今日で28年度が終わります。
学校の呪縛からちょっとだけ外れる息子。
どんな道を歩き出すのかまだ未知数ですし、
どんな世界に向かっているのかわかりません。
彼なりの生き方をしてほしい。
そんなことを願う年度末です。
息子が18歳を前にしたころ、教育相談でお世話になった先生に
「〇〇君は納税者になってもらわなきゃ」
と言われて、なんだか心が重くなりました。
「納税者」になってほしいと願うのだったら、小さい時からもう少し手をかけてもらってもいいのでは?と
そんな気持ちでした。
せめて支援学校のお子さんの半分でもいいからと…
その気持ちは、今も変わりません。
知的に遅れもなく身体の障害もない息子は、養護学校の選択肢がない中で、
普通の小中学校では、「善意」の関わりの中で綱渡りで過ごしてきました。
ちょっとした支援をお願いしてもなかなかかなわず、「普通にしなさい」と強制され続けた日々でもありました。
診断書を出すことで少しは変化することがあったけれど…
その上の学校では、「自分自身で配慮申請をすること」が求められて、少しづつ本人からの願いを聞いて頂きました。
きちんと配慮があれば、働くことは不可能ではないと思います。
特性ゆえに、少しずつ学ぶこともあるけれと、ずーっと苦手なものは苦手です。
配慮を受けることが誰かの「善意」だけに頼って綱渡りをする状態になるのではなく、
生きる権利として「配慮」をと願うのは甘えでしょうか?
ちょっと真面目に書いてしまいましたが、新入園、新入学の季節です。
不安と期待に胸を躍らせているのは、発達障害を持つお子さんやお母さんも同じです。
必要な時に必要な配慮を受けながら、本人なりの楽しみを大切に笑顔で始まる新生活でありますように。
学校の呪縛からちょっとだけ外れる息子。
どんな道を歩き出すのかまだ未知数ですし、
どんな世界に向かっているのかわかりません。
彼なりの生き方をしてほしい。
そんなことを願う年度末です。
息子が18歳を前にしたころ、教育相談でお世話になった先生に
「〇〇君は納税者になってもらわなきゃ」
と言われて、なんだか心が重くなりました。
「納税者」になってほしいと願うのだったら、小さい時からもう少し手をかけてもらってもいいのでは?と
そんな気持ちでした。
せめて支援学校のお子さんの半分でもいいからと…
その気持ちは、今も変わりません。
知的に遅れもなく身体の障害もない息子は、養護学校の選択肢がない中で、
普通の小中学校では、「善意」の関わりの中で綱渡りで過ごしてきました。
ちょっとした支援をお願いしてもなかなかかなわず、「普通にしなさい」と強制され続けた日々でもありました。
診断書を出すことで少しは変化することがあったけれど…
その上の学校では、「自分自身で配慮申請をすること」が求められて、少しづつ本人からの願いを聞いて頂きました。
きちんと配慮があれば、働くことは不可能ではないと思います。
特性ゆえに、少しずつ学ぶこともあるけれと、ずーっと苦手なものは苦手です。
配慮を受けることが誰かの「善意」だけに頼って綱渡りをする状態になるのではなく、
生きる権利として「配慮」をと願うのは甘えでしょうか?
ちょっと真面目に書いてしまいましたが、新入園、新入学の季節です。
不安と期待に胸を躍らせているのは、発達障害を持つお子さんやお母さんも同じです。
必要な時に必要な配慮を受けながら、本人なりの楽しみを大切に笑顔で始まる新生活でありますように。