
日常生活の中で、私の場合は、これといった強制的な仕事を常に抱えているというわけではないのですが、仕事面でも、私生活の面でも、細々とした案件や用事を2つ~3つは同時併行でこなしていることが多いので、あれやこれやを(あれもこれもを)いちどきにやっていることが多いのです。一つのことに集中して疲れた頃には、次のことをやってみたりすると、意外に気分転換が図れて、両方の仕事がスムーズに進んだりします。けれども、限られた時間の中で欲張ってしまうものですから、どうしてもミスや間違いからも免れられません。
今回も、気持ちはせかせかと幾分落ち着きがない中で、見たいテレビの番組が始まる前の5分間に、件のTBを削除しようとパソコンを立ち上げました。こんなことをしている時は、気持ちがスプリットされていますから‘心ここにあらず’の状態になっているようです。TBを削除しようとしていながら、実は本文を削除する操作をしている時も、頭のどこかでは、「今、自分はやってはいけないことをしようとしている」と半分は分かっていました。それでもせっかちな私は一呼吸置くこともなく(要らないものはどんどん削除してしまうという悪い癖があるのです。)あっという間に削除OKのボタンを押してしまっていました。大好きなぷーさんの画像と共に、「自尊心の回復と成長」という記事は宇宙の塵となって、宇宙の彼方へ飛んでいってしまったのです。
私は自分の身の回りのモノに対する愛着が非常に強く、たとえ、100ショップで購入したものであっても、気にいって使用しているものを失くしたり、どこかに忘れたりすると、それだけでひどくがっかりして、しばらくは意気消沈してしまいます。あとから、自分の迂闊さをどんなに悔やんでももう取り返しがつきません。驚いたことには、ブログの記事も例外ではありませんでした。この法則はブログの記事にも当てはまっていたのです。一度書いた記事を読み直すということは全くといっていいほどないことなのですが、それなのに、自分の不注意で、失わなくて済んだものを、一瞬にして永遠に失ってしまったという事実に愕然としてしまいました。記事を書いた時の自分の大事な思いをも失ってしまったような気がしたからです。
フロイトは失策行為にも重大な意味があると言っています。それはそれとして…よりによって何故、このタイトルの記事にTBを貼る人がいたのでしょう?また、私は何故、この時に、この操作は久し振りのこととはいえ、こんな単純な操作ミスを犯したのでしょう?こんなことをいつまでもうじうじ考えて、心を痛めることはナンセンスですが、失ったものは失ったものとして諦めるとしても、現在、私の身の回りにある大切なモノや大事な人を自分の誤った意識の持ち方や‘ながら作業中’の誤操作でもうこれ以上失ったりしてしまわないようにとキツク肝に銘じた次第です。すでに失ってしまった記事のことや自分の迂闊な行動のことは一日も早く忘れてしまうことにしす。…そうこうしている隙に、またボールペンが1本なくなっています???