わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

足元の風景=磯崎由美

2008-12-31 | Weblog

 現在くらしナビ面で掲載している連載「くらしと政治」の取材で、麻生太郎首相の地元、福岡県飯塚市の本町商店街を歩いた。幼いころに何度か行ったことがある場所で往年のにぎわいが記憶に残るだけに、人影の少なさに心が痛んだ。

 大学生とタイアップした空き店舗の活用や、220メートル超のロールケーキ作りにも挑戦。中小企業庁の「がんばる商店街77選」に選ばれている。商店街の前田精一会長は「麻生さんも元は経営者なのだから、分かってくれているはず」と、集客アップに格闘しながら、一日も早い景気対策を待ち望んできた。

 自動車不況で労働者が去り、消費は冷え込む。ハローワークの求人は低賃金の介護職ばかり目につく。人口もバス路線も減っていく。そんな地元を首相が見に来る気配はない。麻生事務所関係者は「筑豊だけ良くなればいいという考えではない。麻生は全国のために頑張っている」というが、今の筑豊地域は全国の縮図ではないだろうか。

 大みそか、小沢一郎・民主党代表は1万人のインターネットユーザーとの生討論会に臨むという。会場に選んだのは、漫画好きな麻生首相のもう一つのおひざ元ともいえる東京・秋葉原。小沢氏の地元、岩手県では農業の崩壊が止まらず、減反と自給率アップのはざまで高齢化したコメ農家があえぐ。ここにもまた、一つの縮図がある。

 有権者がいま1票を投じられないもどかしい状況で、党首同士の空中戦が続く。年が明ければ必ず総選挙がやってくる。政治家の目に何が映っているのか。しっかりと見抜く眼力を、この厳しい時代が養ってくれるかもしれない。(生活報道センター)





毎日新聞 2008年12月31日 東京朝刊

ペラペラよりも=玉木研二

2008-12-31 | Weblog

 <「英語が使える日本人」の育成のための行動計画>を文部科学省が掲げたのは03年春だ。中学・高校を出たら英語でコミュニケーションができ、大学卒は仕事で英語が使える--を目標に、目安は中学で英語検定3級、高校は準2級以上と。ああ、その道はるか。そして今度は小学校に英語、続いて高校は英語の授業を英語で、となった。先生は困惑しているという。

 <ユウウツの限りです。私には通訳も何も出来やしないのですからね。大恥をかくのは明白な事です>。敗戦の秋、疎開先で太宰治は手紙に書いた。中退であれ元帝大生、文筆で飯食っていれば、地元民に「先生、アメリカさん何言ってんだ」と頼られよう。彼はおびえた。

 実際英語教師には災難だったらしい。戦時中は「敵性語」で授業はなく、米国人に接したこともない。すぐ通じなくて当然だが、周囲の目、とりわけ教え子の視線はつらかったろう。

 それから60年以上、何が足りなかったのだろう。

 戦後「カム・カム・エブリバディ」のテーマ曲でラジオ英会話の草分けとなった平川唯一氏は、特に専門教育を受けた人ではない。岡山の農家に生まれ、16歳で出稼ぎの父を追い渡米。鉄道工員などをし、生きるための英語を学ぶ。戦前帰国、NHKに入り、敗戦時は天皇の詔勅を英語で放送した。英語を巡る懸命、変転の半生。人々を引きつけた温かく軽妙な会話指南の裏地はその積み重ねた苦労だろう。生き方と結びついた語学の真骨頂がそこにあると思う。

 単に(といっても大変なことだが)ペラペラになるだけが目標では、国の<行動計画>は絵に描いた餅になるほかない。(論説室)





