
一時は、私のライフワークとまで思い、肩入れしてきた精神療法でしたが、これも職場異動により、このこととはまったく関係のない職務で日々を過ごすうちに、(最初は身を切られるほどの辛い感情に襲われたものですが)それが私の人生の成り行きなのだとするのならば、その流れに流されていくのが一番自然なのかもしれないと思うようにもなったのです。そうこうするうちに、師と崇めてきた人々も一人の人間としか映らないようになり、何も、その道の権威からだけ教えを請うことだけが勉強ではないと思えるようにもなってきました。そうしたら、いつの間にか、精神療法の世界は、私にとっては、もはやかつてのような‘リアル’なものでもなくなってしまったのです。
こうした気持ちになるまでの過程には、【気功】や【カイロ】との出会いがありました。関わりの真っ最中では、偉大な力をもたらしてくれたこれらのものも、今振り返ると、どこかへ向かうための一里塚としての役目を果たしてくれるものにしか過ぎなかった(ごめんなさい…m(__)m)ことが分かってきます。何故なら、私にとってはもう過去のものだからです。どう考えても過去の風景になってしまっているからです。
では、今の私の健康を支えてくれているアロマが興味と関心の中心なのかというと、そのことにも首を傾げざるをえません。確かに、他の何ものもがなしえなかったことをアロマがなしえているという事実には感服するばかりです。私の身体の奥深く、細胞レベルにまで深く浸透して、有形無形の(心身の健康という)恩恵をもたらしてくれているという意味では絶大なる貢献者であるわけです。それに自然界の、しかも物言わぬ植物の持つエネルギーがこんなにもパワーを持つものだということすら、今までは全く知らずに生きてきたわけですので、そのことにも敬服さざるを得ません。改めて、自然に対して敬虔な畏れの気持ちを強く抱くことも出来るようにもなっています。それなのに、それでも、私が見ようとしているものは(まだ漠然としていて、その正体の輪郭さえ掴めないのですが)このアロマを通して、その向こうに隠れているもののようなのです。
視点は移り変わったとも言えますが、次々に変化しているように見えても、実は、これらの数々の視点は、すべて私の中に取り込まれているのかもしれません。それらに対する興味は色褪せたのではなく、(一つ一つの世界にどっぷりとのめり込んできたからこそ)それらをも含んだ体験があったからこそ、やっとここに辿り着けているということなのかもしれません。一つ一つは自ら探し求めたものではありませんでした。導かれるように、私はただその世界の前に連れて行かれ、素直にその世界の中に入っていっただけでした。
今の私に言えること…それは、このアロマを通して、その背後に見える、人間関係や自分の新しい分野への構えがどんなものになっていくのかということを実体験で見極めることだと思っています。
