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フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

こんな体験初めて!!!落ち着け、落ち着け

2021-02-21 00:20:43 | 2019年春の旅行(シャンパーニュ・ロワール)

しばらくすると、「この町の修理の人があいにく日曜なので来られない。一番早く来てくれる修理のところへ連絡した。一時間くらいでこれるだろう。」

 

そしてその間何度も「大丈夫です。みんな」とガイドが答える。

 

始めは皆立っていたが、時間がかかりそうだとわかったので、やがて全員エレベーターの中に座り込んだ。

 

「これはいけない!」と思った私は、最初は緊張をほぐすため、折り紙を折って、みんなの気持ちを故障からそらそうとした。

 

音声が「もう少しお待ちください。修理の人が来ます」

ベンは「パリからか?」とジョークを言って苦笑いだった。

 

しかし時間が長くなってくると、かなり暗いし、隣のエレベーターの人たちはガラス越しに私たちをのぞき込んで、それからぞろぞろ降りていく。何だかうらやましいが「見世物」状態で、余計不安が募ってくる。

 

しかし、こういうとき、慌ててはいけない。

 

「必要なものはありますか」と音声。

ベンも不安になってきたのだろう。「のどが渇いている」と答えていた。

そこで、鞄を探すとガムが数枚あった。それを皆で分けた。

 

そして、1時間かもう少し経ったころ、修理の人がやってきた。

私はまだ「フランスにしては早かったじゃないか」と思うくらいだったので、他の人たちより少しは余裕はあったと思う。

こういう時はどうしようもないのだ。信じて待つよりは。

また、エレベーターがたぶん20人乗りくらいの少し大きめのエレベーターだったこともあって、比較的冷静に待てたかもしれない。

 

やがてエレベーターは再びゆっくり、しかし時々ガタガタしながら最上部まで上がった。つまり最初に乗ったところだ。

でもそれからももたもたして、すぐには開かなかった。

さらに15分くらいはかかったとおもう。

最後には、「エイヤー」のような感じで力任せにこじ開けたらしく、やっと開いた。

しかもまだ50㎝くらい段差があって、手を引っ張てもらわないと出られないくらいだった。

 

ドアが開いて真っ先に飛び出したのは、なんと!!!「ガイド」の女性だった。

予想通り?だったので、クスッとなりそうだった。

 

ペットボトルを手にした責任者が待ってくれていた。

この人はガイドが真っ先に飛び出たことを何と思っただろう?と思ったのは、私だけだったかもしれない。

 

どこかの国のクルーズ船がいつだったか遭難したとき、真っ先にとび出たのは船長だったという話を思い出した。

 

それにしても乗るときによくトイレに行っておいたものだ。おかげでそのことは大丈夫だった。やれやれ。

 

 

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大阪で暮らした若いフランス人女性に会った・・・そこまでは良かった。

2021-02-20 13:45:30 | 2019年春の旅行(シャンパーニュ・ロワール)

午前中の予定は、シャンパンカーブ巡り。

その前に ベンはドンペリニヨンが眠るお墓ある村 オーヴィレへ寄ってくれた。

値段も最高峰のシャンパン、ドンペリニヨンだ。名前だけは知っている。

「ドン・ペリニヨン通り」の印まで可愛い。↓

左にドン・ペリニヨン↓

この村、お墓も貴重な機会だったが、こういう小さな村が好きな私は歩いているだけで幸せになる。

区役所もこんなにかわいい。

これは修道士の宿だった印だろう。

 

この「朝のお祈り」に書かれているのは

私に与えてください。長い健康を

そんなに頻繁でない仕事を

時々愛を

しかし シャンパンはいつも

いかにも、シャンパーニュらしい。

 

そんな散策を楽しんだ後は、シャンパンカーブの「Mercier」へ。

彼の友人が勤めているので、フリーパスだった。

 

私が日本人だというので、日本語の話せる若い女性が受付をしてくれた。聞くと彼女は日本でまず日本語学校へ入学し、卒業すると大阪市立大学へ入学し勉強したとのことで、関西人の私としてもとても嬉しかった。

今日私たちを案内してくれるのは彼女ではない。

ベンの友人が、「今日のガイドは新米で、申し訳ないけど」と言ったが、そんなことは気にもならない。

 

そして、それから2010年にも乗ったエレベーターに乗ってカーブをめぐることになった。

 