毎日新聞 2008年12月30日 東京朝刊

イラクからの便り=福島良典

2008-12-31 | Weblog

 アラブのことわざに言う。「エジプト人が本を書き、レバノン人が出版し、イラク人が読む」。国境を越えた文化の広がりと各国の国民性を言い表している。

 イラク人の知識欲は旺盛だ。旧フセイン政権時代の経済制裁下もバグダッドの通りに並ぶ露店の本屋街には客足が絶えず、イラク戦争後は新聞社やテレビ局が相次いで産声を上げた。

 最近、取材を手伝ってくれたイラク人のヤシン・イスマイルさん(40)から便りが届いた。国連事務所の通訳をする傍ら国家再建の思いをつづった文章を地元紙に投稿する日々だという。

 来年はイラクにとって独り立ちの時だ。1月には民主主義の定着を占う地方選がある。7月までに駐留英軍が引き揚げ、オバマ新政権下で米軍も撤退準備を本格化させる。

 戦争と占領は反米感情を育てた。ブッシュ米大統領に靴を投げつけたイラク人記者をたたえるデモがアラブ諸国で続く。「米国をたたきのめした」と。

 だが、ヤシンさんは「客人をもてなすイラクの伝統を踏みにじった。記者の武器は靴でなく、ペンのはずだ」と憤る。

 「イラク政府は宗派・民族抗争を抑え込めるほど強くない。このまま米軍がいなくなれば、近隣諸国の脅威にさらされる」。憂国の弁が続いた。

 今、米国留学を目指している。ジャーナリズムを学ぶためだ。「普通の米国人に会い、開かれた米社会を学び、イラクを地域のモデル国家にしたい」

 欧州に暮らす兄が喜んで戻ってくるような安全で自由な国にするのが夢だ。道は険しい。だが、来年がイラクの人々にとって、晴れやかな門出の年になることを切に願う。(ブリュッセル支局)





毎日新聞 2008年12月29日 東京朝刊

国家愛より人類愛=広岩近広

2008-12-31 | Weblog

 冷え冷えと暮れゆく……。そんな印象の年の瀬だが、振り返れば暗いニュースばかりの1年ではなかった。

 たとえば北京五輪で金メダルに輝いたソフトボール女子代表チームの活躍は記憶に熱く残っている。毎日スポーツ人賞のグランプリにふさわしいだろう。

 ノーベル賞を4人の日本人が受賞したのも明るい話題だった。それも戦前、戦後を生きてきた科学者たちだ。悲惨な戦争体験をされた2人が、記念講演や記者会見で平和への強い思いを述べた。私は、その場に居合わせたわけではなく、本紙の記事を読んだにすぎないが、それでも胸にこみあげてくるものがあった。

 京都産業大教授の益川敏英さん(68)は名古屋空襲の体験に言及し、「こんな思いは二度と味わいたくない。子どもに体験させたくない」と涙ぐんだという。元米ウッズホール海洋生物学研究所上席研究員の下村脩さん(80)は疎開先の長崎が原爆で被災した写真をスクリーンに映し出して、命の尊さと平和の大切さを強調された。この後、「役目を終えた感じだ」との一言を残して会場を後にしたと知り、私はそこに科学者の良心をみた。

 科学者の良心ということでは、日本で最初にノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士を忘れてはなるまい。核兵器を「絶対悪」と決めつけ、核のない世界平和を訴え続けた。この断固たる姿勢は終生変わらなかった。

 湯川博士らの平和観は、国家を超えた人類愛に基づいている。自分の国だけを愛して何になる、世界の人類を愛せよ、人類という仲間を不幸にするな--そういうことなのだと、私は平和の原点をかみしめている。(編集局)





毎日新聞 2008年12月28日 東京朝刊

宙返り的発想のすすめ=佐々木泰造

2008-12-31 | Weblog

 春草のはじめて挑む宙返り何かが変わるような気がした

 今年4月、長野県白馬村のゲレンデでインストラクター、鳴海裕樹(ゆうき)さんの助けを借りてバックフリップ(後方宙返り)に挑戦した。滞空時間は1~2秒。その瞬間に何をしなければならないかを考える。頭から墜落することがないよう、脳がフル回転しているのが自分でわかる。

