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フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

エギスハイムのクリスマスマーケット

2020-12-20 16:00:55 | 2019年クリスマスの旅行(アルザス・リヨン)

ご飯を食べ始めたのは、2時を回っていた。

今日エギスハイムの街を観光するというのに、何時になるのだろうと、日本人的な感覚からすると信じられない悠長な時間の流れ方だった。

マダムからのプレゼントのアルザスの白ワイン(クグロフもプレゼント)で乾杯をして、持参のエスカルゴだ。

これは殻がビスケットのようなものになっており、殼ごと食べられるようになっていて、1人当たり12個、みんなペロッと食べた。最初、1人6個ずつと言っていたので、残しておくのかなと思ったら、計算違い?(するかなあ?笑)だったようだ。

      *****************

3時半くらいから出かけることになった。

懐かしい街だ。7年ぶりになる。しかし季節も違い、クリスマス一色でずいぶん雰囲気が違う。人も多い。

(右側の写真が2013年のときのもので、同じ場所)

「アルプホルン」を奏でている人たち4人がいた。スイスから来ているようだ。

おじちゃんは何やら話しかけて、一緒に写真を撮ってもらった。

この分だと先へはなかなか進まない。

アルザスへ来たら、やはりヴァン・ショー(ホットワイン)だ。おじさんが勧めるキルシュ入りにした。

寒いので温まりそうだ。それでも例年に比べ、暖かく雪もないということだ。

 

おいしそうなお菓子のお店で、シュトーレン(クリスマスのケーキ)を買ってみた。

日本に帰ってからのお楽しみに。実は、シュトーレンの右にあるケーキ(ベラベッカ)は、アルザスの名物で、ブルゴーニュ在住のエスカレーターも知らなかったようだが、フォアグラに合うそうで、彼らは1つ買っていた。

クッキーも美味しそうだったが、まだ初日なので、これだけにする。

 

今夜は娘婿おすすめのお店で、タルトフランベを食べることになった。

19時すぎにに予約を入れて、その時間になったので、行ってみると、予約の時は誰もいなくて休業かと思えるくらいだったが、にぎわっていた。

アルザスと言えば、シュークルート、そしてこのタルトフランベ、ベックオフが名物である。タルトフランベは初めていただいたが、ピザのソースがホワイトソースのようなものである。生地は少し薄めでカリッとしていた。

キノコがおすすめらしいので、それにした。

 

おなかも膨れて、アパートへ戻った。

清潔でとても過ごしやすいアパートである。

それでもエスカレーターは、ぶつぶつ何やら言っては、オーナーのマダムに電話をかけている。

「掃除機はどこにあるのか」などいちいち電話をするのだった。

しかも探してみて「ない」というのだ。私が探すとすぐに見つかり「どこにあったの?」と不思議そうに言っていた。

こんなおじさんと3日間一緒に過ごすのだ。そして一1日目がふけようとしていた。

 

**小さい写真はクリックで大きくなります*

 

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「エスカレーターおじさん」に命を預けて、懐かしのエギスハイムへ 

2020-12-19 19:37:00 | 2019年クリスマスの旅行(アルザス・リヨン)

さて、念願のクリスマス時期のアルザスへ。

 

9時半に出発すると言っていた。

もちろん、それより遅れるのは想定内だ。それにしてもたくさんの荷物だ。3泊の旅行にこんなにと思うくらい、ケースや、袋、トランクなどが玄関にいっぱい置いてあった。

アパートを借りるので、食材がいるのはわかる。しかしこんなにたくさん、とびっくりした。水だけでも2L×6本

この夫妻は毎年車でバカンスに1~1ヶ月半は出かける。その時の荷物を想像するだけで、大変だ。家を担いで持っていくくらいではないか。

大変な荷物で普通の乗用車に積めるのかと心配になった。

何とか、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた。

 

