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愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

城の会学習会(愛知の城郭)

2016年08月22日 12時56分55秒 | 日記
8月21日、敦賀市で若越城の会主催の学習会が行われました。会場は敦賀市博物館です。

敦賀市博物館

敦賀市博物館は、大和田兄弟の祖先大和田荘七が設立した銀行
この建物は元々は銀行だったようです。昭和2年に大和田銀行として竣工しました。現在は県指定の文化財ですが、近く国指定の文化財になるそうです。大和田といえば、大和田伸也、大和田獏の兄弟を想起しますが、この銀行の設立者大和田荘七氏の子孫にあたるそうです。

講師は高田徹氏
さて、学習会は、城の会が今秋に予定している2泊3日の県外研修旅行の目的地である愛知県の城郭について学習することをねらいとしています。
講師は、城郭研究家の高田徹氏です。
私が愛読している「愛知の山城ベスト50」でも多くの山城を紹介されている方なので、楽しみでした。
そして、愛知県在住の私にとっては、大変興味深く聞くことができました。


講師 高田徹氏

いくつか印象深かった話を紹介します。

三河の長興寺になぜ尾張の織田信長の肖像画があるか
実はこの肖像画について、長興寺に学習をしに行ったことがあったのです。しかし、もう30年位前だったので、なぜ長興寺にあるのか覚えていなかったのです。それで、席で苦笑いをしていたら「そこで笑っている方どうですか」と当てられてしまい、一層苦笑いをせざるを得ませんでした。

答えは、織田と徳川の境界が尾張と三河とはっきり分かれていなかったということでした。特に、現在の豊田市の高橋郡は三河でありながら織田氏の領地だったのです。それで高橋郡の長興寺に信長の肖像画が残っているということでした。

信長肖像画(長興寺)(ウィキペディアより)

小牧山城の「佐久間石」
もう一つ、小牧山城の「佐久間石」の話です。
このブログでも取り上げました。

佐久間石を紹介する小牧山城のパンフレット

小牧山城の石垣の中から「佐久間」と記名された石垣が見つかり、信長築城に関わった佐久間信盛による記名に違いない、とのことで知られています。

しかし、高田氏によれば、小牧山城から信長当時の遺物がほとんど出ていないこと、さらに、この石が崩れた多くの石の中の一つとして発見され、信長が築いた石垣の形の中からのものではないことなどから、慶長15年の名古屋城建設の折に小牧山から石垣用の石を切り出した時のものではないかと推測しました。実際名古屋城普請の関係者に佐久間の名があるということでした。

大変興味深い話でした。