
私が教職を通して、常に心がけ、実践してきたこと。また、後進の教員に伝えてきたことがあります。
それは、
教室の隅にいる子にも、光を当てる先生になる。
という教えです。
1クラスあれば、その中には多様な児童生徒がいます。
にぎやかな子がいるかと思えば、おとなしい子がいます。
目立つ子がいれば、つい見落とされがちな子もいます。
よく意思表示する子がいる一方で、自分の考えや思いを表現するのが苦手な子がいます。
しかし、それがクラスです。
いろいろな子がいるから面白いと思えるのが教師なのです。
そして、一人ひとりがクラスの一員であり、誰もが同じ一人の人間であり、誰一人欠けてはならないのです。
ところが、とかく教師はよく話しかけてくる子と会話したり、目立つ子に声をかけることが多いものです。
学校での一日が終わり、教室を出るとき、「今日は何人の子と話したか、声をかけたか」とふりかえるのです。
あの子とは、目があったけど話せなかったな。明日は、あのことで声をかけてみよう。
授業でも同じです。自分から手を上げて発表しようとする子だけで、授業を進めてしまった。
おとなしくて、手を上げていなかった子にはかかわることができなかった。
このように、内省的に考え、次の行動を変えることができる教師が、一人ひとりを大事に思い、子どもを大切にできる教師です。
難しいことではありません。
授業や学級活動、掃除、給食のとき、誰か子どもと話していて、おとなしい子に「〇〇さんは、どう思う?」など尋ねてみるだけだけでもいいのです。
または、近づいて直接気づいたことを言うのでもいいのです。
「〇〇さんは、いつもちゃんとゴミをとってきれいにしてくれるね。ありがとう」。
声をかけられた生徒は、「先生は、わたしのことを、ちゃんとみてくれている」と感じます。
その子に光を当てるのです。
要は、その子の存在に気がつくか、つかないかという感性をもっているかどうかです。
私にも経験があります。
たわいもない会話でしたが、ある女子生徒が「先生、先生」と近づいてきたので話していました。
その横には、別の女子生徒が下を向いてじっと聞いていました。
話の途中で、「ねえ、そうやんな。〇〇さん」。
自分には関係ないと思っていたその子は、ハッと顔を上げ、こちらに向けた表情は輝いていました。