 51歳の今年、スポーツで脳が活性化することを実感した。年をとっても身体能力を高められることを実証し、肉体は年齢とともに衰える一方だという自分の常識を覆すことができた。

 06年秋に難波宮(なにわのみや)跡(大阪市中央区)で出土した木簡に万葉仮名で書かれた「春草のはじめ……」で始まる短歌を創作する第3回「なにわの宮新作万葉歌」を1月末まで募集している。木簡は折れていて残りは見つかりそうにないから、続きを全国公募しようと、私が本紙夕刊の「憂楽帳」で提案したのに大阪市が応えて始まった試みだ。

 文化財は本来の姿で保存し活用しなければならない。失われた部分があれば、推定するのが考古学だ。そうではなく、失われた部分を自分たちで作ろうと、古代人と現代人のコラボレーション(合作)を呼びかけたところに発想の宙返りがあった。

 受賞作を書いた現代の木簡を見た栄原永遠男(さかえはらとわお)さん(大阪市立大学教授)が、断片となった古代の歌木簡も元は同様に長かったと思いつき、紫香楽宮(しがらきのみや)跡(滋賀県甲賀市)の木簡を調べ直したら万葉歌が見つかった。

 春草のはじめにつむぐ万葉歌新しきことここに始まる

 頭のリフレッシュに、「春草のはじめ」に続く「私の23文字」を詠んで応募してほしい。(学芸部)





毎日新聞 2008年12月27日 大阪朝刊

訃報記事のドラマ=岸俊光

2008-12-31 | Weblog

 社会面の片隅に載る訃報(ふほう)記事には、小さくとも人間のドラマが詰まっている。特に、大きな記事になることが多い文化人や芸能人を取材対象とする学芸部記者は報道に神経を使う。

 この春から週1回掲載の「悼む」欄を担当し、今まで以上に訃報に注目するようになった。欧米紙のオビチュアリー(訃報記事)はさらに充実している。

 訃報記事は、亡くなった人の評価に直結する。短い行数のなかに何を書くか、大きさはどうか。新聞社の力量が試される。最近は1人暮らしが多いから、死亡確認も簡単ではない。

 「悼む」の方は、親しい記者や関係者の手になる、第一報では伝え切れなかった追悼文だ。仲が近すぎると、緊張して筆が進まない。遠いと情に欠け空々しくなる。人となりを紹介するのはなかなか難しい。書き方に興味をもち、追悼ばかり集めた本も読むようになった。

 ここ半年ほどの「悼む」にも記憶に残る記事がある。

 作家、小島直記さんとの交流をつづった岩見隆夫・客員編集委員の記事は、豪快な男ぶりに爽快(そうかい)感さえ覚えた。ソ連反体制作家、ソルジェニーツィン氏の記事には三瓶良一・元モスクワ支局長の若い日からの思いがこもり、スラブを身近に感じた。

 札幌五輪「日の丸飛行隊」の青地清二さんが、失敗ジャンプから銅メダルをつかんだ秘話を描いたスポーツジャーナリストの伊藤龍治さん。評論家・作家の俵萠子さんとの心の交わりを書いた同僚の記事も印象深い。

 掲載できる人は限られるし、誰もが知る人ばかりでもない。それでも読者を動かすのは、筆者の姿がそこここにうかがえる飾りのない言葉なのだろう。(学芸部)





毎日新聞 2008年12月27日 東京朝刊

大きすぎて…=福本容子

2008-12-31 | Weblog

 公的資金で救済されるのは、大手の銀行や自動車メーカーばかりではない。

 イタリア政府は、パルメザンチーズの救済に乗り出した。生産コストの上昇で業者の3分の1が廃業寸前に追い詰められたため、「チーズの王様を守れ」と、公的資金5000万ユーロ(約64億円)を投入するそうだ。

