みんなのライヴ・ブログ

行ったつもりのリクエスト「おうち DE apple-cart」。毎日朝5時に1曲、全力更新中!

2014.04.12 DEEP PURPLE

2014年04月22日 00時06分00秒 | 参戦報告(2000~現在まで)
日本武道館 2F 立見 2階 南 7番 by headstorm

 参戦レメ[トの前に、このバンドとの出逢いが、自分自身のその後の音楽趣味、生活他40年近くに渡って多く影響を与え続けいると言っても過言ではありません。


 まずは、こんなお噺から語らせて下さい。
 『紫庵』の名称を勝手に使わせてもらい、管理人さんに感謝です(笑)。

 【紫庵繁盛記】これは、昔、昔、今から半世紀近く前の出来事です。
◆ 第1章 ◆
 《臍曲がり》《髭》《眼鏡》《船頭》《騎馬》の5人の、若く腕の良いコック達が、『紫庵』なる食堂を開きました。
 その店は、自分達の街よりも海を渡った街で多少評判になり、出前・実演販売をしてました。
 正直その頃は、試行錯誤で味もイマイチ。よほどの食いしん坊で無いと『紫庵』の事を知る人はいませんでした。
 そんな時《臍曲がり》が、コックの修行時代の友達とばったり遭遇。けちんぼのその友達は『風船堂』と云う食堂を開き大繁盛中。
 “負けてたまるかぁ!”《臍曲がり》に火が付きます。ならばこっちも味付け変え、お土産や出前も実演販売もいっぱいして、もっともっと儲けてやると考えました。
 そのためには《船頭》と《騎馬》が邪魔でした。《臍曲がり》は、《髭》と《眼鏡》と協力して2人を追い出してしまいます。

◆ 第2章 ◆
 3人は、もっと腕のいいいコックを探し始めます。《臍曲がり》の友達の紹介で、『六話軒』と云う店で働いてたコック2人《酔っ払い》《赤鬼》を入れる事にしました。
 なんと、この5人で作った料理は大成功。売上も増し、お土産の注文もどんどん伸びて行き、遂には僕らの街にも、出前・実演販売に来たんです。あっという間に、若者達は、『紫庵』の料理の虜となりました。
 ところが、売上が伸びると必ず出て来る問題が発生。古参の《髭》は怠け者のくせに、“仕事は平等だ、稼ぎを五等分しろ”と主張。《臍曲がり》は仕方なく、料理は5人の共同製作としました。
 しかしながら、良い事は長続きしません。《臍曲がり》は《酔っ払い》と馬が合わなかったのです。
 嫌いなのは《酔っ払い》だけなのに、《赤鬼》はとばっちり。僕らの街に2回目の実演販売をしに来たのを最後に、2人には出て行ってもらいました。
 《酔っ払い》は、追い出された数年間はブラブラしてましたが、やっぱり料理の世界が忘れられず、ついには『義乱亭』を開店。『紫庵』時代のメニュー「子供の料理」をアレンジし、開店準備は《赤鬼》の力を借りました。《赤鬼》は、開店準備を生業とする仕事で、だんだんと力を付けて来ていたのです。

~僕らの街の出前・実演販売~
 ◎1972.8
 ◎1973.6

◆ 第3章 ◆
 《臍曲がり》と《髭》と《眼鏡》は、またもやコック探しです。同業店『自由堂』に居たベテラン・コックの《夜明けのデカ》に目をつけますが、時すでに遅し。《夜明けのデカ》は、『悪玉苑』の開店準備に入っているところでした。
 仕方なく1人はヘッドハント《裏声》、1人は募集《元洋服屋》で体裁を整えました。《裏声》を取られた『ぶらんこ家』は、しばらく営業してましたが、ついには閉店してしまいました。
 最初のうちは、自分の子分のように命令を良く聞く新入り2人を、《臍曲がり》は可愛いがっていましたが、だんだん慣れてくるに従って、2人も生意気になり、逆らうようになりました。
 《臍曲がり》が「黒羊の料理」を作りたいと提案した時、新入りばかりか、手なずけておいたはずの《髭》と《眼鏡》にも反対されてしまいました。自分の意見は通らない。《臍曲がり》は面白くありません。
 ある日の事、《臍曲がり》は実演販売で前菜料理を任せていた《サブちゃん》と、レシピのことで意気投合。遂には、自ら『紫庵』から独立開業。『虹屋』を開店させます。
 この時期の『紫庵』は、僕らの街には出前・実演販売に来なかったので、魅力的な人気の料理が食べられず、みんな残念がりました。

◆ 第4章 ◆
 残された4人のコックは、海の向こうの国から若い《薬味》を入れて、『紫庵』を立て直します。
 僕らの街にも、直ぐに出前と実演販売に来てくれましたが、美味しいけど・・・みんなが望んでいた『紫庵』の味では無い。昔の味は、『虹屋』を出店した《臍曲がり》が居たからこそ出来た味なのだと、みんなが痛感しました。
 結局『新生紫庵』は、悪い遊びを覚えた《裏声》《薬味》の2人のコックに掻き回されて、一年あまりで閉店の決断が下されてしまいます。
 『紫庵』を閉店したあと、コック達は次々と独立開業。または、転々と他の店で働きしますが、みな鳴かず飛ばず。儲かりません。
 その中で、《元洋服屋》が開業した『白蛇堂』だけは、修行の成果もあり、その後に大儲けします。また、残念なことに《薬味》は悪さがたたり他界してしまいます。

