本語を話す外国人さんが数人いるくらいだろうか。
30年以上前に、この店(チエーン店)で出していた“蛙”や“雀”の話で盛り上がる→事実です。

19PMにヘッドさんが「おかめ」の様子を見に行く。
「やはり、やっていないっす。諦めてここで落ち着きますか?」と悲しい顔。
「いやあ、店主は1人で営業しているので開店時間は、多少アバウトなのだろうから、もう少し様子を見ようよ。」
などと会話をしながら待機の形で、しばらくチビチビ飲っていて、これが最後の偵察だあ!と19:45PM頃に再度偵察に行くことに。
ほどなくして「やってますよ~!」との朗報が届く。


      ☆★☆★ 目印のソデ看板。

うーん、久しぶりだなあ!おかめの顔の看板が神々しく見える。店主も元気そうだ。
開店直後だろうに、すでに常連さんが数人いる。さすがです。
まず黒のホッピーを注文して再度乾杯。

      ★☆★☆ 黒ホッピーとアイアン・メイデンのコラボ。

懐かしい壁一面のャXターや70年代コンサートの半券チケット。流れるロックの音量は小さく、残念ながら奥の壁際に座ると普通の立ち飲み居酒屋であるが、店の真ん中のテーブル席だと壁のTVモニターに映る70年代ロック&ソウルのPVを観ながら飲める。
マスターと同年代と思しき先輩ロックファンは、正面の細いカウンターに陣取っている。
しばらくすると先客が帰宅したので席を移る(椅子は無いが)。

残念ながら本日は、新宿三丁目のロックバーに行っているブログの管理人さんとスマホで情報交換しながら夜は更けていく。
“リンゴのマスター”風に言えば「男子率100% 親父率100% 同人率も我々を除いて100%」状態。

      ☆★☆★ 店主とベテラン常連が真剣にDVDを選択している。

帰り際、店主に少し挨拶を交わす。何と私の顔を覚えていてくれた。嬉しい。
最近のジェフ・ベックのロニー・スコット・ジャズクラブのライブ演奏のDVDを観ながら21:30PM頃に退散。
残念なのは故郷に帰ってしまった「リッチー姉さん」にもう会えないこと。
しかし、足繁く通えば第二、第三の“ロックマニア姉さん”達に会えるかもしれない。
JR秋葉原駅への帰り道にヘッドさんが「自宅から近いのに何で今までこなかったのだ!」と自分自身への怒りを込めて相当悔しがっておりました。
これは、「リッチー姉さんに会えず仕舞い。」だった事も含めてでしょう(笑)。
まあ、今からでも遅くないので近所なんだから時々通ってくださいな。

      ★☆★☆ 相変わらずの店内。
コメント (15)
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