 アメリカでは、自動車に続き、大手の不動産開発業者が政府に救済の要求を始めている。

 米ウォールストリート・ジャーナル紙によると、米政府は証券化商品で問題を抱えたサンタクロースを新たに公的資金の対象とした。財務省内にはサンタ国有化への懸念もあったようだが、サンタの破綻(はたん)は影響が大きすぎると救済が決まった。オバマ次期大統領も了承している。

 これはジャーナル紙の作り話。でも世の中、何でもかんでも救済のムードになってきた。

 少し前まで、大手金融機関は特別、という話ではなかった? 腹が立っても税金で救わないと、信用不安が広がって、金融破綻の連鎖が起き、一般の人までみんなが大迷惑するから--という説明だった気がする。それが、自動車業界も救済となり、「大きすぎてつぶせない」の線引きがほとんど不可能になった。自動車は救済OKでチョコレート業界はダメ、とか論理的に説明するのは相当苦しい。

 アメリカでは、教会も倒産の危機にある。不動産ブームの中で施設を建てた教会がローンの返済に困り、差し押さえられる事例が増えているそうだ。来年あたり「米政府、神様に800億ドルの資本注入」もありうる。大きすぎてつぶせない。

 だけど救済先の経営をしっかり見張れる人ってどこにいる?(経済部)





毎日新聞 2008年12月26日 東京朝刊

「どっちもどっち」の罪=与良正男(論説室)

2008-12-25 | Weblog

 政治を報じる記者として私が極力、避けようと心がけているのは「与野党、どっちもどっち」という評価だ。与野党双方を批判するのは一見、公平・中立であるように見えるが、「政治なんてだれがやってもダメ」という政治不信を助長するばかりではないかと思うからだ。

 しかし、民主党などが提出した雇用対策関連法案をめぐる国会終盤の与野党攻防には「どっちもどっちだなあ」と思わずため息をついてしまった。

 「政局よりも政策」と言いながら、第2次補正予算案の提出を先送りした麻生太郎首相や与党の対応はまったく筋が通らない。雇用対策は待ったなしだ。野党の法案は政府の対策と共通している点が多く、与党が反対する理由も乏しい。

 だが、民主党が参院で強行採決したのはいただけなかった。法案は24日、衆院で否決。民主党は元々、否決を見越していたはずだ。いや、与党に否決させて、「けしからん」と非難するのが目的だったと思う。

 そんな見え透いたことをするより、小沢一郎代表が麻生首相との党首討論に臨み、理詰めで雇用対策の緊急性を説いた方がどれだけ国民の理解を得られたことか。日ごろ批判している強行採決に自ら手を染めたことで「一体、与野党は何をしているのか」となってしまった。

 自民党の渡辺喜美氏の造反で、年明け国会は激動の予感。それでも、民主党はいきなり審議拒否といった策をろうするのではなく、地道に自らの主張を訴えていくことだ。「駆け引き」やら「思惑」やら、私たち政治記者がつい使ってしまう常とう句が政治記事から消える。そんな国会を見たい。




毎日新聞 2008年12月25日 0時04分

もみじマーク考=磯崎由美(生活報道センター)

2008-12-24 | Weblog

 「強制的に付けさせられるなんて情けなく、恥ずかしくてならない!」(74歳女性)

 「マークの何が悪い。運転は格好でするんじゃない。事故防止が先です」(83歳男性)

 道路交通法改正で75歳以上のもみじマーク(高齢運転者標識)表示が義務化されることを書いた際、高齢の読者からいただいた声だ。「こんなマークを付けると周りの車に嫌がらせされる」と不安がる人がいる一方で「付けてから道を譲ってもらうことが増えた」と喜ぶ手紙もあり、さまざまな思いがあるものだと教えられた。