~僕らの街の出前・実演販売~
 ◎1975.12

◆ 第5章 ◆
 『紫庵』閉店から8年が経ちました。
 『虹屋』の《臍曲がり》は、嫌いでも無いのに追い出した《赤鬼》との交流が復活。《赤鬼》も、《臍曲がり》の良き片腕として『虹屋』を切り盛り。そこそこの売上をあげる事に成功してました。
 そんな矢先に、『義乱亭』をやってた《酔っ払い》が金銭的に困り始め、あの頃のコック達でもう一度『紫庵』を再開店しようと誘って来ます。
 当時は喧嘩ばかりしてたコック達5人も大人になり、“よし儲けよう!金金金…”って事で、全員の意見が一致。『紫庵』が再開店する事に決定しました。
 やはり5人揃うと、獅「料理が出来るんです。勿論、出前も実演販売も、いろいろな街で大繁盛。僕らの街にもやって来ます。やっぱりこの味だ!僕らも大喜びでした。
 でも・・・みんなが心配していた通り、蜜月関係は長くは続かず、またしても《臍曲がり》と《酔っ払い》の不仲が再発です。
 更に、仕事をしない《酔っ払い》を、《髭》と《眼鏡》それに《赤鬼》もが庇いきれず、辞めさせてしまいます。

~僕らの街の出前・実演販売~
 ◎1985.5

◆ 第6章 ◆
 5人居ないと営業が出来無いので、また新しいコック探しです。結局、いい人材が見つからず、仕方なく、『虹屋』で雇用してたコック《今ズラ》を入れる事になりました。
 しかし、『紫庵』には合わないと《赤鬼》は反対するし、《眼鏡》はまるでやる気無し。どうにか完成した料理も、お客からは、最早かつての『紫庵』の味では無いとのお叱りの声も。
 僕らの街に来るのなら《酔っ払い》を戻せ。さもないとお土産も売らないし、出前も実演販売もさせ無いよと、関連業者から圧力がかかります。
 さらに《臍曲がり》には、『紫庵』以外に他でアルバイトする許可も出すから《酔っ払い》を戻そうと提案され、《臍曲がり》はしぶしぶ承諾してしまいます。
 
~僕らの街の出前・実演販売~
 ◎1991.6

◆ 第7章 ◆
 結局、一番繁盛してた時代のコックが再々度集合したのですが、人間関係が悪いままで嫌々作った料理は不評です。
 僕らの街にも出前の予約。もうすぐ出鰍ッようかって土壇場になって、《臍曲がり》が、出前も実演販売も嫌だと、逃亡してしまいます。

◆ 第8章 ◆
 出前、実演販売の注文を受け、前金も受け取ってる関係上『紫庵』は、短時間のうちに何がなんでも助っ人のコックを探し出さねばなりません。
 『紫庵』を呼んだ僕らの街の社長さんの手腕で、腕良し、性格良し、人柄良しの三拍子揃った大変素晴らしいコック《ハゲ天》が見つかりました。
 彼の活躍により、無事に出前も実演販売も大繁盛。レアな味付けだと、大評判の結果でした。
 《髭》《眼鏡》《赤鬼》《酔っ払い》の4人は、《臍曲がり》が居ないと、こんなにも料理作り、出前、実演販売が楽しいものだと実感しました。

~僕らの街の出前・実演販売~
 ◎1993.12

◆ 第9章 ◆
 その助っ人の《ハゲ天》は、実は自分でも店をやっていて、『紫庵』でコックを続けて行く事が出来ません。またまたまたまたコック探しです。
 新たに見つけたコック《Gパン》は、《ハゲ天》にも増して、性格、腕、人柄と本当に良いコックでした。
 《Gパン》は、『紫庵』に入っても良いけど一つ条件がありました。それは、出前、実演販売する時は、Gパンで良い?ってこと。他の4人は快く承諾しました。
 彼は、僕らにもたいへん評判が良く、出前、実演販売にも何度か来てもらえています。

~僕らの街の出前・実演販売~
 ◎1996.10
 ◎2000.3
 ◎2001.3

◆ 第10章 ◆
 そんなある日、『紫庵』創業時からのコック《髭》が、出前、実演販売ばかりに疲れた為、勇退することになりました。
 またもやコック探し。すると、昔《臍曲がり》の店『虹屋』で一時期働いてた《腰鰍ッ》が働きたいと申し出てきました。
 《腰鰍ッ》は、《髭》の代役を果たせるほど腕の良いコックなのですが、長続きしない悪い癖がありましたが、背に腹は代えられず雇う事にしました。
 だいぶ様変わりした『紫庵』ですが、またまた出前や実演販売に追われる日々の始まりです。
 
~僕らの街の出前・実演販売~
 ◎2004.3
 ◎2005.8
 ◎2006.5
 ◎2009.4

お噺は此処までです。

 『紫庵』は、1972~2009までの間、僕らの街に出前してもらったのが13回。実演販売、通算67回。コックが変わりながらでも、これだけの回数来てくれたのは正直びっくり(^_^)v。
 尚、67回目・2009.4の一番最後の日は、勇退した《髭》がわざわざ手伝いに来てくれて、6人で美味しい料理を作り、実演販売した事も忘れてはならない出来事だったと記しておきます。
 《髭》は、『紫庵』とのコラボはこの時がホントの最後。過去に勤めた経験のあるコック達を集めて料理を振る舞う計画もありましたが、実現することも無く、2012年7月16日に他界してしまいます。


2014.4.19/日本武道館
出前14回目、実演販売通算70回目の味付けは如何に…

明日の後編に続く…
コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする