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フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

懐かしかったシラク大統領の銅像

2024-07-21 10:30:14 | 2024年の旅

 

今日は特に行きたいところもないと言ったので、夫妻とともにニースを歩くことになった。

いつものようにゆっくり目の朝食を済ませ、出かけたのは旧市街近く。

ここでも小さなマルシェが行われていた。

アクセサリなど、小物が多かったと思う。

Jクロードは何やらお店の人と話していて、ブレスレットを買っていたが、私は収穫はなし。

そして、昼はニース名物の「ソッカ」を食べようということで、旧市街の中へと入って行ったのだ。途中のお店も見ながら歩いていたので、お昼も過ぎて、結局予約が満席ということだった。お腹もすいていた私たちは、ソッカは諦めることになった。

変更して向かったのは、二年前も来た事がある、ガレットのお店。花市場の近くだ。そこは二年前とは違い店の裏側の外にもテーブル席ができていて、そちらへ案内された。裏の方が静かで落ち着ける。彼らが行きつけの店なので、融通も効くということだ。

私たちとミッシェルさんは、クロックムッシュ?風のガレット(つまり中に卵とハムチーズ入りのガレット)、Jクロードは前回と同様、山羊のチーズのサラダ風ガレットだった。

デザートは私たちとJクロードは、このシンプルなレモン、さとうのクレープ、ミッシェルさんは前回同様チョコレート。

近くのテーブルでは小さい女の子の誕生祝いらしく、火のついたローソクの立っている

ケーキが運ばれてきて、店の人たちも一緒に「Joyeux anniversaire(ハッピーバースデー」を合唱していた。

 

お腹も膨れた私たちは、ぶらぶら歩いていると、シラク大統領の銅像。なぜニースにあるのかはわからないが、日本通で知られた大統領の銅像にお目にかかれて、なんか嬉しい気分になった。

 

 

散策を続けていると、今回の旅で初めて日本の観光客夫妻に遭遇。

彼らは関東から来られていて6週間の予定で、南仏、スペイン、ポルトガル、パリを周遊するとのことだった。

リタイアされて、さあこれからという時にコロナで、やっと念願がかなったということだった。しかし円安で、ご主人は「食事はほとんどスーパーとマクドナルド」と言って苦笑いされていた。それをミッシェル夫妻に言うと「笑えない話だね」

連絡先を交わした私たちはその後のこの日本人夫妻と励ましあいながら?メッセージの交換を続けていたが、まだ60代と50代の夫妻なので、フットワークも軽く、下調べもよくされていて、いい旅を続けられていることが分かった。

スペインやポルトガルは物価が安いこともあり、美味しい地中海の魚介も楽しまれたそうだ。

ご主人は英語が堪能のようで、奥さんはフランス語を勉強中とのことだった。

 

日常のミッシェル夫妻の買い物ルートなどを通りながら歩いていると、新市街の大通りで、トラムの通行を妨害するかのような人物がいた。

何か心が病んでいるように見えた。大きな苦しそうな奇声を発してしていた。あるいは怖い幻覚を見ているのかもしれないと想像した。結局はトラムが近づいて来たら自分でよけたため、パトカーも走っていたが、特におとがめなし。それに対して、Jクロードは、「警察が見ていたのに何もしないなんて警察が機能していない」と怒っていた。

近づいたら逃げる能力があるので、何か意図を持っているのかもしれない。危険人物として、警察は動いた方がいいということだったのか、私にはよくわからなかった。

 

夫妻はパリでもそうだったが、あちこちでフランスがこわされていくようで、憂いていることが多い。

市民警察は市民生活に密接した機能を発揮していて、夫妻の評価は高くよくやっていると言っていたので、国家警察か軍の警察(憲兵)のことを言っているのだろう。

 

ラファイエットやモノプリなどにも行ったが、とにかくミッシェルさんは91歳にも関わらず、Jクロードのウインドーショッピングや試着などにも根気良く付き合うのには感心する。フランス人男性はそう言う人が多いのかもしれないが、日本人ならできないことだろう。ましてや91歳という高齢男性では。夫が疲れて椅子に腰かけていても決して腰掛けることはなく、ついて回り、荷物を持っているのだ。この点はフランス人男性に文句なく軍配が上がる。