 本格実施まで半年となったいま、警察庁は方針を再検討している。「統計上、事故防止効果はある。でも表示率が上がらない」というのが義務化に踏み切った理由だったが、与野党内で「高齢者いじめ」との批判が出たためらしい。今年は後期高齢者医療制度に対する風当たりが強かっただけに、総選挙の年を前にした高齢有権者への気遣いが垣間見える。

 一度は義務化が決まった効果で、3割程度だった表示率は7割まで上がったが、見直しの内容次第では、また下がるのだろう。高齢ドライバー事故は高齢化の速度を上回る勢いで増えている。少しでも安全につながる施策を進めてほしいという交通事故遺族らの願いも切実だ。

 そもそもお年寄りは高齢者扱いされるのが嫌なのだろうか。優先席を譲られて怒る人は見ない。もみじマークは落ち葉にしか見えず、高齢者に優しいとのメッセージにはほど遠い。

 いっそマーク自体を見直せばいい。81歳男性からの手紙にはこうある。「ハート形にしてはどうでしょう」





毎日新聞 2008年12月24日 0時09分


その時その一言=玉木研二

2008-12-24 | Weblog

 とっさの時にジョークを飛ばす。アメリカ大統領の必須条件らしい。靴を投げられたブッシュ氏は「サイズは10だった」と応じたが、これよりペリーノ報道官の「今後記者会見では靴を預けてもらいます」の方がずっと出来がいい。彼女は騒ぎで倒されたマイクで顔にあざをつけていた。女は強しである。

 数ある前例の中で最も有名なのは、81年、時のレーガン大統領が銃撃で胸に重傷を負い、病院で手術前に医者たちに言った「君たちみんな共和党員だろうな」。ナンシー夫人に「弾をよけるのを忘れていたよ」。

 なかなかの役者である。実際映画俳優だった。大統領人気は高まり、政権は安定した。

 だが、機知の一言常備の大統領ばかりではない。74~77年在任のフォード大統領は、地位に野望はない議員だったようだが、辞任の副大統領を継いだ後、大統領(ニクソン)がウォーターゲート事件で辞任、気づくと白亜館の主になっていた。

 総じて地味だった。だからか、彼が75年9月に2度も銃で暗殺されかかり、間一髪逃れたことを大方の人は忘れている。気の利いた一言はなかったものかと、事件当時の記事をめくったが、見当たらない。「フォード回顧録」では、上に重なった警護員に「そろそろ、のいてくれよ。息が詰まってしまうぜ」というのがあるが、これではね。

 でも平時では気の利いた自己評の一言を残している。「私は(大衆車の)フォードで(高級車の)リンカーンではない」

 期せずして世界最強国のトップに立たされた男の苦笑の一言かと思えるが、未曽有の破滅的自動車危機に揺れる今のアメリカにはどう聞こえるだろう。(論説室)





毎日新聞 2008年12月23日 東京朝刊

ホワイトクリスマス=福島良典

2008-12-22 | Weblog

 インターネットの競売サイトで、サルコジ仏大統領の人形が「クリスマスプレゼントに最適」と売り出されている。「もっと働き、もっと稼ごう」などのサルコジ節が印刷された布製の「呪いのサルコジ人形」に購入者が針を刺す仕様だ。大統領は回収を求めて裁判に訴えたが、販売継続が認められた。

 そのサルコジ大統領に最近、「恥を知れ」とかみついたのが環境保護NGO(非政府組織)だ。議長を務めた今月の欧州連合(EU)首脳会議で地球温暖化防止対策の合意を取りまとめるため、温室効果ガスの排出削減緩和を狙う産業界に譲歩しすぎた、というのが理由だ。

 譲歩を迫ったポーランドには環境NGOから抗議の意思を込め、当てつけに石炭4トンが贈られた。発電量の約95%を石炭による火力発電に頼るポーランドの要請で、EUが電力部門に配慮する措置を認めたからだ。NGOの落胆は理解できる。

