箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

余白が語る

2019年09月25日 18時14分00秒 | 教育・子育てあれこれ











書道では、書く字の美しさ、うまさを問題にしますが、じつはそれと同じくらい余白を大切にします。

字体の美しさと余白のバランスが重要なのです。

見事な字は、余白が引き立てるというか、余白が物語るのです。


これは、人の生活の仕方や生き方にも通じるのでないかと思うのです。

字体が、人が行う言動だとすると、言外の意味を推し量るとか、あるいは、文脈を読むということにもつながります。

それは、日本古来から、日本文化が大切にしてきた価値観なのです。

英語は、表現されていることがすべてであり、文脈を読む必要はほとんどありません。これをLow Contextといいます。

一方、日本語は書いてあること以外に、伝えたいメッセージが隠されていることが多く、High Contextが基本としてあります。

もっとも、最近、日本文化でも、奥ゆかしさや言外の意味を読み取るということをあまりしなくなりました。

次期改定の高等学校の国語では、選択科目として、「論理国語」が導入され、文学を扱わなくなると危惧されています。

そこまで言うのは言い過ぎだと、私は思いますが、時代の流れは、グローバル人なら論理的文章を読む力をつけるには、やはりLow Contextの文書が読めないとね、という考え方に傾いてきています。

しかし、小説を読んで、High Cotextの文化に触れるとも、高校生には大切なことです。

中学生の頃、芥川龍之介の『トロッコ』に出てくる良平の心理の変化に触れ、私は触れました。

夕陽が山に沈みかけるときの「あまりにも遠くへ来てしまった。早く家に帰らないと」という良平気持ちと私の実体験が重なり、ビンビンと私の心に迫ってきたのでした。

余白の美しい生き方をするという文化に、中学生も触れてほしいと、私は思います。









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