 

今日もよく歩いた。

帰ってから夫妻は立ち続けで食事の準備をしてくれていた。感謝しかない。






ミッシェルさんの食欲に脱帽 

2024-07-20 19:26:34 | 2024年の旅

Jクロードからヴァンチミリアに着いて私たちを待っていると連絡が取れて、一安心。

私たちがモナコ駅で、座れるようになった時、ミッシェルさんは依然として立っていたのだが、前席の大学生の女の子が「どうぞ」と席を代わってくれたのだった。

しばらく私は彼女と話をしたのだが、その中で彼女はトゥールーズから来た大学生で、マントンでバカンスを過ごすという。

また彼女の出身はスイスに近いコンテ地方で、小さな村だと言っていた。

 

彼女は日本が大好きで、中でも日本文化にとても興味を持っているという話や、日本についていくつかの質問をしてきたりして、話が弾んだ。日本人の友人(東京の若い男の子と言っていた)がいるとのことだった。

感じのいい彼女は、いつか日本へ行きたいというので、連絡先を交換しておいた。

 

そして彼女たちは、マントンで休暇を過ごすため、先に降りて行ったのだった。

 

私たちの列車もマントンを過ぎ、ほどなくヴァンチミリアへ到着。この時、12時前になっていた。(ニース駅に着いたのは10時15分くらいだったのだが)

まずはランチかと思いきや、衣類の市が通常午前中だけということで、ザーッと見ながら歩くことにした。

本当に売られているものは衣類がほとんどだった。

下着や靴などもあった。

よく見ると、イタリア製のものも売られている。

安いストールをJクロードとわたしは数枚買い、夫は白い革のベルトを買った。

 

そして、レストランに着いた頃には14時を回っていた。

それでも大変な混みようだった。彼らはいつもここで食べるという。後で聞くとピザが有名な店だったらしい。

が、四人誰もピザを注文せずだった。またおすすめのものはもう売り切れと言うことで、Jクロードはがっかりしながら魚介のグリルを注文、夫はいつも奥さんの選択に「外れ」がないこと知っていて、同じものを注文していた。

 

私はパスタ、ミッシェルさんのは注文した物とは間違えられて、やってきたのはバーベキューのような、お肉を焼いたボリューム満点のものだった。それでも文句を言うこともなく、ミッシェルさんはほとんど平らげていた。91歳にしてさすが大した食欲である。

デザートとコーヒーもそれぞれ注文をして、この店を後にした。

何ということのないレストランではあったが、ミッシェル夫妻と一緒にイタリアで食べるという機会になったので、よしとする。



そして、まだ市は続いているところもあり、ミッシェルさんは革靴(イタリア製)をリーズナブルな値段で購入。

Jクロードはカジュアルなパンツ、私も似たようなもの(イタリア製で10€)を記念に購入。

 

川向こうに見えるのがヴァンチミリアの旧市街なのだろう。もっと時間があれば海へも行けたかもしれない。そんなことを思いながら、市場を後にして、駅の近くで少し休憩して帰ることにした。



駅付近は治安が悪いという情報もあったが、この日はそのようなことを感じることはなかった。

明るい時間なら私達だけでも、大丈夫そうに思えた。

行きはいろいろあったが、彼らと一緒に来れてよかった。

帰りの列車は何も問題なく帰宅でき、Jクロードがまた簡単な夕食を用意してくれたのをいただいた。

明日は、ニースの街歩きをすることになった。







ニースに置き去りにされ、Jクロードだけがのれた列車は出て行く!!

2024-07-17 08:20:30 | 2024年の旅

 

ニースに戻り、ミッシェル夫妻の家で過ごすと、どれだけ快適かがわかる。

清潔で広い部屋、シャワールームや洗面台は部屋にある。

トイレは二つあり共用ではあるが、一つはバスタブ付きの浴室の中で、こちらは夜利用する、もう一つはリビングにあって、いつでも使える。

もともと彼らが引っ越してきたときは、リビングのトイレはなかったので、新たに作ったということだった。

確かに客人があるときは便利である。

泊り客でなかったとしても、いちいち浴室のトイレ利用をするより、リビングに独立しているトイレのほうがずっといい。

 

