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フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

帰りの時間が迫り、メイン料理は大急ぎ。

2024-07-13 22:04:00 | 2024年の旅

 

今日でボルディゲーラともお別れ。

まず、フロントに荷物を預かってもらえるか尋ねたら、「もちろん」と快諾してもらえた。

このホテルは立地もいまいちだし、部屋もよくなかったが、このオーナーの応対だけは評価できる。

 

よって、セルボガ村へ行くことにした。

10時45分のバスなので、まず朝食をと、カフェへ向かった。

昨日、心当たりをつけておいた駅に近いパン屋兼カフェである。

3.9€と、とても安い朝食だったが、カプチーノ、甘いパン、オレンジジュースとどれもおいしくて、満足できた。

実はこのカフェ、人気があるのか、観察していると、注文を結構待たされるくらい、パンを買いに来る人が多い。

お店の人もきびきび働いていた。

年配のマダムが最初1人できりもりしていたが、若い人たちがやってきて交代したりしていた。

 

常連さんと思えるマダム、いやセニョーラ?が、1人で来て、いつものものなのだろう。

何も言わなくてもテーブルに運ばれる。

少しおめかしをしているようにも見えた。

新聞を読んだり、店の人と話したりしている。常連らしき現役世代の男性客2人が帰るとき彼女に 挨拶し、自分の見ていた新聞を彼女に渡したりしていた。このような交流はシニアにはとても大切なことだ。

家にじっとすっこんでいてはだめだ。

日本でも1人暮らしのシニア世代でこのような人が増えたらいいのにと思った。

 

そして、まだ時間があったので、散策を続けた。

小さな教会を見たり、お屋敷マンションの通りを散歩したり。

意外に高くないお店もあったりして、小物を記念に買ってみた。

 

そして、そろそろと思い駅の方へ向かい、バスの切符をタバで買い、バス停の前のカフェでトイレもかねて、エスプレッソを注文。

そして時間になった。

30分くらいでセルボガに着くのだが、このバスは路線バスだが、いい景観のところを走る。

つまり、一日目に歩いたあたりや海が見えるところもあって、なかなかパノラマを楽しめた。

 

帰りのバスは、14時15分発で、11時15分についたあと、小さな村なので、見学に十分であろうと思った。

 

案の定、可愛い村は、あっという間に見終わった。

そして、昼食をと、小さなレストランに入った。

ここはコース料理もワインがついて20€ちょっとで、リーズナブルだったが、

メインのウサギをシェア、その前にパスタをシェアすることにした。

小さなレストランは大繁盛で、入ったのは、12時過ぎだったのだが、パスがゆっくり運ばれてきて。

メインの到着までかなり時間がかかり、心配になってきた。

何しろ、バスに乗り遅れたら、夕刻までないので、ニースへ帰る列車にも乗れなくなる。

メインが来てから大急ぎで食べた。

もう14時に近かった。

レジまで行っても、すぐにレジに来てもらえず、「待ってね」と軽く言われ。

店の女性は個々のマダムらしいが一人でてんてこ舞だった。

ひやひやしながら、ようやく精算を終えたのだった。



          

 

観光地の匂いはあちこちで・・・。そして、あの帽子の件も・・・。

2024-07-12 08:22:39 | 2024年の旅

 

サンレモにもcasinoがあった。マントンのカジノよりは大きくて立派で市役所かと見間違うほどだった。

またそのcasinoの前のホテルや店は豪華で、宝石など売っているブティックも立ち並び、「そうか、ここで一儲けしてそのお金で誰かにプレゼント!!ってことになるのか」と、思った。

ニースやマントンでは見かけなかった立派な身なりの紳士が、ホテルから出てきているのも

興味深かった。

そんな観察をしながら、街歩きをした。大きな町なので、ブティックやレストラン、カフェがたくさんあった。マントンよりずっと規模が大きい。

そして、モノプリやラファイエットと言ったフランスのスーパーやデパートのイタリア版みたいな店もあった。

少しあちこちの店をのぞきながら、海の方へと向かった。

海岸近くに土産物店があり、店の前で帽子を売っていた。たしか1つ10ユーロ前後だったと思う。夫が紳士物を見ていたら店の男の人が出てきた。品物に比べ高いなと思って見ていると店の人の口からだんだん値が下がってきた。店を離れかけると、1つ5ユーロと叫んでいる。それを聞いて一遍に嫌になった。

 

要塞跡のような施設があり、昔の大砲も並んでいた。沖の遠くには大きな船が浮かんでいた。海岸から見ると動くスピードがゆっくりに見えるので、なんだかのんびりした感じだ。

