わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

足元の風景=磯崎由美

2008-12-31 | Weblog

 現在くらしナビ面で掲載している連載「くらしと政治」の取材で、麻生太郎首相の地元、福岡県飯塚市の本町商店街を歩いた。幼いころに何度か行ったことがある場所で往年のにぎわいが記憶に残るだけに、人影の少なさに心が痛んだ。

 大学生とタイアップした空き店舗の活用や、220メートル超のロールケーキ作りにも挑戦。中小企業庁の「がんばる商店街77選」に選ばれている。商店街の前田精一会長は「麻生さんも元は経営者なのだから、分かってくれているはず」と、集客アップに格闘しながら、一日も早い景気対策を待ち望んできた。

 自動車不況で労働者が去り、消費は冷え込む。ハローワークの求人は低賃金の介護職ばかり目につく。人口もバス路線も減っていく。そんな地元を首相が見に来る気配はない。麻生事務所関係者は「筑豊だけ良くなればいいという考えではない。麻生は全国のために頑張っている」というが、今の筑豊地域は全国の縮図ではないだろうか。

 大みそか、小沢一郎・民主党代表は1万人のインターネットユーザーとの生討論会に臨むという。会場に選んだのは、漫画好きな麻生首相のもう一つのおひざ元ともいえる東京・秋葉原。小沢氏の地元、岩手県では農業の崩壊が止まらず、減反と自給率アップのはざまで高齢化したコメ農家があえぐ。ここにもまた、一つの縮図がある。

 有権者がいま1票を投じられないもどかしい状況で、党首同士の空中戦が続く。年が明ければ必ず総選挙がやってくる。政治家の目に何が映っているのか。しっかりと見抜く眼力を、この厳しい時代が養ってくれるかもしれない。(生活報道センター)





毎日新聞 2008年12月31日 東京朝刊

ペラペラよりも=玉木研二

2008-12-31 | Weblog

 <「英語が使える日本人」の育成のための行動計画>を文部科学省が掲げたのは03年春だ。中学・高校を出たら英語でコミュニケーションができ、大学卒は仕事で英語が使える--を目標に、目安は中学で英語検定3級、高校は準2級以上と。ああ、その道はるか。そして今度は小学校に英語、続いて高校は英語の授業を英語で、となった。先生は困惑しているという。

 <ユウウツの限りです。私には通訳も何も出来やしないのですからね。大恥をかくのは明白な事です>。敗戦の秋、疎開先で太宰治は手紙に書いた。中退であれ元帝大生、文筆で飯食っていれば、地元民に「先生、アメリカさん何言ってんだ」と頼られよう。彼はおびえた。

 実際英語教師には災難だったらしい。戦時中は「敵性語」で授業はなく、米国人に接したこともない。すぐ通じなくて当然だが、周囲の目、とりわけ教え子の視線はつらかったろう。

 それから60年以上、何が足りなかったのだろう。

 戦後「カム・カム・エブリバディ」のテーマ曲でラジオ英会話の草分けとなった平川唯一氏は、特に専門教育を受けた人ではない。岡山の農家に生まれ、16歳で出稼ぎの父を追い渡米。鉄道工員などをし、生きるための英語を学ぶ。戦前帰国、NHKに入り、敗戦時は天皇の詔勅を英語で放送した。英語を巡る懸命、変転の半生。人々を引きつけた温かく軽妙な会話指南の裏地はその積み重ねた苦労だろう。生き方と結びついた語学の真骨頂がそこにあると思う。

 単に(といっても大変なことだが)ペラペラになるだけが目標では、国の<行動計画>は絵に描いた餅になるほかない。(論説室)





毎日新聞 2008年12月30日 東京朝刊

イラクからの便り=福島良典

2008-12-31 | Weblog

 アラブのことわざに言う。「エジプト人が本を書き、レバノン人が出版し、イラク人が読む」。国境を越えた文化の広がりと各国の国民性を言い表している。

 イラク人の知識欲は旺盛だ。旧フセイン政権時代の経済制裁下もバグダッドの通りに並ぶ露店の本屋街には客足が絶えず、イラク戦争後は新聞社やテレビ局が相次いで産声を上げた。

 最近、取材を手伝ってくれたイラク人のヤシン・イスマイルさん(40)から便りが届いた。国連事務所の通訳をする傍ら国家再建の思いをつづった文章を地元紙に投稿する日々だという。