さて、今日はヴァンチミリアへ行く日。

いつものように?列車の時間を調べることもなく、朝の支度がすべて終わったころが出かける時間である。

10時過ぎには出発した。そして、改札付近の大勢の人を横目に、近郊線の駅で切符を買う時、また駅の人に夫妻は尋ねていた。

すると、「往復切符を買うといいですよ」というアドバイスだった。

「初めて知った」と夫妻はその係員に言っていた。ニースへの引っ越しは2020年1月であるが、4年以上たって初めて知ったということだった。もちろん夫妻はそれまでに何度もこの近郊線は利用しているはずなのだが。

ビオットに行くときもそれを知っていたら、使えたのはもちろんである。

この夫妻にはこういうことは、よくある。私たちも慣れているので別段驚きもしない。

まあ、安く買えてよかった。奥さんのJクロードが4人分買ってくれて、しっかり握りしめていた。

 

さて、とホームに行ってびっくり!!!!

ホームにも人があふれかえっている。スリに気をつける必要があるくらい尋常でない人の多さだった。日本のラッシュ時でもこのくらいの人の多さに遭遇したことがないくらいだ。

また、来た電車に乗れるのだろうかと、不安になってきた。

そして、15分くらい待って列車が入ってきた。

とにかく、持ち物に気をつけながら、けがをしないようにと思い、夫妻のそばにいた。

しかし、人混みに押され、少しずつ離されてしまった。

Jクロードは何とか、乗り込めたのだが、私たちとミッシェルさんは、乗れなかった。

 

ホームに置いてけぼりになった私たちは、どうしよう?と途方に暮れそうだった。

ミッシェルさんは、すぐにJクロードに連絡を取ったのだが、何しろ彼女は息もできそうでないくらいの混雑の中、携帯電話を取り出すことは不可能だったろう。

ミッシェルさんが「困ったことに彼女が4人分の切符を持っているんだよ」と、苦笑い。

 

向かいのホームに見えるパリ行のTGVを見て、気分を変える?↓

さあ、どうするのがいいのか。

とにかく次の列車を待とう。でも次の列車はいつ来るのか。またその列車も満員だったらと、心配は尽きない。何しろ、まだホームには乗れなかった人たちが、さっきよりは少ないが、相当いることはいる。

その一人の女性が「私は9時からずっと乗れないのよ」と言ったことも心配を大きくした。

しかし、なるようにしかならないのだ。

 

私もJクロードにメッセージを送ったが、返事はない。

 

30分くらい経ったとき、次の列車がやってきた。

一抹の不安はあったが、今度の列車には、乗ることができた。もちろん座ることはできなかったが、息ができないような混雑でもなく、安堵した。

 

そしてその列車が途中のモナコに着いた時、多くの乗客が下りた。今日はモナコで何かイベント?があったようだ。(F1グランプリに先駆けて、クラシックカー?のイベントがあったらしい)

そこで私たちは座ることができて、ミッシェルさんも席を若い学生に譲ってもらい、座ることができた。

 

そんな時、Jクロードと連絡がついた。彼女はやっとヴァンチミリアについて、私たちを待っているとのことだった。






ヴァンチミリアでの乗り換えは、滑り込みセーフ

2024-07-15 19:28:21 | 2024年の旅

      

セルボガ(公国)を後にして、ボルディゲーラに戻ると、まずホテルに荷物を引き取りに行った。

部屋は問題点がないこともなかったが、オーナーは本当にいい方で、「今度は予約サイトを通さずに直接予約して」と、名刺をくれた。

お礼を言って、ホテルを後にする。

 

列車の時刻は 15時54分発で、出発まで少し時間があったので、トイレ休憩もかねて、駅前のカフェに入った。

最後の?ブラッドオレンジジュースを注文して、時間まで過ごすことにした。

 

そして、そろそろと思い、ホームに入った。

すると、列車の遅れの表示が出ていた。15分遅れだった。

普通なら何ともないくらいの遅れなのだが、ニースまでの直通列車はないので、ヴァンチミリアで乗り換えが必要だ。

予約した列車の乗り換え時間は、遅れがなければ十分だった。

しかし、15分遅れで来ると、ボルディゲーラからたった一駅のヴァンチミリアでの乗り換えは不可能になる。

とにかく来た電車に乗るしかなかった。

 