海辺の近くのレストランはにぎわっていた。

しかし、いかにも観光地という感じの店ばかりのようにも思えた。


 

 

歩き疲れて、ジェラートを食べることにした。

席に着くとジェラートもそこそこの値段になるが、座るとほっとした。

しばらく、休憩し、駅へと向かうことに。

帰りは不思議なもので、行きより早く感じる。

 

列車は16時半までないようで、ゆっくりホームの近くへと向かう。というのもこのサンレモ駅は、出入口からホームまでの通路がかなり長い大きなトンネルのようなのだ。

夜など人が少ないと、少し不安になるかもしれない。

まだ30分くらい時間があったので、ホームの近くの待合の椅子に座り、待つことにした。

このときは確か時間通り列車がやってきたと思う。わざわざ時間通り来たかどうか書くこと自体まあ変なのだが。

 

そしてサンレモを後にし、ボルディゲーラに戻り、ホテルに帰った。

 

明日の予定を考える。まずホテルに荷物を置かせてもらえるかどうか。

もし無理なら早めにニースに帰ることになるだろう。

でも荷物を置かせてもらえるなら、セルボガ公国へバスで行こう。

 

明日はニースに戻るため、イタリア最後の時間を過ごすことになる。

そんなことを考えながら、今日も早めに休んだ。


音楽祭で有名なサンレモの旧市街と、新しい街

2024-07-10 09:37:01 | 2024年の旅

 

イタリア2日目

 

昨夜も早く眠ったせいか、朝早く目が覚めた。

今日の予定は、サンレモ。

サンレモは音楽祭で有名で名前くらいしか聞いたことがないが、ボルディゲーラから列車で20分くらい。

 

朝ごはんは昨日の残りのパンとスーパーで買った常温保存できるジュースだけだった。

今日も昼は外食になるので、ちょうどいい。

 

ささっと食べて、駅へ向かった。8時37分発の列車で9時到着だった。

サンレモについては、全く予備知識もなく来たので、列車の駅から市内中心までこんなに遠いとは思わなかった。

ほぼ一本道だったのだが、途中で何人かに尋ねながら、旧市街へ抜ける広場を目指した。

 

やはりサンレモは大きな町だった。新しい町を通り抜け旧市街へ上がると、ニースのエズ、ロックブリュンヌ、マントンやボルディゲーラの旧市街と比べると、あまり手入れされてないようなただ古いだけと言った感じだった。

古い街を少し見飽きたからか?というわけでもない。翌日に行くことにしたセルボガ(公国)は小さいながらそれなりに手が入れられていたから。

 

旧市街から下りてきた広場で昼食を取ることにした。レストランが集まっている広場で観光地のレストランだった。

味も悪くなかったが値段もそれなりだった。

こういう大きな町では、もう少し小さな店を探すといいのかもしれない。

お気づきのように、レストランにはそこまでのこだわりがないこともあり、下調べはしないことがほとんどである。

 

さて、今日はパスタを食べてみたい。ボンゴレ、そして魚介のサラダをシェアすることにした。魚介のサラダはさすがに美味しかった。

デザートはキャラメルソースのパンナコッタだったが、これは普通だった。

隣り合わせたのがフランス人カップル。確かニームのあたりから来たと言っていた気がする。日本にかなり前(30年以上前)に来た事があると話してくれた。「その時はほとんど英語の表記もなく、英語を話せる人もいなかったのよ。今は違うでしょうけど」と笑った。

親戚の誰かが日本に住んでいるとも言っていた。

このように今のフランス人には日本びいきな人が多いのだ。

今回の旅でも、少し話すと自分と日本とのかかわりを楽しそうに話してくれる人が多かった。

 

お腹が膨れたところで、街中を散策することにした。


大当たり! 本場イタリアのピッツアは美味しくて、大きくて、安く、大満足!

2024-07-08 08:16:22 | 2024年の旅

ボルディゲーラの旧市街に行くために、駅の方へ向かった。

駅の近くから、今度は山の方へ向かって上り坂を歩いていく。

やがてものすごいお屋敷、高級なアパートが立ち並んでいるのを見た。ニースやカンヌなどとはまた違う豪華さだった。

目を見張りながら、確かこの辺りにモネも絵を描いた場所があるはずと思い探して歩いてそれらしきところへは行きついたが、今はその当時の面影はなくちょっとがっかりした。

 

気を取り直し、少し引き返し、またさっきの道をとぼとぼ歩いていると、左手に小さな道があってここだなと直感を果たらせのぼっていくと、旧市街のかわいい街が開けてきた。

 

