愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

梅森城 日進市

2021年01月11日 18時06分36秒 | 日進市
みなさん、あけましておめでとうございます。
昨年は、コロナによって、お城めぐりのやる気を損なわれましたが、今年は「with コロナ」で、感染防止に気を付けて頑張りたいと思います。

2021年、最初の城は石碑だけが立つ梅森城です。梅森城は、北と東と二つあったそうです。
梅森北城
北城は、眺景寺の辺りにあったそうです。なんと岡崎上宮寺佐々木の松平三蔵によって築城されたそうです。

梅森北城があったとされる眺景寺

石碑の裏にそのことが記載されていました。

眺景寺の石碑

石碑の裏の碑文

由緒
此ノ城址ハ天文癸巳2年(西暦1533年)三河国碧海郡佐々木ノ城主松平三蔵ハ此ノ地ニ城ヲ築キ居城トシタコノ城ハ梅森北城ト称サレ東西24間南北32間ト古記録に記サレテヰル(梅森ニ伝ワル邑事細見禄及ビ尾張志等ニヨル)松平三蔵ハ深ク眞宗を信仰シ天文戊戌7年(西暦1538年)3月三蔵ハ菩提寺ナリシ天台宗ニ属スル桃延坊ヲ此ノ地ニ移シ宗ヲ眞宗ニ改メ號を眺景寺トシ次子高照ヲ剃髪セシメ名ヲ道西ト改メ本寺ノ住職トシタ(眺景寺誌ニヨル)
昭和57年2月吉日


どうして岡崎から、この梅森にやってきたのか、不思議です。この松平は、織田方についていたそうですが、三河から尾張にまできています。松平広忠暗殺や三河一向一揆に関係しているようですが、詳しくは分からないので、後日調べて掲載します。
いずれにしても、この頃は三河、尾張の区別があまりなく、けっこう行き来があったようです。

東城
梅森城のもう一つの城は東城です。この東城の場所については、諸説あって、国立東名古屋病院と宝珠寺の2説があるそうです。ネットで、宝珠寺の方が北城の東にあたることと川に囲まれていることから、こっちではないかという意見がありましたが、確かにそのように思えました。

東城の跡と思われる宝珠寺

戦国時代の愛知県は、尾張、三河の区別があまりなく、駿河が本拠の今川氏が尾張の沓掛城や大高城、鳴海城を奪取したり、尾張の織田信秀が安城城を攻め落としたりと、結構入り組んでいたことが分かりました。

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