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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

ガチョウと黄金の卵

2006年03月31日 | 日々の泡
イソップ物語の中の寓話の教訓のお話です。ある貧しい農夫が、飼っていたガチョウの巣の中に、ある日、キラキラと輝く黄金の卵を見つけます。毎日毎日、ガチョウは純金の卵を産み続けてくれたために、やがて農夫は大金持ちになりますが、富が増すにつれて、欲も出て、せっかちになっていったため、一日一個しか生まれない黄金の卵が待ちきれずにガチョウを殺し、ガチョウのお腹の中の卵を一気に手に入れようと決心しますが、いざガチョウの腹を開けてみるとお腹の中は空っぽだったという事実に愕然とします。黄金の卵を生み出してくれるガチョウをとうとう殺してしまったからには、黄金の卵を手に入れる手段をも永遠に失ってしまったということになります。

目標を達成すること・または結果を手に入れることが【黄金の卵】ならば、その結果を手に入れるための資源あるいは目標を達成するための能力は【ガチョウ】ということになります。ガチョウを疎かにし、黄金の卵ばかりを追い求める生活様式を取り入れていれば、やがては黄金の卵を生み出してくれる資源をなくしてしまうことにもなりかねませんが、ガチョウの世話ばかりをしていて黄金の卵が生み出す価値のことに全く気づかなければ、自分自身とガチョウを潤す資源を失ってしまうということにもなります。【黄金の卵】と【ガチョウ】の両者の二つの側面のバランスを有効に保ててこそ、問題は最大の効果を発揮して解決されていくそうです。

【黄金の卵】という結果ばかりを求める行動に走ると、【ガチョウ】というかけがえのない存在を失いかねません。この比喩は人間関係にも当てはまります。あらゆる人間関係において、お互いの関係を維持することよりも、相手にして欲しいこと【黄金の卵】ばかりを要求していると、感受性や思いやりがなくなり、深い人間関係を保つための不可欠な要素(愛する気持ちや優しさ・思いやりに満ちた自然な雰囲気など)が失われていきます。日に日に【ガチョウ】の容態が悪化していくということになるわけです。

【ガチョウ】の気持ちや現在の状況への配慮なしに、「会いたい」一心で、【黄金の卵】を追い求めても、それでは、たとえ、【黄金の卵】が手に入っても、何故かあまり嬉しくないし、楽しくない…というようなことにもなりかねません。【ガチョウ】への真のコミットなしに、【黄金の卵】を欲しても、それは土台無理な要求に過ぎない…ということになるからなのでしょうか?何だかちょっと変な比喩ですかね…トホホ