幸い、13分遅れで列車はやってきた。それでも乗り換え時間1分しかないので、来たときと同じようにホーム移動があったら、不可能であった。

さて、何番線につくのか、そしてニース行は何番線から出るのか。

乗り合わせている乗客に尋ねても、わからないという

 

しかし、ヴァンチミリアに滑り込んだ列車の同じホームの向かい側に、それらしき列車が止まっていた。

普通なら列車やホームの表示を確かめる必要があるが、そんな時間はなかった。

が、乗り合わせていた乗客の一人が「これよ。ラッキーだったね」と教えてくれたことで、何も見ずに向かいの列車に乗り込んだのだった。

 

その列車は、乗り継ぎ連絡をしていないのか、待つことなし(遅れることなし)に定刻に出発した。

もちろんここからフランス鉄道になるので、当たり前なのかもしれないが、もしもたもたしていたら、とか、体が不自由な人がいたらどうなるのか、と考えずにはいられなかった。

 

とにかくひと安心して、到着時間をニースで私たちの帰りを待っているミッシェル夫妻に連絡した。

 

「駅から、うちまで来れる?もし迷ったら連絡してね」という返事が来た。

駅から夫妻の家まではほぼ直線なので、迷うことなく5日ぶりに帰ることができた。

 

荷物を下ろし、5日間の話を聞いてもらいながら、準備してくれていた夕食をいただくことにした。

これはニース名物の青菜のタルトで(Tourte des blettes)、前回はデザートバージョン、今回は甘くないメイン?になるサレバージョンのタルトであった。

明日の予定を決めるところで、「金曜日だからヴァンチミリアで、衣類の市があるのよ。もし興味があれば」ということで、乗換で通過しただけのヴァンチミリアだったし、ミッシェル夫妻もアンリ夫妻もこの衣類の市で買い物をするという話を聞いていたので、「ぜひ」ということになった。





勝手に独立して、王様もいる「セルボが公国」

2024-07-14 08:14:12 | 2024年の旅

 

 

 さてこのセルボガ村なのだが、実はイタリアから独立宣言して王様も今は2代目であるらしい。

 村の各家には「セルボガ公国」の旗が翻っている。バス停近くには初代公国王の胸像もある。敵(?)が攻めてきたときの備えとしてちゃんと大砲も1門置いてあった。

 現在の王様は、なんとこの前に書いたウサギの料理を出すレストランを経営している。

 

 イタリアから独立したといっても税金はちゃんとイタリアに収めていて、いわば勝手に独立したといっているだけなのだ。しかしこのことが有名になり、この山奥の村に大勢の観光客が来るようになった。

 

 村は古い歴史があるようで迷路のような道をあちこち歩いたが、そんなに大きくはなく、全部を歩き回るのに時間はかからない。バス停の反対側からピクニックの人たちが杖をついて歩いて登ってきたのにも出会った。その人たちもこの「公国」の面白さに惹かれてやってきたのだ。

 もしこの独立宣言がなかったら、ただの山の上の古い村に過ぎなかったわけだ。

 実は、当初、ボルディゲーラ1泊、この村で一泊する予定だった。この村にはアグリツーリズモ(農家滞在)ができる宿があり、食事もついて、かなり魅力的だったからだ。以前ナポリの南の海沿いで経験した事があり、なかなかいい感触を持っていることもあった。

 

 しかし、地図で見ると、村の近くとは言え、車でないとちょっと行きにくい、人通りが少なそうな小道を歩かないといけないようで、無理だと判断した。その後、ボルディゲーラに2泊に変更したせいで、宿探しに困難を極めることになったのだった。(出発間近でもあって)

 

でも、結局日帰りで行くことにしたのだが、来れてよかったと思った。

 

 さてようやくバスに間に合って乗ったが、運転手が若い女の人と喋りだし。話に夢中になりジェスチャーを交えて話すものだから、ハンドルから両手を話すことがあるのが気になって仕方がなかった。若い女の人も運転手に「あんたはきれいだ」などとおだてられ気分が乗っているらしい。

 

 ようやく途中で年配の女性たちが乗り込んできたので、この女性もおしゃべりを止め、座席に座った。そして運転手は元のまじめな運転手に戻り、ほっとした。


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