さて、げんこつハンバーグを堪能して時間を見ると、まだお昼前です。そこで、みんなで相談して、予定を少し変更することにしました。というのも城好きな人が多い団体だったので、「もう少し回ろうよ」ということになり、高天神城と横須賀城を見ることになりました。

高天神城案内板(北口から)
高天神城へは北口(搦手)から入ることになりました。いきなり行くことになったので、十分下調べがないままの見学です。
切岸と思われる山の斜面
搦手から登っていきますと、途中の山がかなり切り立った感じがあり、これは切岸ではないかと感じました。

三日月井戸
道の途中に「三日月井戸」と呼ばれる「泉」がありました。なんと、そこには金魚が泳いでいました。ただの水たまりなら、そうそうに金魚は死んでいると思われますので、この水たまりは、水が湧いているのだろうと思いました。
急な坂をずんずん上っていきますと10分ぐらいで本丸にたどり着きました。本丸の虎口は、食い違いになっていました。
食い違い虎口
本丸は、土塁で囲まれていました。いまは30cmほどの高さしかありませんが、昔は、もっと高かったのだろうと思いました。

本丸を囲う土塁
ここから木の間を縫って眺望が開けていました。海のほうまで見えていました。

本丸からの眺望
本丸の奥に御前曲輪というのがあり、そこに観光施設がありました。

御前曲輪の観光施設
後ろの「石垣」にこんな案内がありました。
「昭和9年に地元出身の軍医少将が、故郷を偲び2層の模擬天守を建てられました。残念なことに昭和20年落雷によって焼失。(一説には陸軍が駐屯していたので目につきやすいことから自ら爆破させたとも)・・・・?」
最後の陸軍爆破説に信憑性がありました。もし全くのデマであれば、わざわざ書かないと思ったからです。これも高天神城の歴史の一コマだなあと思いました。

高天神城案内板(北口から)
高天神城へは北口(搦手)から入ることになりました。いきなり行くことになったので、十分下調べがないままの見学です。

切岸と思われる山の斜面
搦手から登っていきますと、途中の山がかなり切り立った感じがあり、これは切岸ではないかと感じました。

三日月井戸
道の途中に「三日月井戸」と呼ばれる「泉」がありました。なんと、そこには金魚が泳いでいました。ただの水たまりなら、そうそうに金魚は死んでいると思われますので、この水たまりは、水が湧いているのだろうと思いました。
急な坂をずんずん上っていきますと10分ぐらいで本丸にたどり着きました。本丸の虎口は、食い違いになっていました。

食い違い虎口
本丸は、土塁で囲まれていました。いまは30cmほどの高さしかありませんが、昔は、もっと高かったのだろうと思いました。

本丸を囲う土塁
ここから木の間を縫って眺望が開けていました。海のほうまで見えていました。

本丸からの眺望
本丸の奥に御前曲輪というのがあり、そこに観光施設がありました。

御前曲輪の観光施設
後ろの「石垣」にこんな案内がありました。
「昭和9年に地元出身の軍医少将が、故郷を偲び2層の模擬天守を建てられました。残念なことに昭和20年落雷によって焼失。(一説には陸軍が駐屯していたので目につきやすいことから自ら爆破させたとも)・・・・?」
最後の陸軍爆破説に信憑性がありました。もし全くのデマであれば、わざわざ書かないと思ったからです。これも高天神城の歴史の一コマだなあと思いました。