10時半くらいに出発し、2時間くらいかかるという。

Mulhouseという表示を見た。たぶんコンテあたりを通りながら、アルザスへ向かうのだろう。1時間くらい走ったところで、ICで休憩。

アルザスへ入ったあたりか。

スピードは軽く130kmを超えている。

ちなみにこのおじさんはたしか83歳くらい。

もう「あなたに命を預けました。」の状態である。

それにしてもフランスの道路はいい。振動がほとんどしない。

 

宿に近づいて、宿のマダムと連絡を取っている。

「少し予定より遅れるが」と言っていた。

11時半くらいにつくはずだったのだろう。お昼を過ぎていたが、マダムが待っていた。

なかなかよさそうな宿だ。

しかもエギスハイムの外ということだったが、入口のわずかに外というくらいで、便利な場所である。

 

このマダムは、どこかドイツっぽい。やはりアルザスに来た、という気がした。

本来なら、鍵を渡してもらって、サヨナラ、だが、フランス人は話が長い

使い方について、いろいろ説明を聞いている。一階と二階もだ。もちろんひとつのQAに対して、それぞれに世間話?がついているので、長くなるのだ。

 

30分以上はゆうに経っていた。

さあ、これから荷物を下ろす。二階の部屋にも持っていく。

片づけた後、お昼ご飯の用意だ。

 

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何というスマートな振る舞いなんだろう。それが自然にさっと出来るフランス人

2020-12-18 16:37:52 | 2019年クリスマスの旅行(アルザス・リヨン)

ジャンピエールは定刻にやってきた。16時すぎくらいに出発。

列車は18時52分発だし、本来なら1時間もかからないので、早すぎるくらいだが、渋滞を懸念して、早めに来てもらった。

「ここが、テロがあったスーパーだよ。」と車で通りながら、教えてくれた。

同じヴァンセンヌでもポルトドヴァンセンヌあたりだ。

「この広場は?」大きな広場に銅像が。「NATION広場だよ。知らなかった?」

初めて通る場所のように思えた。

渋滞もなく、17時前には到着。

時間があるので案内してくれたのは、「ル・トランブルー」。

これは父親のエスカレーターから息子へのの指示なのだった。

以前この下でエスカレーターと待ち合わせをした事もある。

 

このレストランに来るのは2回目、1回目はピアニストのアンリといっしょだった。

今思えば余命いくばくもない彼が、軽い食事をごちそうしてくれたのだった。

そんなことが思い出される。

素晴らしい装飾、サービスもいい。私はカフェグルマンをいただいた。

カフェ・グルマンというのは、小さなコーヒーと小さなデザート数種類のセットである。お店や日によっても違うが、この日は、ムースオショコラ、ババオラム、タルトオシトロン、マドレーヌと、定番中の定番のフランスのデザートで、私の好物のものばかりだった。

 

列車の出発時間が近づいてきたころ、やってきたのはジャンピエールの息子の二コラだった。

彼もストライキの影響で、メトロ終点駅まで毎日迎えに来てもらっているようだ。今日はリヨン駅で合流だ。

 

それにしても、二コラは大人になった。スラッとした立派な落ち着いた若いムッシュだ。数年の間に、びっくりするくらい成長していた。

ホームまでは二コラが先導してくれた。

 

さて、いよいよTGVでディジョンへ。20時半到着。ホームで待ってくれているはずである。

到着すると、いたいた!!スーツケースも持ってくれていたが、なにしろ彼は80歳を超えている。申し訳ない気持ちになるが、ムッシュとしては持たないわけにはいかないのだ。

階段を上ろうとしたときだった。若い青年が本当にさりげなく、「持ちましょう」とさっともって上がってくれた。エスカレーターもにっこりして「メルシー」というと、彼はさっさと向こうへ行ってしまった。何とスマートなんだろう。

情けないことにこういう優しさは、最近日本ではあまり見られない。フランスでは度々見かけるし、体験もする。

 