そこで、とんでもないアクシデントが待っていた。

若いガイドの女性(いかにもこの町の女の子と言った感じ)とスペインから来たというカップル、そして私。エレベーターは二基あった。

私の乗ったエレベーターは途中で少し「ガツン」とどこかにぶつかったようなショックがあった。ほとんど一番下まで下がった後、出ようとしたら、なんと!!!ドアが開かないのだ。

 

何度かガイドさんが試みたが開かない。そして緊急連絡用のインターホンでSOSだ。「開かないんです!」「待っていて!すぐいく!」という声が聞こえてくる。

誰かが来た。そして外から開けようとしてくれたが、どんなにしても開かないようだ。

 

15分くらいたった。

最初は、まだみんな余裕だった。

「大丈夫です。皆落ち着いています」と言っているガイドだったが、実はこの女性がすでに一番パニックになっていた。

 

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シャンパーニュ地方はフランスの本当の豊かさを感じるところ

2021-02-19 12:19:00 | 2019年春の旅行(シャンパーニュ・ロワール)

その次は、少し郊外だろうか。

日本でも見たことがあるメーカーだ。

そして、また車を走らせた。

シャンパンカーブだらけなので、写真を撮るのが追い付かないくらい日本でも有名なカーブでいっぱいだった。

 

「ヴーヴクリコ」などもあって、「日本では人気だね」と言われたが、まだ知られていないところのシャンパンも美味しいに違いない。そんな発見ができればシャンパン好きにはたまらないだろう。


またテイスティングの店に来た。

5種類くらいテイスティングさせてもらった。

お店に人に聞くと、日本人もたまに来ると言っていた。

このフランボワーズのジュース、とても美味しかった!!↓

 

途中葡萄畑に降りてみた。

収穫時期には金色に輝くのだろう。

そんな時期にいつか訪れてみたいものだ。

こんな枯れ枝のように見えるのが、葡萄の木で、おいしいシャンパンになるとは、ちょっと想像できない感じ。

ボルドー、ブルゴーニュ、そしてシャンパーニュ、フランスは本当に豊かだ。

 

今日は子供たちは、パリにいる従弟の家で誕生日のパーティーがあるので、TベンのおばさんとTGVで行くと言って朝早くから出かけ、夜も遅くなるようで、大人だけの夕食になった。



今夜のメインは、アッシュパルマンティエと呼ばれるひき肉とジャガイモの料理で、フランスのおふくろの味のような食べ物だ。

デザートは、大好物の「イルフロッタン」(カスタードソースにメレンゲが浮いているもの) 日本ではなかなか食べることができないデザートだが、フランスでは給食にも出てくるポピュラーなデザートだ。

明日は、シャンパンカーブ訪問、そしてそのあと、郊外のベンの実家を訪問する予定になっているそうだ。

 

シャンパンカーブは以前カトリーヌと行ったのと同じところだが、そこはベンの友人が働いているので、たぶん無料なのだろう。

もちろん久しぶりだし、喜んでいかせてもらうことにした。

 

しかし、そこで大変なことが待っていようとは、この時はまだ誰もわからない。

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丸ごと、シャンパンの町

2021-02-18 08:32:27 | 2019年春の旅行(シャンパーニュ・ロワール)

朝から今日は市場へ行くというのでまた一緒に行く。

パリに比べて、地方は物価も安い。また蜂蜜を買った。

市場の外では、ガラクタ市のようなものが行われていた。こういうところに掘り出し物がありそうな気がしたが、時間があまりなく出店数も少なかったので、ランチは家で食べるため、早々に帰ることにした。

 

バンジャマン(つづりはBenjaminで英語と同じ), 英語読みはベンジャミンだがフランス語では変わる。でも愛称はフランス語でも「ベン」だそう。

 

ベンは双子。そっくりな兄弟が近くにいるらしい。

アンヌリズはランス生まれだが、ベンは田舎だと、日本に来た時アンヌリズが「私は京都、彼は嵐山」と言って笑っていた。

そのせいか、ベンはどこか朴訥としている。

 

その彼はおばさん経営のハンバーガ―の店をパリで任されていたが、通勤が大変だったのか、味もよく人気の店だったのに、パリのハンバーガーの店の経営を他の人に譲って、ランスで働いていたが、ちょうど私が来る前にいい転職先が見つかったと喜んでいるときだった。シャンパン(フランス語では、シャンパーニュ)に関係する会社らしく、研修中と言っていた。

