愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

増山城(2) 富山県砺波市

2019年12月07日 11時13分05秒 | 富山県
ちょっと登ると大手口というのがありましたが、何の痕跡もなく案内表示板だけありました。


大手口の案内表示

説明の下の方に落語家がいます。春風亭昇太です。かれは、テレビなどでも山城紹介の番組に出て、山城普及に一役買っています。山中城(静岡県)や小谷城(滋賀県)の紹介番組を見たことがあります。

さらに登ると、見えました、堀切です。

増山城堀切

向かって左側の堀切です。右側にも見え、登城道以外のところからは侵入させないという守りでした。だいたいは山の尾根にあるのですが、こういうところにある堀切は初めて見ました。すごい迫力でした。

さらに登っていくと「F郭」が見えました。

F郭

F郭とは後世に付けた名称で戦国時代にアルファベットを用いたわけではありません。城郭研究者が名付けたそうですが、アルファベットは初めてです。せめて「いろは」ぐらいで付けていただけると雰囲気が壊れなかったかもしれません。でも、姫路城に「いの門」とかあるので、当時からの名称と間違えるかもしれないと思い、わざとアルファベットにしたのかも知れません。考えさせられる曲輪の名前でした。

このF郭から下を見下ろすと、登城道が真正面に見えました。ここを登ってきた敵兵はひとたまりもありません。すごい曲輪です。

F郭から見下ろす
このF郭のすぐ隣は「馬の背ゴ」です。


「馬の背ゴ」へ

「馬の背ゴ」はF郭の防御、さらに西側からの登城道「七曲」を守るための曲輪と思われます。また、その名称に疑問がわきました。「馬の背ゴ」とは、どういう意味か。馬の背までは何とか理解できます。「ゴ」はなんでしょうか。「馬の背曲輪」だと少し意味が分かります。分かる人、教えてください。


「馬の背ゴ」の土塁 たいへん立派な土塁がありました。

増山城 つづく


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