最近考えます。
子どもたちが成人してしばらくたちました。
子どもたちはそれぞれいろんな支援者さんにお世話になっています。
ヘルパーさんを利用している娘から「フライパン使っているときスプーン(金属)を使っていていやだった。」と聞いたとき、聴覚過敏からかな?フライパンに傷がつくのがいやなのかな?などと考えながら、「小さいことですみません、フライパンの音が苦手みたいで、本当に小さいことで申し訳ないのですが…」と事業所に電話する親の私がいたりします。
「ごめんなさい」「すみません」「申し訳ありません」そんな言葉は言い慣れたけど、いつまでなのかな…と考えるときもあります。
それ以上に「いやだったこと」を言えた娘が嬉しい親でもあります。
支援者という立場になることが時々あって、でも支援者になりきれずに親の思いをお伝えしてしまう自己満足をしでかします。
そんな支援者ノーサンキューだった私なのに…自分がされていい思い出がなかったことをしでかしてしまって申し訳なく思うのです。
親が支援者になるって難しい事は前から知っていたし、親心が支援の中に紛れ込むのはいただけない。
親が「違うよ、いやだよ」って言えるように支援している関係を築いている上司に感謝しかありません。
私はやっぱり支援者に向いていないと自覚しながら母さん達のサポート出来ることないかな?と模索中なのです。
子どもたちが成人してしばらくたちました。
子どもたちはそれぞれいろんな支援者さんにお世話になっています。
ヘルパーさんを利用している娘から「フライパン使っているときスプーン(金属)を使っていていやだった。」と聞いたとき、聴覚過敏からかな?フライパンに傷がつくのがいやなのかな?などと考えながら、「小さいことですみません、フライパンの音が苦手みたいで、本当に小さいことで申し訳ないのですが…」と事業所に電話する親の私がいたりします。
「ごめんなさい」「すみません」「申し訳ありません」そんな言葉は言い慣れたけど、いつまでなのかな…と考えるときもあります。
それ以上に「いやだったこと」を言えた娘が嬉しい親でもあります。
支援者という立場になることが時々あって、でも支援者になりきれずに親の思いをお伝えしてしまう自己満足をしでかします。
そんな支援者ノーサンキューだった私なのに…自分がされていい思い出がなかったことをしでかしてしまって申し訳なく思うのです。
親が支援者になるって難しい事は前から知っていたし、親心が支援の中に紛れ込むのはいただけない。
親が「違うよ、いやだよ」って言えるように支援している関係を築いている上司に感謝しかありません。
私はやっぱり支援者に向いていないと自覚しながら母さん達のサポート出来ることないかな?と模索中なのです。