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愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

松平郷(1) 豊田市

2014年08月07日 06時04分36秒 | 豊田市
 7月14日(月)、松平郷を訪れました。


松平郷とは
 松平郷は、徳川家康の先祖松平氏の活躍していた地域です。
史跡としては、
 高月院(松平氏の菩提寺)
 松平氏館跡
 松平城址
 大給(おぎゅう)城址
の4つがあります。

 今回は、大給城を除く3つを見学をしました。

上の案内板の地図の部分を拡大しました。

 駐車場につくと大きな看板が目に付きました。松平郷の全体の案内図と思いきや、「桜の馬場」という史跡の案内図でした。しかし、現在は駐車場となっていました。案内板に松平氏の簡単な系譜が掲載されていました。

松平氏に二つの系統
 これによると、松平氏は、後に徳川家康を生む宗家の系譜と松平郷に残ったもう一つの系譜とに分かれていることが分かりました。もう一つの系譜は、松平太郎左衛門家というそうです。

松平家の2系統、赤は松平地域に残った松平太郎左衛門家、青は西三河に勢力を広げた松平宗家です。

松平東照宮(松平氏館跡)
 さて、すぐ上には松平東照宮がありました。元は松平家の館らしいです。

松平東照宮、写真の左と手前に堀があり、錦鯉が泳いでいました。

資料館
 この東照宮の横に松平郷の資料館がありました。資料館には大変よいものが並んでいました。
有名な松平親氏坐像です。

僧の服装をしているのは、親氏が松平郷に入るまでは時宗の僧徳阿弥として諸国を流浪していたからだそうです。

二つの具足
 次に目を引いたのは二つの具足です。

 二つの甲冑は、胸のところに同じマークがあります。両方とも「足軽」の具足だそうです。よく見ると色が異なっています。左が金色で、右が朱色です。頭につける兜も違っています。左のほうが立派です。右はただの笠のように見えます。解説には左が指揮官のもので、右が一般の足軽のものだそうです。


 鉄砲も置いてありました。案内では「火縄銃」となっていました。鉄砲と火縄銃、どこが違うのかちょっと分かりません。言い方がちがうだけなのでしょうか。どちらにしても、こんな田舎でも(失礼)鉄砲が武器として利用されていたことに驚きました。

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