イタリアの旧市街もまた可愛らしくていいなと思った。ここの場合は頂上にお城跡はなく、教会があり広場があった。

お昼をかなり回っていて、お腹もすいていたので、頂上の広場のレストランでピザを食べることにした。

 

このシンプルな「ピッツァマルゲリータ」は、大きいだろうと予想して、二人でシェアをお願いしたが、今まで食べた中で一番おいしいと感じ、ぺろりと平らげてしまった。

デザートのティラミスもシェアしたが、これはまあまあといったところ。

そして、ミッシェルさんが「イタリアのコーヒーは世界一美味しい」というコーヒー(エスプレッソ)も注文した。あまりコーヒーはよくわからないのだが、ただ濃いだけではない味わいがあり、美味しい気がした。

初めての外食は大当たりだった。何より、安い!!この大きくて美味しいピッツアが10€もしないのだから。

この店のご主人は「最近は日本の観光客が少ない」と言っていた。

この円安では仕方がないだろう。

 

食べた時間も遅かったので、今日はこれを昼夜兼用にしようと思う。帰りは海岸までおりて海沿いに散歩して帰ってきた。

ここもリビエラ海岸になるのだが、フレンチリビエラのほうがイタリアンリビエラより車窓がきれいだと聞いていた。しかし実際海岸を歩いてみても、そこまでの差は感じない。こちらもきれいだ。しいていえばフレンチリビエラのほうが大型のヨットなど停泊しているなどの豪華さの違いがあるということだろうか。

もっとも、イタリアンリビエラは電車からほんの少しの距離しか見ていない。

 

ホテルの部屋にはポットもないし、喉が渇いたとき用の飲み物を帰りに買って、ホテルに戻ることにした。

 

明日はどうするか。

観光案内所のシャイな若いお兄さんにいろいろ尋ねてみたが、これと言った決め手はなかった。

 

そういえばミッシェルさんの奥さんのジャンヌクロードは、今回ニースを出てくる時「イタリアはハンサムが多い」と言っていた。でもイタリア女性も美人が多く、ソフィアローレンが団体で歩いているように思うとのこと。(わが夫談)

 

明日は、イタリアから勝手に独立宣言した?というユニークなセルボガ公国へ行くか、音楽祭で有名なサンレモまで足を伸ばすか。

どちらかになるだろう。


マントンとお別れ、そして国境を越えて、イタリア(ボルディゲーラ)へ。

2024-07-07 08:37:11 | 2024年の旅

マントン最終の朝は、市場でバゲットを買おうと思っていたが、10時から開店ということで断念した。地元のパン屋さんでは考えられない遅さだ。

 

ということで、もう一軒の地元のパン屋さんへ戻った。

そこは洗練されたパン屋さんというより洋菓子屋さんと言った感じ?で、お菓子もおいしそうだった。

ブリオッシュとシューケットを買ってみた。

美味しい朝ご飯を食べて、アパートを少し掃除して出ることにした。

「鍵はテーブルの上に置いておいて」ということだった。忘れ物がないように点検し、この便利だったアパートを後にして、駅へとまた徒歩で向かった。

このような高級マンションを見ながら駅へ↓

 

いよいよイタリアに向けて出発だ。

改札でスマホのチケットをかざして駅に入り、ホームで列車を待った。 10時56分発の列車は正確にやってきた。

SIMカードは、国境を超えるとその知らせが入るので、ヴァンチミリアに近づいたことが分かった。

 

乗換駅は国境を越えてすぐのヴァンチミリア駅で、ここはすでにイタリア。

もしかしたらパスポートコントロールがあるかもと、直ぐにパスポートを見せられる準備はしていたが、このあとも必要なかった。

マントンを出て40分。ボルディゲーラ駅に到着。

ホテルまでの道はまっすぐ歩いて15分くらいのところだった。

ただ中心地と反対側に行くので、何となく賑わいが少なくなってくる感じがしないでもなかった。

 

ホテルが見えてきた。

ドアが開かない。シエスタかと思ったら、外から帰って来た人が開けてくれた。

後で分かったことだが、このホテルのドアはとても重かったのだ。

 

部屋は、小さくて、ポットや冷蔵庫もないが、水周りは比較的清潔だった。

ただトイレやシャワーがある部屋の電気をつけると、換気扇の轟音が鳴り響き、夜中のトイレなどは、隣の部屋に聞こえているのではないかと申し訳なく思うくらいだった。

このホテルのオーナーの人柄の良さは、態度、物腰、会話の中で十分伝わり、おすすめできる点ではある。

 

まさか!!のフランスとのコンセントの違いで、ヒヤッとした。念のため持ってきたたこ足?が役立つとは。↓

早速荷物を置いて、町へ散策に出かけることにした。


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