TGVやSNCFの予約(すべてキャンセル不可のもの)も済ませていたのだが、まだギリギリまで待てば何とかなるのではという、かすかな期待を持っていた。しかし、近づくにつれ、今回だけはそうは問屋が卸さない情勢になってきた。
まず、空港に到着したのち、今回は迎えに来てくれる人がいない。タクシーもパリの宿泊予定地が郊外になるので、均一料金ではなくなる。
空港からパリまで3時間かかっているというようなニュースも聞かれるようになった。トラブルも聞こえてきた
どのようにして1日目の滞在予定のアパルトマンに行けばいいのか、さっぱり分らなくなってきた。
ほんの直前にならないと運行状況がわからない。
以前、アメリカ人の学生に「ストライキはフランス人の趣味です。」と皮肉られたことがあるが、フランスびいきの私でも言い返す適当な言葉がなかった。
今回さらにその言葉が自分の身に降りかかり、現実を思い知ることになってきた。
「エスカレーター」は、「TGVはきっとキャンセルになるだろう。コルマールの宿はキャンセルしよう。ディジョンに来なさい。そしたら車で行こう。」といってきた。
ちょっと待って、パリからディジョンまでどうやって行くの?
ディジョン行きの列車が出るパリ・リヨン駅へはどうやって行くの?
テレビの映像では、ほとんど運休のメトロやSNCFで、駅の通路もぎゅうぎゅう詰めの様子が写され、とてもその中を大きな荷物を引きずって歩けるとは思えなかった。
次々に難題が降りかかってくる。
出発日が近づき、宿のキャンセル無料の期日が近づき、何度もメールなどで連絡を取り合っていた。私も正直疲れていて、返事が遅くなることもあった。
キャンセル可能の期日を失念していたが、「キャンセルしてほしい。」とメールを入れた。もうアルザスは諦めようとさえ思った。たまたま、その日が期日だった。まだ運に見放されていない?
すぐにまた「エスカレーター」から連絡が来て、「パリを1日早く発ちディジョンへ来なさい。」という。
「1日ずれるとコルマールではもう宿は探せない。クリスマス近くになると法外な値段になる。」とのこと。そこで彼が見つけたのはエギスハイムのある貸家だった。
「息子はあなたの到着日には丁度勤務がない。空港まで迎えに行ってもらう。そしてアパルトマンへ送り届けてもらう。翌日アパルトマンへ迎えに行き、またパリ・リヨン駅のホームまで同行してもらうから安心しなさい。」といってきた。
彼の息子はエールフランスのキャプテンで、パリ郊外に住んでいるのだ。
もうこれを「至れり尽くせり。」といわずして何と言おう。
ここまでしてもらって、ディジョンへ行かないわけにはいかない。
この救いの手がなかったら、ストライキ知らずと変な自信を持っていた私もきっと空港で立ち往生していたに違いない。
そしてまだ残っているのは、ディジョンからリヨンへどうして行くかという問題だ。TGVが無理ならバスも考えないといけない。
リヨンから再びパリへ戻るときは、リヨンの夫婦の両親であるフランソワーズとフランソワの夫妻(奥さんは女性だから最後に「ズ」がついているだけで、実質2人は同じ名前と言って良い。)と同じ列車で帰るから、彼らと相談できるだろう。
今回のこの滞在のもう一つの目的は、2021年の春に3ヵ月のフランス滞在をするため、パリ郊外のアパルトマン(ジャンルイさんの知人の「薬局夫妻」経営)の下見だった。
不安と課題を残しながらも、アルザスのクリスマスマーケットを楽しみに胸を膨らませ、とにかく日本をたった。