実習の最終日は認知症の方たちのショートステイだった。
Sさんは椅子に腰を下ろしてはすぐに立ち上がるという
動作を繰り返し、絶え間なく何事かを泣きながら呟いていた。
朝礼の間も申し送りの間も、その声とも云えない声が
耳に付きずっと気になっていた。
Sさんは 「痛い 痛い」 と一日中繰り返している人だった。
傾聴も実習のひとつだよねと自分に言い聞かせて
作業の合間をみては、Sさんの隣に座り込み声をかけ続けた。
届いている実感の無さに、ひたすら背中を摩ってもみた。
痛みを訴え続ける声と細い糸のような涙を一瞬でも止めたくて。
実習も残り時間15分を切ったそのとき
「痛いのは辛いですよね。私も膝を痛めたからよく解ります」
と声かけをする私の背に暖かいものが触れた。
と、前に座っていた利用者さんが
「あれえ。この人泣きながら笑ってるよお」と叫んだ。
Sさんは固まって殆ど動かない筈の手で、懸命に
私の背中を撫でてくれていた。
不自然に体を傾げて、涙を頬に張り付けたまま
本当に笑って頷きながら私を見ていた。
確かに「大丈夫?痛いの治った?」とその眼は
云ってくれていた。
実習が終わって少しだけ主任さんと話をした。
「あなたが羨ましかったです。
Sさんの笑顔は私もみたい。利用者さんとゆっくり話したい。
偶に話をしていても、頭のどこかに、あれをしなくちゃ
これもしなくちゃ・・という思いがついつい過ぎってしまう。
矛盾しているようだけど、利用者さんと話しをしてくれる
実習生にはもの凄く感謝もしています。」
わずか4日間の実習で、介護の現場の問題点を
あれこれ指摘するつもりは毛頭無い。
ただ本当に人が足りない。
人が足りないということは
利用者さんの心が置き去りになるということ。
スタッフは排泄、入浴、食事の介護で手一杯だもの。
皆さん笑顔で元気よく、頑張っているけれど
だからといって神様は余計に時間をくれる訳じゃない。
この4日間、認知症の人、そうでない人、様々な利用者さんと
お話をさせてもらって確信出来たことのひとつ。
「話相手」は娘、息子の世代がベスト。孫世代は無理かも。
偶の刺激や緊張感を持つには良いけれど、日常的にはね。
一体感や同調、そしてなによりゆっくりな時間を持つ人。
Sさんの心に他者へのいたわりが蘇ったのは
多分、私の持つ「時間」だったと思う。
まあ、雑念なくSさんに気持ちを集中出来たことも多少は
あるかもしれないが。
ともあれ実習は終わった。
考えなければならない課題が幾つか残った。
今朝、大宮の盆栽町のお気に入りの大樹と話をしていると、
「あら、あなたもこの樹がお好きなの?」と声が。
「私もね、いつもこの大樹から元気を頂いてるの。
凛としたこの姿に思わず身震いして、私も
しっかりしなくては、と気持ちを引き締めるのよ」
と89歳の婦人はそれこそ凛とした笑みで私を励ました。
ともすれば≪人間の尊厳の在り方≫なんぞを問いたくなる
介護の現場を垣間見たばかりの私には、目映いばかりの
「大樹の精」に見えた。
そして、こういう歳の重ねが出来るなら
もう少し生きても良いかな・・と思った。
ああ。他力本願。