愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

岡崎城 岡崎市

2013年09月28日 06時23分01秒 | 岡崎市

岡崎城の看板

 9月1日に、岡崎城を訪れました。この記事の画像は、そのときのものです。三河一向一揆の時には、岡崎城は家康の居城です。ここから一揆勢にむけて軍を発進していたようです。
家康と岡崎城
 家康は、広忠の子どもとしてこの岡崎城で生まれています。しかし、今川氏、織田氏の両雄の間で人質生活を余儀なくされ、少年時代は他国で生活していました。永禄3年(1560)年に桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に敗れると、家康は岡崎城を今川氏から取り戻し、ようやく岡崎城に居城することになりました。以後10年間、元亀元年(1570年)に遠江浜松城に拠点を移すまでこの岡崎で三河統一の戦いを進めました。三河一向一揆はそのときに生じたものです。そして浜松城に拠点を移したときには、状況も変わり甲斐武田氏との抗争が大きな問題になっていました。
大手門
入り口を入ると右手に大手門がありました。大手門は、お城の正門に当たります。

岡崎城 大手門

 この形、どこかで見たような気がしました。西尾城の鍮石(ちゅうじゃく)門(写真右)に似ていると思いました。鍮石(ちゅうじゃく)門には、石垣がないことがちがっていました。その他はそっくりです。

西尾城 鍮石(ちゅうじゃく)門

パフォーマンス
 9月1日は、日曜日でした。家康館の前で、パフォーマンスをやってました。パフォーマンスを見たのは、これで3つ目です。清洲城、名古屋城、そして岡崎城です。西尾城や小牧城、吉田城(豊橋市)などにも櫓や天守が残っていて、それなりの規模なのですが、パフォーマンスはありませんでした。それぞれの市のお城に対する思い入れが異なるようです。


深い掘り
 天守閣に向かう途中にお堀がありました。天守閣の北の方角です。かなり深い堀でした。空掘りでした。


天守閣
 公園の南西側に天守閣がありました。

手前は、龍城神社の建物です。
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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
中世と近世の顔をもつお城 (城歩きマン)
2013-09-28 21:33:43
岡崎城は、家康までの中世の顔と、その後の田中氏の近世の顔とが共存しているとか・・・・。

徳川氏の三河での拠点の一つであった岡崎城、復元されたのは古いそうですね。

紅葉シーズンには、一度、香蘭渓のモミジと足助城を見に行きたいですね。
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岡崎城の展示 (midorishako)
2013-09-29 05:48:38
城歩きマンさん
コメントありがとうございます。

天守閣の中は、資料館としていろんな展示がありましたが、やはり家康の城としての岡崎城に関するものが多かったです。田中氏のことはあまり触れられていなかったように思います。(というか、思い出せない)

そこに動画があって、三河一向一揆のことが放映されていました。そのはじめの背景に「蓮如上人絵伝」が使われていました。今度安城市で三河一向一揆の展示があります。そのときに見れたらいいなあと思っています。
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シーズン中は大変 (midorishako)
2013-09-30 18:53:10
城歩きマンさんへ
香嵐渓についてですが、シーズン中に行くのは大変です。
香嵐渓に行く道が一本しかなくて、大変込み合います。
何時間も待ってやっとつくというひどい渋滞にあうそうです。
香嵐渓は、11月中下旬が見ごろですが、時期が限られていて、それも渋滞の一つの要因です。
足助城(真弓山城)は、年中見れます。(300円入城料あり)
真弓山城を見るならば、ぜひシーズンをはずしてお越しいただくことをお勧めします。
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