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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

平衡感覚

2006年03月20日 | 日々の泡
このところの私は、やはり偏った見方をしていたように思います。Aという価値とBという価値を天秤にかけていたようです。現実というものは見ようによって、いかようにも見えるものなのに、ある側面からだけ見ていたということになると思います。従って、私がその時に感じた感情は、私が見ていたサイドからだけ湧き起こって来るものでした。違う角度から眺めれば、おのずと違った見方や現実が立ち上がってきます。

物事を一生懸命考えている時には、なかなかニュートラルなものの見方が出来ないものです。しかも、自分が考えることですから、自分にとっては間違いのない最善の考えだと思ってしまいがちです。私は片側からの一方的な考えに突き進んでいました。そこにはやはり固定観念というものがへばりついていたのだと思います。ふと立ち止まって、自分を振り返ることができたのは、今回もBlissさんがきっかけでした。私は真面目に物を考えすぎます。もっともっとイージーでファジーになった方がいいのだと改めて思いました。

Blissさんとお話しをする機会がありました。私は、最近の私の近況と新しい価値の世界でうまく生きられる兆しが見えれば、すぐにでも、今の仕事をやめたいという話しをしました。彼は、私の言うことに対して、馬鹿げたことだといったような非難や批判は一切口にしませんでした。今の仕事と新しい価値との両方を両立させればいいのではないかということに軽く触れただけです。その時、私が感じ取ったものは彼の言葉として表出されたものと同時に、彼の表情の裏に隠されたなにものかでした。その時からです。私が非常に一面的な思考パターンに陥っているということに気づいたのは…。私は襟を正さなければ…という気持ちになったのです。

Blissさんは、私の行動に水をさすことも発破をかけることもしません。そういう意味では、彼の態度は常にニュートラルです。リトマス試験紙のようでもあります。私は、Blissさんと話をすることでいつも、再度、現在の自分の居場所を確認できるのです。ずれてしまっていないか?ぶれてしまっていないか?

確かに、私は少し暴走していました。そして、そのことに気づいたことで、少し中庸に戻れたような気がしています。やはりどこかでかっこよさを求めていたのかもしれません。どちらかに傾いた方が潔いと思っていたのです。かっこいい生き方は危険です。少々不恰好なくらいがちょうどいいようです。あれもこれも引きずっていってもいいのだと思うようになっています。