家に着いたらもう9時ごろだったが、それでも簡単な食事が待っていた。

ディジョン名物、ジャンボンペルシ―だ。

私の好物のラムレーズンたっぷりのチーズも買っておいてくれたようだ。明日からのアルザスへも持っていくという。

まだ時差ぼけも抜けないため、お土産だけを渡して、長い一日が終わった。

 

この家族のおかげで、念願のアルザスへも行けることになった。ありがたいことである。

 

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シャドー・ド・ヴァンセンヌの街歩き

2020-12-16 19:07:44 | 2019年クリスマスの旅行(アルザス・リヨン)

さて、翌日はディジョンへ

 

Jピエールが迎えに来る約束は16時だった。

午前中、「薬局」の奥さん、ミシェールが、ここシャトードヴァンセンヌの街を案内してくれるという。

この薬局夫妻との関係を説明しておこう。

2011年の震災前の2月に彼らは来日した。本来なら我が家にも招待、そして宿泊予定でもあった。ジャンルイさんとこの奥さんが元高校の教師だったということで、友人関係にあり、ジャンルイさんからの紹介で会った。

ただ、パリ空港へ行くときに、農業用のトラクターが前を走っていて大渋滞し、彼らは予定の飛行に乗れなくなり、すでに日本に来ていたジャンルイさんと連絡を取ったのだろう。関西着便から東京着便に変更することになり、その後のスケジュール、関西での滞在の日程も、変更を余儀なくされたのだった。

その結果、奈良では宿泊できなくなり、日帰りで、しかも家に来てもらうこともできず、そのまま滞在先の京都へと戻ってしまったのだった。その時から「アパートがあるので、連絡してね」と言われていたのだった。実は今回まで、メールのやり取りはいつもご主人とだった。しかし、ご主人は、アパートの件に関しては、ノータッチだったのだ。

実は数年前、彼らの家を見るために、こっそり行ったたことがある。また2019年春には、アンリ夫妻や郊外に住むアニエスの甥夫婦とともに夕食を取るため、シャトー・ド・ヴァンセンヌの駅前のレストランに来たこともある。

そうそう、ヴァンセンヌの森は、ソフィアンの両親と散歩したこともある。

しかし、ゆっくり街を歩くのは、もちろん初めての事であった。

 

アパルトマンを借りるときの大事なパン屋の確認、そしてスーパー、私の好きなモノプリ(スーパー)もある。ケーキ屋さんや、チーズ屋、チョコレート屋、お惣菜屋など、おしゃれなブティックもたくさんあるようだ。

こじんまりしていて、治安も悪くない。

そして、今回大規模ストライキで、動いているメトロは14路線中2本だけ。その一本の終着点でもある。RERの駅もある。

いわゆるフランスらしいカフェの数が、パリに比べると少ないのが気になるくらいだ。

 

奥さんは、これからピラティスに行くというので、お昼前に別れた。

彼女の美しいプロポーションは、ピラティスで維持されているのかもしれない。

この季節、この町にも小さな規模ではあるが、クリスマスマーケットもある。

次に帰ってくるのは、アルザスやリヨンから帰ってくる12月26日なので、今日しか見ることはできないだろう。

市庁舎前にはスケートリンクもあり、子供達がわいわい滑っていた。

何か買いたい気持ちになるが、やはり本場アルザスのために取っておこうと思った。

 

そして、アパートへ帰って、少し休む。荷造りなどしているうちに、16時が近づいてきた。

ジャンルイさんもやってきたが、私が彼にここのカギを預け、26日にはパリ・リヨン駅に鍵を私に渡すため迎えにきてくれ、ここまでおくってくれるという約束が整うと、帰って行った。

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 親想いのパイロットから突然のプレゼントに驚く

2020-12-15 00:18:17 | 2019年クリスマスの旅行(アルザス・リヨン)