 だが、EUが野心的な目標を掲げ、低炭素社会に向けて世界の先頭を走る構図に変わりはない。そもそも、環境保護にだけ目を奪われて自国の失業者を増やしたり、不況を招いては政治家失格のそしりを免れない。大切なのは、ころ合いだと思う。「これならできる」と産業界をその気にさせる努力も必要だ。

 地球の体調は良くない。だからといって食べ物を口にせず、無理なダイエットを続ければ社会が衰弱する。今、必要なのは「環境か産業か」の二者択一でなく、「環境も産業も」の社会の実現を目指して知恵を絞ることだ。いつまでも、雪のあるホワイトクリスマスを楽しむためにも。さもなければ、呪いは私たちに降りかかる。(ブリュッセル支局)





毎日新聞 2008年12月22日 東京朝刊

震災とマスク=大島秀利

2008-12-22 | Weblog

 阪神大震災の発生直後、人命救助、衣食住、そして復興が優先され、壊れた建物が急ピッチで解体された。

 その中で「飛散するアスベスト粉じんから子どもたちを守ろう」と異文化コミュニケーターのマリ・クリスティーヌさんや市民団体、学生ボランティアらは防じんマスクを配り続けた。

 配布については、行政機関や多忙な自治体は取り合ってくれなかった。マスクの確保も、建設業関係者が大量に購入し、困難を極めた。それでも、なんとかかき集め、着用の必要性を訴え続けた。当時、「マスクプロジェクト」と呼ばれた。

 あれから来月で14年。再び「マスクプロジェクト」が先月、神戸大人文学研究科の研究集会を機に立ち上がった。

 発起人はマリさんや支援団体「中皮腫・じん肺・アスベストセンター」(03・5627・6007)事務局長の永倉冬史さんらで、95年以降の震災でもマスク着用を訴えてきた。

 その経験から、子ども用の粉じんマスクをあらかじめ備蓄しておくことが大切だと痛感し、今後の目標とする。いざというときは近隣の自治体などから即座に配布し、安全を守る考えだ。

 今年2月には、阪神大震災で建物解体に携わった中皮腫患者が、労災認定を受けた。中皮腫の多くは、石綿吸引後20~60年で発症するため、今後、被害の顕在化が懸念される。

 マリさんや永倉さんらは震災がないときから、マスク備蓄を進め、子どもたちに着用方法などの指導をしながら、予防のための環境教育をしようとしている。「平時からの備え」として注目したい。(科学環境部)





毎日新聞 2008年12月21日 大阪朝刊

ギリシャの悲劇=藤原章生(ローマ支局)

2008-12-21 | Weblog
 騒乱の取材でギリシャを初めて訪れた。夜のアテネでタキスという名の69歳の男性に出会った。黒い服装で悲しそうに、火炎瓶の飛び交う街を見ていた。引退した観光業者でドイツ人の妻と息子が1人、ベルリンにいるという。翌朝頼むと、男性は数日間、小型バイクで私の仕事につき合ってくれた。

 不思議だったのは、この男性がレストランやカフェ、盛り場を嫌うことだった。誘う度に「レストランは見かけだけだ」「コーヒーなら家で飲める」と言い、毎回、彼のアパートで近所の女性が作ってくれる料理をごちそうになった。彼は私の余り物をかき込むように食べた。

 殺風景な暗い部屋の鏡台に、若い男の写真があった。線の細い顔だ。どういうわけか、その脇に、年々老けていく自分の証明写真が並んでいた。聞いてみると、彼はベッドに座り、両手を組んで語り出した。

 若い男は4年前に31歳で死んだもう一人の息子だった。男が時折つく、「うっ」とこみ上げてくるようなため息の意味がわかった。息子は風呂でドライヤーを使い感電死した。だが彼は今でも自殺だと疑っている。「ドイツ車を2台とも、警察に奪われ、息子はおかしくなった」。ギリシャ人の楽しみの一つ、外食を避けるのは、罪の意識からだ。「音楽が流れる楽しげな所にいると、息子に申し訳なくて、胸が苦しくなる」