シャンパンが好きな人なら彼の話はきっと興味深かっただろう。

私のフランス語の力と、シャンパンに対する乏しい知識では、彼の説明は豚に真珠だったかもしれない。

 

それでも彼は、知人のお店などいろいろ連れて行ってくれた。2010年に初めて訪れたときも感じたが、

丸ごと、シャンパンの町、いや地方なので、どこへ行ってもまずはシャンパンという感じ。

こんなにたくさんのシャンパンを見るのは初めてだ。

 

まずランスの小さなテイスティングの店。

私は雰囲気でお酒をいただくタイプなので、量も飲めないし、機会もそれほどない。毎日飲むのは、フランスに来た時くらいだ。

それでもテイスティングで飲み過ぎてはいけないし、かといって飲まないというわけにもいかない。

シャンパーニュでも村によってももちろん品質が違うし、品種やブレンドもまたさまざまだった。

残念なことに どれが好きかと言われても私の舌はいい加減なものである。

そんな私が好きだと感じたのは、彼によると「ブランドブラン」と呼ばれるシャルドネのシャンパーニュのようだった。

パリ郊外のカップルを出発するときJフィリップ(彼の実家はブルゴーニュワインの葡萄畑がある)に、赤ワインを一本プレゼントしてもらっているので、荷物を増やしたくないが、シャンパーニュは買わないわけにはいかない。しかしまだ一軒目の店である。

大きいのを1本だけにして、小さな瓶を少し買ってみることにした。

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家はランス市内にあった。

2021-02-17 00:04:13 | 2019年春の旅行(シャンパーニュ・ロワール)

一緒に帰るのかと思ったら、アンヌリズは夕食の準備のためか別れて先に帰宅、私はバンジャマンと一緒に、買い物に行くことになった。

フランス人の買い物は興味深いので、いつもついていかせてもらう。

彼はシャンパーニュ名物だといったと思う。「パテアンクルート」という、パイの中にパテなどが入っている(パテをパイで包んだものという方が正しいかもしれない)伝統的な食べ物らしい。

いろいろな種類があったが、彼はさっと決めて買った。

帰る途中、彼は「この教会のほうが好きなんだけど、今回は時間がないかな」と言った。サンレミ教会だ。工事中の様であった。

外から少し見るだけにとどめた。

なぜなら私は2010年にカトリーヌと来ていたからだ。



さて、買い物が済んだら、帰路へと向かう。

 

三階建ての家だ。

 

車を停めて、さあ入ろうとすると、いかにも首を長ーくして「まだか、まだか」とカーテンの向こう、外をきょろきょろ見てる女の子が見えた。

パロマちゃんだ!!

 

写真の通りの子だった。

オスカルちゃんもとてもかわいい少年になっていた。

この階段を上がると私の部屋、彼はこうやって下から私を呼んだ↓

小学校と言っていたから8歳くらいで、パロマちゃんは6歳くらい。

 

早速彼らは私の部屋へとやってきたり、自分の部屋を見せてくれたりした。

 

私の部屋はたぶんいつもはバンジャマン夫妻の寝室として使われている部屋で(日本で言うと)3階だった。

部屋にはトイレもシャワールームもあって、清潔でとてもいい部屋だった。

田舎の古い家だと、水回りがよくない(水とお湯を出しながら調節する昔ながらのシャワー)家も結構多いフランスだが、最近は温度調節できるところが多くなってきた。

 

彼らはその間、2階の子供部屋と同じ階にあるゲストルーム?を使うという。子供と同じ階だと静かに眠れないことを気にされていたので、「大丈夫だ」と言ったが、やはりこちらで、と勧められた。

 

ご両親が素朴でいい人だからか、この二人もほんとに素直ないい子であることがわかる。

部屋を見せてもらった時、オスカルが、柔道を習っていることも分かった。

アンヌリズによると、オスカルはスポーツがあまり好きではなく、本を読むほうが好きな少年らしい。お母さんに似たのかもしれない。

 

お父さんのバンジャマンは体を鍛えているスポーツマンで、2020年のロックダウン時も庭でのジョギングを欠かさなかったくらい。またパロマは動くのが大好きなので、こちらはお父さん似なのであろう。

 

大きな愛犬もいる。狩猟犬のようなきれいな犬で、車で一緒についてくることもあった。



夕食のメインは、もちろんパテアンクル―ト(まんなか)とパイ?(タルト?)とっても美味しかったのは言うまでもない。

 

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