 来年はイラクにとって独り立ちの時だ。1月には民主主義の定着を占う地方選がある。7月までに駐留英軍が引き揚げ、オバマ新政権下で米軍も撤退準備を本格化させる。

 戦争と占領は反米感情を育てた。ブッシュ米大統領に靴を投げつけたイラク人記者をたたえるデモがアラブ諸国で続く。「米国をたたきのめした」と。

 だが、ヤシンさんは「客人をもてなすイラクの伝統を踏みにじった。記者の武器は靴でなく、ペンのはずだ」と憤る。

 「イラク政府は宗派・民族抗争を抑え込めるほど強くない。このまま米軍がいなくなれば、近隣諸国の脅威にさらされる」。憂国の弁が続いた。

 今、米国留学を目指している。ジャーナリズムを学ぶためだ。「普通の米国人に会い、開かれた米社会を学び、イラクを地域のモデル国家にしたい」

 欧州に暮らす兄が喜んで戻ってくるような安全で自由な国にするのが夢だ。道は険しい。だが、来年がイラクの人々にとって、晴れやかな門出の年になることを切に願う。(ブリュッセル支局)





毎日新聞 2008年12月29日 東京朝刊

国家愛より人類愛=広岩近広

2008-12-31 | Weblog

 冷え冷えと暮れゆく……。そんな印象の年の瀬だが、振り返れば暗いニュースばかりの1年ではなかった。

 たとえば北京五輪で金メダルに輝いたソフトボール女子代表チームの活躍は記憶に熱く残っている。毎日スポーツ人賞のグランプリにふさわしいだろう。

 ノーベル賞を4人の日本人が受賞したのも明るい話題だった。それも戦前、戦後を生きてきた科学者たちだ。悲惨な戦争体験をされた2人が、記念講演や記者会見で平和への強い思いを述べた。私は、その場に居合わせたわけではなく、本紙の記事を読んだにすぎないが、それでも胸にこみあげてくるものがあった。

 京都産業大教授の益川敏英さん(68)は名古屋空襲の体験に言及し、「こんな思いは二度と味わいたくない。子どもに体験させたくない」と涙ぐんだという。元米ウッズホール海洋生物学研究所上席研究員の下村脩さん(80)は疎開先の長崎が原爆で被災した写真をスクリーンに映し出して、命の尊さと平和の大切さを強調された。この後、「役目を終えた感じだ」との一言を残して会場を後にしたと知り、私はそこに科学者の良心をみた。

 科学者の良心ということでは、日本で最初にノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士を忘れてはなるまい。核兵器を「絶対悪」と決めつけ、核のない世界平和を訴え続けた。この断固たる姿勢は終生変わらなかった。

 湯川博士らの平和観は、国家を超えた人類愛に基づいている。自分の国だけを愛して何になる、世界の人類を愛せよ、人類という仲間を不幸にするな--そういうことなのだと、私は平和の原点をかみしめている。(編集局)





毎日新聞 2008年12月28日 東京朝刊

宙返り的発想のすすめ=佐々木泰造

2008-12-31 | Weblog

 春草のはじめて挑む宙返り何かが変わるような気がした

 今年4月、長野県白馬村のゲレンデでインストラクター、鳴海裕樹(ゆうき)さんの助けを借りてバックフリップ(後方宙返り)に挑戦した。滞空時間は1~2秒。その瞬間に何をしなければならないかを考える。頭から墜落することがないよう、脳がフル回転しているのが自分でわかる。

 51歳の今年、スポーツで脳が活性化することを実感した。年をとっても身体能力を高められることを実証し、肉体は年齢とともに衰える一方だという自分の常識を覆すことができた。

 06年秋に難波宮(なにわのみや)跡(大阪市中央区)で出土した木簡に万葉仮名で書かれた「春草のはじめ……」で始まる短歌を創作する第3回「なにわの宮新作万葉歌」を1月末まで募集している。木簡は折れていて残りは見つかりそうにないから、続きを全国公募しようと、私が本紙夕刊の「憂楽帳」で提案したのに大阪市が応えて始まった試みだ。

 文化財は本来の姿で保存し活用しなければならない。失われた部分があれば、推定するのが考古学だ。そうではなく、失われた部分を自分たちで作ろうと、古代人と現代人のコラボレーション(合作)を呼びかけたところに発想の宙返りがあった。