 「生きている限り、子供を気づかわないと、取り返しがつかない。ギリシャにこんな言葉がある。子供のいる男ほど幸せな男はいない。子供を亡くした男ほど不幸な者はいない」。悲しみがあまりに生々しく、私はしばらく席を立てなかった。





毎日新聞 2008年12月21日 0時34分

健全な赤字部門=落合博(運動部)

2008-12-20 | Weblog
 1930年代、大恐慌時代の米国でスポーツが衰えることはなかった。生活は困窮していたが、人々は球場に足を運び、チームのオーナーは入場料を下げ、選手の年俸を引き下げても試合に参加させた。スポーツがいかに社会に浸透していたかの例として、思想家の多木浩二さんが「スポーツを考える」(ちくま新書)で引用している。

 「100年に一度」の危機だという。先日出かけた企業スポーツ関係者の集まりでは「不況」という言葉が飛び交っていた。90年代初めのバブル崩壊後、企業スポーツは経費削減の象徴として、リストラの標的となった。その記憶が生々しい。

 採算が合う企業スポーツはまずない。では、収支に貢献しない部門は不要なのか。「企業は健全な赤字部門を持たなければならない」は、旭化成中興の祖、宮崎輝氏の言葉だ。目先の損得ばかりに気をとられて、先を見据えた投資を怠れば、未来はない。大事なのは、息長く続ける、ということだろう。

 サントリーのビール事業が参入から45年で初めて黒字化する見通しだ。非上場企業だから赤字でも続けられたとの見方もあるが、執念を感じる。

 製造業、ものづくりの現場では、職場の一体感が欠かせず、それを醸成するものとしてスポーツを重要視する経営者は少なくない。効率一辺倒では息が詰まる。苦しい時ほど、人は楽しみを求める。社会の安全保障にとって、軍事力よりもスポーツが重要との指摘さえある。

 21世紀初頭について後世の学者はどう記すのか。「日本の経営者は、利益還元を求める株主を説得しつつ、企業スポーツの灯を守った」。それとも……。





毎日新聞 2008年12月20日 0時00分

ガラガラポン幻想=与良正男

2008-12-19 | Weblog
 政治が行きづまると必ず出てくるのが「政界再編」話だ。確かに最近の政治記事にも再三登場する。しかし、妙な幻想を振りまくだけの再編話は罪作りだと考えている。

 再編というからには与野党全体を巻き込み、もっと明確な対立軸で、いくつかの新たな政党に編成し直す姿を連想する人が多いだろう。これを政界では「ガラガラポン」と言う。

 だが、現時点で自民党から出て行く人は少しいるかもしれないが、民主党が割れる可能性はまずない。民主党議員は今の体制のまま次の衆院選で過半数を取れると思い始めており、それが最大の求心力になっている。だから、分裂してみすみす好機を逃すようなことはしない。

 しかも、ほとんどの小選挙区が既に「自民対民主」で候補者が埋まっているから、新たにグループ分けしようとしても選挙区調整は容易でない。

 「衆院選後には政界再編」という自民党議員は少なくない。でも、それは自民党の敗北を前提に事前に保険をかけているような気がする。仮に勝てば再編話などどこかへ消えてしまうだろう。第一、選挙後に勝手に離合集散するというのは選挙結果などどうでもいいと言っているようなものだ。今の再編話は現実から有権者の目をそらすものだとさえ思う。

 本当に閉塞(へいそく)状況を打破したいと考えるのなら、選挙前に動いて有権者の判断を仰ぐことだ。有権者も「いつかは政界再編されるだろう」と政治家にお任せするばかりではいられない。現実を見据え、一人一人が責任を持って、まず「今ある中でどこが最もましか」を衆院選で選択する。そんな発想が大切だ。(論説室)





毎日新聞 2008年12月18日 東京朝刊