今回は、やはり3ヵ月滞在の練習?のため、スマホのカードをフランスで買うというのも

1つの試みであった。前回から、wifiルーターを借りているのだが、3ヵ月はsimフリーで、フランス人との通話も可能なものにしたい。

エスカレーターには伝えてある。電話ができる(フランス国内通話がついているプリペイド)ので、彼も安心したようだった。

ただ、うまく差し替えができるか、ちょっと不安はあった。



エールフランスの機内で予期せぬ出来事があった。食事も終わり、一息ついていたころだったと思う。

客室乗務員の方が、「キャプテンからのプレゼントです。」と、ビジネスクラス利用者用のキットを持ってきた。

キャプテン?一瞬、今乗っている飛行機の?と思ったが、そんなはずはない。えっ! でも、まさか、しかし、そうか! エスカレーターの息子からだ!

息子さんの心遣いが、じーんときた。

私のことを「お父さんの大切な友達だ。」という彼のお父さんへの想いが伝わってきた。日本人はこんな感性はもう忘れてしまったように思う。

 

そして、パリ空港到着。日本人はほとんどノーチェック、スムーズに出てこれた。

さて、ジャン・ピエールはいるかな?

 

以前「エスカレーター」がパリまで出てきてくれた時、ジャンピエールの息子、つまりエスカレーターにとっては孫の二コラもやってきて、一緒にランチをしたことがある。そのとき、パリリヨン駅から、ディジョンへ帰る両親に会うため、そして二コラを迎えに、パリリヨン駅に、ジャンピエールもやってきたのだった。

その時もエスカレーターが、わたしをパリの宿泊地(11区の友人宅)へ届けるように言ってくれ、ジャンピエールの車で送ってもらったので、面識はもちろんあった。

 

彼は、きょろきょろ探してくれていたと思う。ほぼ同時くらいに目が合った。

そして、スマホのカードを買う売店へ行き、無事買えた。

 

いつものバス乗り場やタクシー乗り場の出口とは違う方向へ歩く。

初めてだ。ついていくだけだけだが、電車のようなものにも乗った。

エレベーターを待っていたら、パイロット仲間に出会った。その人は私が乗ってきた便の

副操縦士であった。どこにでもいるような人たちで、この二人が大勢の人の命を預かるパイロットなのだとは思えないくらい気さくに私にも話してくれる普通の人であった。

 

エールフランスの建物を左手に見た。それも初めてのことだった。

その近くに乗務員用の特別な駐車場があり、車を出してくるまで外で待っていた。

 

乗ってすぐに、エスカレーターから電話があった。一度私のSIMで試せという。

できれば、車の中ではやりたくなかった。小さいものだし、落としたら大変だ。

でもエスカレーターおじさんは言い出したらきかないのだ。なんとか入れて、電話が通じ、おじさんはよし、といった。

 

さて、普通なら30分もかからないくらいの距離だという。

それが、3時間はかからなかったが、下の道を通ったりして、1時間半はかかった。

雨も降り出してきた。




到着後、宿泊先の「薬局のマダム」は、彼にもアペリティフを一緒にと誘ったが、帰っていった。

そこではジャンルイさんも、待ってくれていた。

 

無事に到着。ほんとならすぐに寝たいところだが、そうもいかないのが、ホテル泊と違うところである。「食事はいらない。」と言っても「軽いものだけで」ということで、

アペリティフと、シャンパン、スープとチーズとサラダが待っていた。

この家は左右の2世帯住居のようになっていて(元々は2軒の家だったらしい)夫妻は、もう一つの家を貸している。1人は日本人、1人はベトナム系のフランス人にだった。彼女たちも合流した。

 

この日は「薬局のマダム」のムッシュに会うことはなかった。

 

私の部屋は三階だ。後で分かったことだが、ここは夫妻の住んでいるほうの建物で、その三階は、たぶん普段は彼らのゲストルームなのだろう。部屋に洗面もトイレもシャワーもついていてとても便利だった。

 

屋上バルコニーは二棟共有で、向うの棟に簡易キッチンがあって、そこは使えるそうだ。

三ヵ月滞在の時は、そちら側を使うことになるだろう。

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