第二次世界大戦後の日本社会は地縁・血縁、社縁といった人間関係のしがらみから人びとを解放することをよしとしてきました。
家父長制的な規範から脱却し、農村などでは地域への貢献要求が薄まり、会社に忠識を誓う必要もなくなってきたのでした。
しがらみからの解放はポジティブに捉えられることもありました。
しかし、その一方で人とのつながりを希薄にする側面が強く、わずか半世紀の間に、日本では至るところで人の孤立が広がってしまい、今に至っています。
それに輪をかけたのが2020年末から拡大した新型コロナウイルス禍でした。
人と人が出会い、共に活動する機会は全国でほぼなくなった数年間でした。
孤立の問題についてさらに考えると、2025年問題がクローズアップされてきます。
2025年には、いわゆる「団塊の世代(1947~49年生まれ)が、みんな75歳以上の後期高齢者になります。
ついで「団塊ジュニア世代」(1971~1974年生まれ)も50歳以上になります。
その結果、80代の親が社会から孤立した50代の子を養うという、家族単位で孤立する問題もあります。
地域のつながりが薄くなり、仕事に就けない人たちは親の年金と貯金を頼りにするしかなく、親が亡くなれば八方塞がりの困窮に陥ります。
というのは、いま50歳前後の人たちは社会に出ようとする頃に就職氷河期が直撃したのでした。
その後も長引く不況やリーマン・ショック(2008年)の影響で仕事に就くことが難しい人が多かったのでした。
それにもかかわらず、「自立して当たり前」といった価値観が根強く残り、ひきこもり状態になっても声を上げづらいのが実情です。
当事者には、自立や社会参加のために働く「中間的就労」を通じて徐々に社会との接点を増やしていくことが求められます。
思い出せば、わたしが携帯電話を持ちだしたのが1998年でした。1990年代後半ごろから日本では携帯電話が一気に普及しました。
1人1台の端末を持つことにより、人間関係の選別が進行しました。今ではスマートフォンを使い、交流したい人とだけ交流できる「つながり格差」が生まれています。
孤立の問題は個人の問題で済ませることができる性質のものではありません。
人が他者と会い、対話や議論を通してよりよい社会を築いていく営みに影響を与える社会問題です。