 受賞作を書いた現代の木簡を見た栄原永遠男(さかえはらとわお)さん(大阪市立大学教授)が、断片となった古代の歌木簡も元は同様に長かったと思いつき、紫香楽宮(しがらきのみや)跡(滋賀県甲賀市)の木簡を調べ直したら万葉歌が見つかった。

 春草のはじめにつむぐ万葉歌新しきことここに始まる

 頭のリフレッシュに、「春草のはじめ」に続く「私の23文字」を詠んで応募してほしい。(学芸部)





毎日新聞 2008年12月27日 大阪朝刊

訃報記事のドラマ=岸俊光

2008-12-31 | Weblog

 社会面の片隅に載る訃報(ふほう)記事には、小さくとも人間のドラマが詰まっている。特に、大きな記事になることが多い文化人や芸能人を取材対象とする学芸部記者は報道に神経を使う。

 この春から週1回掲載の「悼む」欄を担当し、今まで以上に訃報に注目するようになった。欧米紙のオビチュアリー(訃報記事)はさらに充実している。

 訃報記事は、亡くなった人の評価に直結する。短い行数のなかに何を書くか、大きさはどうか。新聞社の力量が試される。最近は1人暮らしが多いから、死亡確認も簡単ではない。

 「悼む」の方は、親しい記者や関係者の手になる、第一報では伝え切れなかった追悼文だ。仲が近すぎると、緊張して筆が進まない。遠いと情に欠け空々しくなる。人となりを紹介するのはなかなか難しい。書き方に興味をもち、追悼ばかり集めた本も読むようになった。

 ここ半年ほどの「悼む」にも記憶に残る記事がある。

 作家、小島直記さんとの交流をつづった岩見隆夫・客員編集委員の記事は、豪快な男ぶりに爽快(そうかい)感さえ覚えた。ソ連反体制作家、ソルジェニーツィン氏の記事には三瓶良一・元モスクワ支局長の若い日からの思いがこもり、スラブを身近に感じた。

 札幌五輪「日の丸飛行隊」の青地清二さんが、失敗ジャンプから銅メダルをつかんだ秘話を描いたスポーツジャーナリストの伊藤龍治さん。評論家・作家の俵萠子さんとの心の交わりを書いた同僚の記事も印象深い。

 掲載できる人は限られるし、誰もが知る人ばかりでもない。それでも読者を動かすのは、筆者の姿がそこここにうかがえる飾りのない言葉なのだろう。(学芸部)





毎日新聞 2008年12月27日 東京朝刊

大きすぎて…=福本容子

2008-12-31 | Weblog

 公的資金で救済されるのは、大手の銀行や自動車メーカーばかりではない。

 イタリア政府は、パルメザンチーズの救済に乗り出した。生産コストの上昇で業者の3分の1が廃業寸前に追い詰められたため、「チーズの王様を守れ」と、公的資金5000万ユーロ(約64億円)を投入するそうだ。

 アメリカでは、自動車に続き、大手の不動産開発業者が政府に救済の要求を始めている。

 米ウォールストリート・ジャーナル紙によると、米政府は証券化商品で問題を抱えたサンタクロースを新たに公的資金の対象とした。財務省内にはサンタ国有化への懸念もあったようだが、サンタの破綻(はたん)は影響が大きすぎると救済が決まった。オバマ次期大統領も了承している。

 これはジャーナル紙の作り話。でも世の中、何でもかんでも救済のムードになってきた。

 少し前まで、大手金融機関は特別、という話ではなかった? 腹が立っても税金で救わないと、信用不安が広がって、金融破綻の連鎖が起き、一般の人までみんなが大迷惑するから--という説明だった気がする。それが、自動車業界も救済となり、「大きすぎてつぶせない」の線引きがほとんど不可能になった。自動車は救済OKでチョコレート業界はダメ、とか論理的に説明するのは相当苦しい。

 アメリカでは、教会も倒産の危機にある。不動産ブームの中で施設を建てた教会がローンの返済に困り、差し押さえられる事例が増えているそうだ。来年あたり「米政府、神様に800億ドルの資本注入」もありうる。大きすぎてつぶせない。

 だけど救済先の経営をしっかり見張れる人ってどこにいる?(経済部)





毎日新聞 2008年12月26日 東京朝刊